西暦2019年。 サードインパクトから4年が過ぎた。 それまでの15年が、戦いと、悲しみと、苦悩の歴史であったのに対し、この4年間は余りにも平和であった。少なくとも表向きは。 口さがない者は、「戦争でないというだけの消極的な平和。」と悲観的な見方をする。 確かに、人々はただ二度の災害に疲れ果て、戦う気力を無くしていただけ、と言うこともできる。 恒久的な平和などありえない。人の歴史が戦いの歴史であり、この世から永遠に争いを無くすことはできないということも、真実であり、人の運命なのだから。 それでも確かにここに平和はある。そして、セカンドインパクト以降に生まれた者たちにとっては、間違いなく、生まれて初めての平穏な時なのだ。 ここにいる女性にとっては特に。 −惣流・アスカ・ラングレー− 幼いときよりエヴァンゲリオンのパイロットとして、常に戦いの中に身を置いていた彼女にとっては。 だが、その表情にはどこか影がある。 ドイツに戻ってきた彼女は、大学へと入った。いや、戻ったというほうが正しいかもしれない。 特に何かを研究している、というわけではない。仲間と遊び歩き、何かの憂さを晴らすかのような毎日であった。 もっとも、仲間、といっても心から親友と呼べる人間は1人もいなかったが。 「惣流・アスカ・ラングレー?」 そんなある日、不意に道でアスカは呼び止められた。 「ア、アンタ!」 そこに立っていたのは、アスカが、綾波レイ、霧島マナに次いで、天敵と目している女性であった。 「マリィ、マリィ・ビンセンス。」 「お久しぶりですわね。相変わらずのようね。」 「はん。おかげさまでね。」 悪態を叩き合うが、その方が、アスカが生き生きとして見えるのは、気のせいであろうか。 「なんでこんなところにいるのよ。」 「ご挨拶ね、あなたを保護してさしあげようと、わざわざドイツくんだりまで来てあげたというのに。」 「保護?」 高飛車なのは今まで通りだが、あまりにも奇異なその言い回しに、アスカは思わず顔をしかめた。 「シンジ君たちが狙われている?」 冬月から話を聞かされ、日向マコトは驚いた。 「でも、副司令、じゃなかった司令代行の話じゃ・・・」 その驚きを、青葉シゲルが続けた。 「我々の予想を越える事が起きた、という事だ。もっとも、正確には彼らの予想をわれわれが越えてしまったから、らしいがな。」 「使徒をすべて、それも人が人のままで、倒してしまったから、ですか?」 今マヤが言ったことからも判る通り、彼らも、既に多少の裏事情は知らされていた。 だが、それでもすべてを知っているというわけではない。 それでも、今までに聞いた事情からすれば、少なくとも今現在、シンジとマナには危険はないはずであった。 「彼らが恐れているのは、他ならぬエヴァンゲリオンのパイロットとしての、碇シンジだ。」 「でも、シンジ君と、霧島さんでしたっけ?その二人を殺してしまったら…」 怪訝そうな顔でそう冬月に尋ねたのは、三笠マリコという女性である。 冬月の、大学教員時代の恩師の娘である。 セカンドインパクトで両親を失い、以来、冬月夫妻の元で育てられていた。 その彼女が、昨年、20歳になると同時に、冬月の仕事を手伝いたい、と言い出した時には、さすがの冬月も驚きを隠せなかった。 実の子ではない、とはいえ、20年近くも一緒にいれば、我が子も同じ。その我が子を、命の危険のある仕事に就けたいと思う親はいないだろう。 当然、冬月は反対したのだが、彼女の強固な意志と、なぜかマリコに賛成した妻の剣幕に負け、不承不承ながら自分の元で働く事を許可する羽目となった。 なぜ、そこまでマリコが強硬に主張したのか、冬月にはわからながったが、ここへ連れてきて、そのわけが判った。 そして、おそらく、妻がその事に気付いていただろう事も。 やはり"父親"というのはそういう事に疎いのだな、と冬月は苦笑した。 もっとも、そんな冬月でも、日向に対するマリコの態度を見ていればさすがに気付く。 彼女が、日向マコトの事を好きだという事に。 思えば、上司と部下、という関係からか、特にサードインパクト以降、日向や青葉が冬月の家を訪れる事が多かった。 考えてみれば、これも自然な事なのかもしれない。 「そうですよ、彼らにとっても二人は必要なはず。」 そんなマリコの疑問を継いで、マコトがそう言う。 彼の中には、いまだ、葛城ミサトへの想いがあった。 無論、マリコとてその話は知っている。