放課後。 いつもと同じ光景がそこにはある。 唯一の違い、それは校門で待つ、一人の少女であろうか。 「レイ!」 帰路につこうとしていたシンジがその少女の姿を認める。 その言葉に、トウジやヒカリ、そしてマナもそちらのほうを向く。 「えへ、来ちゃった、」 「来ちゃった、って。学校は。」 「ひどいな。サボったわけじゃないよ。シンジさんと一緒に帰ろう、って思って迎えに来たんじゃない。」 既に編入の手続きは冬月が済ませてあったらしく、今日からレイは新しい学校へといていた。 真新しい制服を身につけて、シンジの前に立っている。 その制服が、あまりに第3新東京市にいたころの、シンジたちの中学の制服に似ていたので、朝、その制服を身につけたレイを見て、シンジは驚くばかりであった。 その姿が、ことさらに懐かしさを感じさせたということもあるだろう。 だが、新しい制服を身につけ、はしゃぐ姿を見ていると、彼女が、かつての綾波レイとまったくの別人であることを認識させられてしまう。 それでも、シンジはそこに懐かしさや安らぎといったものを感じる。その理由は彼自身にも分からない。 もしかすると、マナへの不信感の反動が、そう感じさせるのかもしれないとシンジは思っていた。 「ね、デートとか、したいね。」 「え、ええー!」 「いや?シンジさん。」 そのレイのしゃべり方は、どこか不自然である。 妙になれなれしい、というか親しげなのに、なぜかシンジのことをさん付けで呼んでいる。 というよりもシンジの名を呼ぶこと自体に何かためらいがあるように思える。 「その、シンジ、さん、てのはやめてくれないかな。」 そういう呼ばれ方はシンジのほうも照れくさいようだ。 「じゃあ・・・」 と考えるレイ。 「シンジお兄ちゃん、て呼んでいい?」 「え、い、いいよ。」 こういった状況でシンジに拒否できるはずもなく、あっさりと了承する。 実際のところはレイに魅入られていたというほうが正しいかもしれない。 どころなく、レイは初めて会ったころのマナを彷彿とさせる。 だからシンジも安心できるのだが、当の本人はその事実に気付いてはいない。 「じゃ、行こ!」 笑顔でレイはシンジの腕を引っ張る。 「じゃ、って言っても。」 困ったようにシンジは後ろを振り向くが、誰も助けてはくれない。 トウジやワカバは、どちらかというと面白そうに眺めているだけだし、ヒカリはレイとマナの顔を見比べてオロオロしている。 そして当のマナは、にこやかに、 「行ってくれば?」 と言うだけだ。 それも、嫉妬、皮肉と言った感情はまったく感じられず、素直にそう言っている。 それを如実に感じるからこそ、シンジの不安は尚更つのる。 もしかするともう、マナにとって自分は必要ないのかもしれない、という不安である。 それは完全な誤解なのだが、今のシンジにはそれが気付かない。 「ほら、マナさん、っと、じゃなくてマナお姉ちゃんもああ言ってるんだし。行こうよ。」 「昨日も行ったじゃないか。」 一応反撃らしきものを試みるが、それでレイが引き下がるとはシンジも思ってはいない。 「一日で京都中をまわれるわけないじゃない。」 理屈としてはまったくそのとおりである。 もう少しシンジが大人であるなら、というか加持のような経験をつんでいれば、レイをあしらうこともできるのだろうが、生憎シンジにそんな技量はない。 もっとも、それがシンジのいいところであろうが。 「しょうがないなぁ。」 言いながら、結局シンジはレイに従うことにした。 その行為には、多少のマナへのあてつけが含まれている。だが、当のマナはそれに動じる様子もない。 「はぁ。」 自分でも知らずのうちにため息を吐いて、シンジはレイとともに歩き出した。 「ほんとにあれでよかったの?」 心配そうな顔で、ワカバが尋ねる。 「なによ、さっきまでは面白そうな顔してたくせに。」 「それはそうだけど…」 ほんの少し、バツの悪そうな顔をする。 「ごめん、別に責めてるわけじゃないのよ。」 そんなワカバを見かねて、気を回すマナ。 「大丈夫。根拠はないけどなんとなくそんな気がするの。」 「余裕やな。シンジを信じとるというわけや。」 「まあ、そんなとこね。」 多少歯切れの悪い言い方をしたのは、理由がもっと別なところにあるから。 それでも、マナの自信に揺らぎはない。 なんとなくそんなマナをヒカリは羨ましく思っていた。 「あ、いいところで会った。」 「霧島さん。」 ふと声を掛けられ、マナが振り返る。 そこに立っていたのは、こちらも学校帰りの相田ケンスケと山岸マユミ。 端から見ると恋人同士のように見えなくもないが、残念なことに、マユミにはまったくその気はない。 ケンスケとは旧知でもあり、人見知りの激しいマユミは他の友人も少ないため、たまたま一緒にいることが多いだけである。 そして今日もまたそういった状況であった。 もっとも一緒に帰ろうかと誘ったのはケンスケのほうで、そこには多少なりとも下心があったのだろうが。 