淀調 ドクター・レクターあるいは完璧なる英国男 

はい、淀調です。

今回はいきなりハンニバル・レクタアですね。話飛びすぎて怒られるかもしれませんし、

こら英国映画じゃない、アメリカだ、しかも原作を堕する、前作より遥かに落ちると

非難轟々の「ハンニバル」、それでも前回の「魔の家」がらみで一言言っておきたい思たん

ですね。なんで魔の家からハンニバルか言うたら、ボリス・カーロフの執事役観てたら

唐突にカズオ・イシグロの「日の名残り」の一節が浮かんだんですね。イングランド人が

何で執事に最適なのか、主人公の執事スティーブンスが縷縷述べるくだりです。執事は

イングランドにしかいない、大陸の人間、特にケルト系は感情に負けてちょっとつつか

れればスーツもシャツも脱ぎ捨てて大声上げて駆け回る。そんな品性下劣な人間は執事

ではなく単なる男の召使、いう意味の話をいかにも英国風の延々と、ながながし尾のしだ

り尾の枕詞をつけてしゃべるのね。その、いかにもの執事ならぬ召使が画面に出ておっ

て典型的執事のスティーブンスが「ハンニバル」、しかしこのふたつには共通の英国趣

味が匂ってくる。

もちろん「ハンニバル」は監督の矜持がドル札に負けたのかラストを始めハリウッド臭プ

ンプンで、でもそれもアメリカ人が憧れるだろうイングランド趣味が無邪気に出てる映

画なのね。英国人が焦がれたフィレンツェ、その由緒ある図書館で古い文献を縦横に駆

使するレクタア博士、彼の使う竜涎香入りのハンド・クリーム、鯨から採る香が鯨なん

か獲っちゃいかん言うて騒いでる国アメリカに送られてくるその皮肉、オペラだって

メットなんぞに絶対かからない演目、そこから博士が出してくるダンテ「神曲」の一節、

対する刑事があのいかにものパッツィの末裔、パッツィって誰?いう観客にはほんの

少しだけ情報はさんで「おや、お前さん知らないの?」いう風情、講演で延々宗教美術に

出てくる処刑方法を述べた後でパッツィの末裔が祖先と同じ最後を遂げるその場面。

フィレンツェの広場に立ってる猪の像から遥かに飛んで牙もち猪の突進は「アニマル・

ファーム」だし最後の晩餐だって皆さんエグイおっしゃるけれども狂牛病が流行る前は

牛の○味噌バターソース、イタリアばかりじゃない日本のレストランだって出してたん

ですよ。猿のは中国でも出しますし、まあ、それを人間でやるところがスウィフト

はアイルランドですけど彼以来の英国の伝統的人喰いユーモア、牛は仲間の○味噌で

狂牛病、スウィフトが気が狂ったのももしかしたら、思わせるシーンでしょ。ほんとに

イギリス人はこの人喰いの話題に精魂傾けてるところがあって、露骨に書くと削除

されてしまいますから慎みますがアフリカを話題にしたジョークはこの手のオンパ

レードなのね。皆さんが高校大学のリイダアで必ず読まされる「ラズベリイ・ジャ

ム」だって最後の落ちはこの話。レクタア博士、「魔の家」でタキシード着てナイフ

投げながら聖書の話する長男サウルに通じるところがありますね。スコット監督、フラ

ンケンシュタインの父より知的でなかったのか強欲だったのかすっぽんぽんの悲し

さがありましたけど、英国文学の影の流れを思いながら観て楽しめた映画でしたよ。

そしてここで意外な人脈、かの狂人化したスウィフトに会っているのがなんとヘンデル。

マエストロがメサイアを初演したのはなんとダブリン、ここでスウィフトは聖パトリッ

ク大聖堂の主任司祭をしてたのね。ここの聖歌隊が歌わないとヘンデルはコンサ-ト

が開けない、しかし主任司祭様は気の病で許可を出したり取り消したり、右往左往

ののちに大成功を収めてヘンデルはロンドンへ。彼のオラトリオは旧約聖書を題材に

英語の歌詞をつけるからここはプロテスタントのイスラエル思てる英国人に受けない

わけがない。しかし英語でオラトリオを書きまくる以前にヘンデルは何をしていたか

言うたらイタリア語でオペラを書いていたんですね。マエストロのロンドンデビュー

は「リナルド」。自他ともに認める最高傑作のアリア「いとしい妻よ Cara sposa」、

これは転用の多かったマエストロが偉大なるカストラート、ニコリーニの為に書き

下ろしたアリアなんですね。これが聴ける(?)のがコルビオ監督の「カストラート」、

次回はヘンデル経由でイギリスの坊主の話へ。うまく着地できるか、乞うご期待。

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