だが、それで諦められるようなら、はじめから恋愛などしない。 だから、尚更マコトに対し、甲斐甲斐しく世話をしてみせる部分が、彼女にはあった。 生半可な事では、死んだ人間には勝てないのだから。 そしてその気持ちを、マコトは気付いていた。 そういう想いをぶつけられるのは、悪いものではない。 それはちょうど、シンジとマナの関係にも似ている。 それが判るからこそ、尚更マコトはあの二人を守ってやりたいと思うし、また、自分自身も幸せになってみせるという意志がある。 ミサトを忘れる事はできなくとも、ミサトを越えていくために。 死ぬためでなく、生きるために、彼らは戦っているのだから。 「彼らには彼らなりの裏技があった、という事さ。」 部下を信頼していないわけではないが、冬月はどこかはっきりしない言い方をした。 だが、意外にも、その部下たちの意見は、はっきりとしていた。 「でも,ま、簡単な事ですよね。」 そんなシゲルの意見が、すべてを物語っている。 「シンジ君がどうこう、って言う前に、僕ら自身が生きていかなくちゃならない。」 「そうだな、そしてそのためには。」 「"彼ら"は、倒さねばならん、か。」 結局悩む事ではない。諸処の事情はどうあれ、それこそが、彼らがなさねばならぬ、唯一絶対の事なのだから。 「時田くん、武器の用意はいいかね。」 「はい、冬月司令。」 そこにいるのは時田ワカバの兄、時田シロウである。 かつては、ネルフと反目する立場にあったが、現在は冬月のもとにいた。 別段、彼とて、好んでネルフに反目していたわけではない。 行き場のない正義感、自らの能力を生かせない苦痛、そんなものの表われである。 だから、その能力を買われ、それが世界のため、と言われれば、喜んで協力する。そういう男であった。 冬月たちにしても、彼の能力は喉から手が出るほど欲しいものである。 戦自もネルフも壊滅、世界中がいまだ混乱期にあるがゆえ、防衛力か欠如していても、他国とて攻め入ってくるだけの力がないから、安穏としていられるだけの話で、将来的な事を考えれば、防衛組織というものは必要不可欠である。 そうなれば、当然兵器というものも必要になってくる。 その手から武器を手放すほどには、まだ人間は成熟していないのだ。 赤木リツコを失った今、そういった開発のできる人間は必要であるというのが冬月の考えであった。 "将来"ではなく、今まさに、冬月たちは戦わねばならないのだから。 「もうちょっと時間があれば、"トライデント"でも"JA"でも調達できたんですけどね、。」 時田の隣にいる、若い技術者が冗談めかしてそう言う。最上トモアキという男である。 「仕方ないさ、時間との勝負だよ。我々も、彼らもな。」 そう言って冬月は前方を見つめた。 そこには青く美しいエーゲ海が広がっている。 冬月たちの地道な努力は、着実に実を結ぼうとしていた。 "ここ"に彼らがいる事は確かなのだ。 「ここで彼らを殲滅できれば、」 「怯えながら生きていく事もない、か。」 「ようするに、世界征服を企む奴等がいて、で、エヴァパイロットであるアタシたちが邪魔だ、と。そいういうわけね。」 「そういう事ね。だからわざわざこのわたくしが来てあげたのです。」 実際は、多少、いやかなり事情は違う。 マリィもまた、冬月とともに活動をしていた。 旧ネルフの人間が、現在どれだけ冬月のもとで動いているかは定かではないが、その概要は新生ネルフといってもよい。 現時点で、全ての事を知るのは冬月のみであるる。 だが、そういったシステムは旧ネルフ時代からそうであったので、それに対して文句を言うものはいない。 末端のものがすべてを知るほうがよほど危険である。 それでも、階級というか、冬月との位置関係に応じ、それにそっただけの情報は与えられている。 マリィなどは、旧ネルフ時代からの立場なども含めれば、どちらかといえば冬月に近いし、当然、それ相応の情報は与えられている。 けれど、アスカに説明するには、この方がいい、というマリィの判断であった。 事実は、もちろんそれだけではない。すべてを説明すれば、それは確実にシンジに関係してくることでもある。 それも、その話が、間違いなくアスカにとっては辛い話になるであろう事も、マリィは知っていた。 恋愛経験はないが、それでも好きな人と一緒になれない、という事実が辛いものだ、ということぐらいは分かる。 「でも、おかしいじゃない。」 「なにが?」 