「碇君が!」 「シンジが!」 まるで今朝の状況を再生するかのように、二人はマナに話し掛けた。 「プッ。」 「クスクス。」 耐え切れなくなって吹き出すワカバに、ヒカリもつられて笑いだす。 「アハハ。」 「アッハッハッハッハッ」 それで、マナとトウジも笑い出した。 ケンスケとマユミだけが、その状況を理解できずに、ただ呆然と立ち尽くすだけであった。 「なんだ、そういうことか。」 「そういうこと。」 事情を聞き、ようやく納得するケンスケに、微笑みかけるマナ。 その笑みに、深い意味がないのはわかっているのだが、なんとなくドキドキしてしまう。 一方のマユミはちょっと恨めしそうな顔でマナを見ている。 自分の時はあんなに大騒ぎしたのに、という意味か、はたまたマナとシンジの結びつきの強さに嫉妬してか。それはわからない。 どちらにせよ、彼女がそれを表だって口に出すことはない。 だが、やっぱり自分はまだシンジが好きなのだ、とも思う。 シンジへの想いを本当に感じたのは、皮肉にもマナがいたからである。 再会して、その隣にマナがいるのを見た時、マユミはシンジが好きだったのだと、自分の気持ちを知ったのだ。 ただ、だからといってそれでどうこうしようというわけでもない。 今、シンジのとなりにマナがいるなら、甘んじてそれを受け入れることもできる。 ただの諦め、といえばそれまでだが、それが、マユミのある意味強さでもあるのかもしれない。 同じ道を、アスカには選ぶことができなかったのだから。 「じゃあ、私はここで。」 そんなマナの声でマユミはふと我に返る。 「え、どこへ?」 「夕飯の買い物があるもの。しっかりと主婦業もやらないと、シンジに見捨てられちゃうからね。」 別段、意味を込めた言葉ではないが、なんとなくズキンとするマユミ。 「あ、私も・・・」 そんなマユミには気付かず、ヒカリもマナと共に行こうとする。 「みんなは?」 「そうだなぁ。トウジ、どうする?」 「ワイは、お好み焼きでも食いにいこうかと思うたんやけど。」 トウジらしいといえばトウジらしいが、とりあえずケンスケもそれに反対する理由はない。 「あ、あたしも行く。」 こういうところで妙に迷ったりしないのワカバという少女である。 サッパリとしているのでトウジあたりも付き合いやすいタイプといえるだろう。 もちろん、それでヒカリがやきもきするのにトウジは気付いていない。 もっとも当のトウジとワカバはお互いの事をそんな目で見たことはないのだが。 ようは同性の友達に近いのかもしれない。 その意味では、"異性"としてきちんと認識してもらっているヒカリのほうが脈はあるのだが、逆に今度はヒカリのほうがそれには気付かない。 「ヒカリとマユミも行ってきなよ。」 「でも。」 「鈴原くんと、少しでも一緒にいたいでしょ?」 そうマナに耳打ちされて、真っ赤になりながらもコクンとうなずくヒカリ。 「でも、マナは?」 「うちの場合はね、シンジが帰ってくるまでに食事の用意をしとかなきゃ行けないし。」 家事、という点ではヒカリもその一切を任されているのだが、最近は妹のノゾミもだいぶできるようになっていて、幾分ヒカリの苦労も軽減されている。 姉であるコダマが一切家事をしないのは面白いところだが。 実の妹であるからヒカリが遠慮する必要もない。返ってその強すぎる責任感ゆえに、ノゾミに「たまには私に任せてくれても。」と文句を言われるほどである。 マナにしても、マナがいないならいないでシンジにだってその程度の事はできる、というよりシンジは家事が得意中の得意であるし、それを厭うような性格でもないのだが、それでもシンジに家事をさせたくない、と思うのがマナなのだ。 「霧島ってのは男に尽くすタイプなんやなぁ。シンジが羨ましいわ、ええ奥さんがいて。」 トウジさえその気なら、自分にだって簡単に手に入る幸せなのだが、当然そんなことには気付かない。 トウジ以外の人間は、すべからくその事を知っているので、思わず皆ため息を吐く。 そのため息の意味すらわからない、トウジであった。 「ちょっと買いすぎたかな。でもな〜」 買い物終え、山のような荷物を抱えてマナは家路についていた。 とてもではないが3人で食べきれる量ではない。 だがこれには理由がある。 とにかくレイが食べるのだ。食欲魔神といっても過言ではない。 かなりの買い置きがあったはずなのだが、昨日の夕飯だけでそれが消え去っている。 しかもあれだけ食べて、見た目はほっそりとしているから不思議である。 毎日この量、となると食費も馬鹿にはならないのだが、その当の生活費は冬月からもらっているのだから文句は言えない。 とはいえ買い物だけは一苦労で、さすがにこの時だけはシンジとレイを行かせたことを少し後悔したマナであった。 「はあ。」 とためいきをつくまな。そのとき。 ドンッ。 「きゃあ!」 