淀調 戦後という夏 

はい、淀調です。まだまだ暑いですね。皆様には残暑御見舞い申し上げます。
昨晩NHK3チャンネルでアンソニー・ホプキンスのインタヴュー番組やってましたね。「日の名残
り」「ハンニバル」「ニクソン」あたりを取り上げてのQ&A、見たらホプキンス、肩から背中にか
けてのあたりががっしり肉だか筋肉だかがついててこれがあのレクタア博士かあ思うような体つ
き、それがタキシード着るともう別人、執事の役にもぴったりはまってつくづくやっぱり英国人や
なあと感心しました。「日の名残り」のなかで、ホプキンスは「執事がいると部屋が殺風景に見え
る」という誰かの言葉で役作りが出来た言うてましたね。簡単だった、言うのにはいささか引っか
かりましたけど、まあ、彼の気質に合ってたいうか、恋愛小説読んでるところを女中頭に見つかっ
て何読んでるの見せて見せて言われて迫られて本取り上げられて、でも眼は彼女に張り付いてると
ころなんか、ホントに役者でしたもんね。この原作はカズオ・イシグロ、もう少年時代から英国に
住み着いていかにも逡巡後悔内省自己憐憫の深い海の中に沈んでいくブリティッシュな文体を縦横
に駆使してるもの、アメリカのプラグマティズムに殆ど飲み込まれかけた英国の価値観、時代遅れ
と一刀両断されていくものの考え方のその端っこが夕陽に当たって光ってる、これに比べれば若い
英国人の書いた「溺れゆく者たち」はやっぱり若い思わせるもの、横文字お嫌いでなかったら一度
は読んでみてくださいね。そしてこれはやっぱり表面的にはたいしたことは起こらない、貴族のお
屋敷にその設備の一部みたいに仕えている執事の狭い狭い世界、ただ前のご主人がナチスに荷担し
たとして没落し、持ち主が若い人のいいアメリカ人に替わる(もう歩けなくなったスーパーマンの
最後の健康な肉体、健全な笑顔がいとおしい)、執事はクルマを転がして昔の女中頭に戻ってきて
欲しいと頼むが断られる、それだけのこと。
この、たいしたことは起こらない式の沈黙の技法はあの「ひと月の夏」にもありましたね。「日の
名残り」ほど華麗ではないくすぼった片田舎の風景、初っ端はバケツひっくり返したかと思われる
ほどの土砂降り、帰るときはほのぼのと柔らかな陽の光が画面一杯に溢れている。主人公の心情に
ついては前にも書きましたから繰り返しませんが、ひたすら中世の絵の修復作業に没頭して何もか
も忘れようとする、刷毛の一塗り一塗りを積み重ねていけばいつかは高みに登れる、救われるんじ
ゃないか、いう祈りにも似た姿勢、このあたりはホプキンスの執事にも共通する姿勢、結局のとこ
ろ彼は執事とは違って癒されるんですが、彼の孤独を救ったのは田舎の風物でもなければ生きた人
間でもなかった、しかし橋渡しをしたのはあの小ずるい目付きのケネス・ブラナーという皮肉。ケ
ネス・ブラナーはいかにも軽薄才子いう感じ、もうこの頃からコリンにショベル渡してせっせと土
掘らせて自分は見てて、棺が見つかったらお前開けろなんて言う役どころ、パブリック出身でもパ
ブリック・スクールの役どころは演れない彼の面目躍如、彼の演る役作る作品、みんな目端が利い
てしかしミロス王の指のようにあとに金粉臭が残ってる。そのなかで棒立ちになってるおぼんぼん
のコリン・ファース、彼は育ちがどうでもどっか周りのことに鈍くて疎い感じを与えるところが武
器になったりならなかったり、しかし「ひと月の夏」ではそのパーソナルな雰囲気がプラスに働きま
したね。戦後処理と言っても外交はいざ知らず最後のところは極々パーソナルなもの、極限の体験
をして理解し会えない人間関係の中に戻ってきて黙って時間が経つのを待っている、だけどどうも
アメリカはそうじゃない、最後にはどっか暴れたい壊したい分からんのかあ言うて叫ぶのね。「ひと
月の夏」というと自動的に浮かぶのがWarren Beckの短編「After the War」。ヨーロッパ戦線
に送られた若いアメリカ兵3人が帰ってきて久しぶりに猟にでかける。高校時代からの気のあった
親友3人、これがまだ朝もやけぶる森を彷徨ううちに昔の狙撃兵としての戦争体験が口を開いてし
まう。ひとりは銃で撃たれて即死、もうひとりは精神病院行き、助かったもうひとりが物語の語り
手、という明暗激しい稲妻のような小説。これに比べると沈黙という姿勢において日英は意外と近
しいところにいる。その善悪は別にして海に洗われた島国の長い年月を思い浮かべた今年の夏では
ありました。 (817()125702)

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