何か、いや誰かにぶつかってマナが転ぶ。当然持っていた袋から大根やらトマトやらが道に散らばる。 「もう!危ないじゃない。」 「ご、ごめん。」 散乱した食料を拾い集めながら、マナはぶつかってきた者のほうを見た。 まだ、14、5歳の男の子である。 「ほ、ほんとにごめんなさい。」 一緒になって拾い集めながら、少年はもう一度、本当に済まなそうに謝る。 そんな少年の姿が、なぜだかシンジと重なってマナは少し可笑しくなった。 そして、マナは彼に興味を持った。 どちらかというと、マナは惚れっぽい性格である。だが、決して飽きっぽい性格ではない。 簡単に言うと、一度好きになったら、とことんまで尽くすし、裏切る、ということは決してしない。 だからこそ、かつて、シンジを騙していたことが何より辛かったともいえる。 そんなマナであるから、シンジという者がある以上、なるべく他の男には興味を示さないようにしていた。 もっとも、そんな心配をするまでもなく、マナはシンジ以外の男にひかれるようなことはなかったのだが。 だが、なぜかマナは目の前の少年から目を離せなかった。 気持ち、などというものはそう簡単にコントロールできるものではない、そういう見方もできるが、それとは少し違う。 よくよく見ると少年は所々に傷を負っている。 それも興味をひいた一つであろうが、それもまた決定的な理由ではない。 冬月ならば、冬月並みの洞察力、分析力があったなら、マナにもその理由が分かったかもしれない。 だが、どちらかといえばマナは、自分の直感に頼るタイプである。 その直感が、正しいがゆえに尚更。 感じたもの、それはレイへの想いに近い。 結局、家族への想い、みたいなものがそこにはあるのだろう。 シンジもマナも、実の家族とは縁が薄い。だが、家族の代わりになるものはいた。 だが、シンジの場合、アスカは生きているし、ミサトもまた、その死を直接見たわけではない。 もっと言えば、ミサトがどこかで生きているかもしれない、という思いもある。 マナの場合、実のところ、ムサシもケイタもあの事件の直後までは生きていた。 だが、ムサシは脱出の際に怪我を負い、その直後死亡している。 ケイタもまた、再会は果たしたものの、すでに危篤状態で、マナの目の前で息を引き取った。 "身内"の"死体"というものを間違いなく確認してしまったがゆえに、そうした家族への思いがシンジよりも強く、そして敏感なのだろう。 「君、名前は?」 「渚、カヲル。そう呼ばれてた。」 「呼ばれてた?」 とたんに怪訝そうな表情になるマナ。 マナとて、"渚カヲル"という名は知っていた。 但し名前のみで、どんな人物であったか、シンジとの関係とか、細かいことは何も知らない。顔すらも。 だから、逆に目の前の"渚カヲル"を名乗る人物にちょっとした不信感を抱いた。 シンジなら、彼が、シンジの知る"渚カヲル"とまったくの別人だと分かったであろうから。 「記憶が、ないんです。気がついたらここにいて・・・。断片的に、そう呼ばれていた、ということしか。」 そのカヲルの言葉に、嘘はないように思えた。 そしてマナは、なんとなくカヲルがほおっておけないような気持ちになった。 一種の愛情であろうか。 と、その時不意に、 グ〜、とカヲルのお腹が鳴る。 真っ赤になるカヲル。 「三日も、何も食べてなくて・・・」 ふっと微笑むマナ。 「しょうがないわね、お姉さんが何かおごってあげるわ。」 少しぐらいの寄り道はいいかな、とそんな風に考えながら。 「あれ?」 「どうしたのシンジお兄ちゃん。」 「なんでもないよ。」 そうは言ったがシンジは激しく動揺していた。 見間違えるはずはない。 今、喫茶店に入っていった後ろ姿。それは間違いなくマナである。 そして、男と一緒であった。 シンジの知らない男である。 考えてみればシンジはマナの過去を詳しく知っているわけではない。 それはマナにしても同じことであったが。 結局今の二人にはそんな事はどうでもよかった、いや、どうでもよかったはずだった。 それが今は、逆にシンジに不安を与える。 自分はマナのことを何も知らないのだと。 「シンジお兄ちゃん?」 レイが心配そうな表情を向ける。 だがそのレイの顔を見ると、余計に不安が募ってくる。 こうしてレイと二人きりでいることに対し、マナは何も言わない。言わないどころか薦めてさえいるような気がする。 『他に、好きな人ができたんだ。』 認めたくはない、信じたくもない。 なにより、マナを信じたい。 シンジとて、そうは思う。 だが、その方が辻褄が合うのも、また事実であった。 レイに自分を押し付けて、そしてマナ自身は他の男の元へと行く。 そう考えたほうが自然であるように、シンジには思えた。 築いてきた信頼が崩れるのは一瞬の事である。 一度疑いだしたら、もう止めることはできない。 『マナはもう、僕を必要とはしていないんだ。』 シンジの想いは、それで完結した。 |