「エヴァのパイロット、っていったって、当のエヴァが既に存在しないのに。アタシなんかになんの価値があるんだか。」 多少自嘲気味にそういうアスカ。だが、その彼女の意見は間違いではない。 「さあ、向こうだってこちらのすべてを把握しているわけではないでしょうから。」 「ないものに怯えてるってわけだ。たいした連中じゃないわね。」 「それはそうかもしれないけど、あなたが狙われているのは確かなことですわ。」 多少投げやりな言い方のマリィ。 「ほっといてくれりゃいいのに・・・」 「そうしたいのは山々なんですけれども。」 「そういうわけにはいかないいでしょう。」 そう言ったのはマリィではない。 「アンタ誰よ?」 不意に現れたその女性に、アスカは尋ねた。 「リリー、リリー・マルレーンといいます。一応医者という事になりますかしらね。まだ卵ですけれど。」 リリーと名乗る女性は、そういって微笑んだ。どちらかといえば、アスカが苦手とするタイプの、微笑みである。 「人一人の命というものは、そんなに軽いものではありませんわ。分かっていて見殺しになどできないでしょう?」 「ハッ、アタシの命なんて・・・」 「強がるものではないわ。」 すべてを見透かしたような、見抜いているかのような笑み。 「なんで出ていらしたの?」 不意に現れたリリーに毒づくマリィ。 そんなやり取りからも推察できるように、彼女もまた、冬月のもとで動いていた。 マリィとともに、である。 だが、どうやらマリィは彼女とあまり反りが合わないようだ。 「あなたに任せておいたら、埒があかないように思えたんですもの。やっぱり説得にはマリィさんは向いていませんわね。」 まあ確かに適任、とは言い難い。単に旧知であったから、マリィがこの役目を押し付けられただけの話だ。 とはいえこんな言い方をされれば、カチンとくる。 「だからといって、あなたに向いてるとは思えませんけど。」 「あら、マリィさんよりは、マシだと思いますが。」 「マシ、とはなによマシ、とは。」 「恋愛経験もないお子様では、人の気持ちなど推し量れない、という事です。」 「同い年のくせに偉そうですわね。だいたいあなたの場合は、単に男にうつつをぬかしているだけ、ではありませんの?」 そんな嫌味も、リリーはさらりと受け流す。恋愛経験云々はともかく、精神的には、ややリリーのほうが上手なようだ。 「好きな人といられる、というのはそれだけで幸せな事ですもの。でも、それで任務を忘れる事はありませんわ。あなたがカーっとなってしまうのとは違って、ね。」 だが、その言葉はアスカには少し痛い。その道を選べなかったからこそ、今彼女はここにいるのだから。 「まあまあ、15も年上の男に、よくもそこまで思い入れられること。」 「愛があれば、歳の差なんて。」 そこまでリリーが想いを寄せる男、その名は時田シロウ、つまりあの時田である。 さて、こういった状況は、アスカにしてみれば面白くはない。 だいたいが、物事の中心にいたがる性格である。 ましてや、話題の中心は紛れもなく自分であるはずなのに、気がつけばなぜかのけ者にされている。 当然腹が立ってくるところではあるが、それと同時にアスカはもう一つ、別の感情が湧きあがってくるのを感じていた。 生きるための活力、とでもいおうか。 往々にして、強い感情というものは、人を動かす衝動へと変わるものだ。 シンジと別れ、抜け殻のような生活を続けていたアスカにしてみれば、それはある意味、転機とも言えたかもしれない。 まだまだ完全とは言い難いが、かつての"惣流アスカ"の復活の兆しといってもよい。 だから、アスカは一つの決意をした。 「で、その敵ってのはどこにいるわけ?」 じゃれあいを続けていたマリィとリリーであったが、そのアスカの言葉に思わず手を止める。 「それは・・・分かりませんわ。」 先ほどまでの言い合いとはうってかわって、リリーがどこか曖昧な言い方をするのは、それが嘘であるからである。 ドイツに来る前に既に彼らの居場所は知れていたし、冬月たちがそこを攻撃する、ということも知らされていた。 ここへきたのは、アスカへの牽制の意味もある。 だいたい、命を狙われているからといっておとなしくしているようなアスカではない。 隙あらば逆に打って出る、という事ぐらいはしかねないだろう。 それがわかっているからゆえの"保護"でもあった。 そしてその考えは実に正しい。 「冗談じゃないわね。むざむざ殺されるのを待つなんて、性に合わないわ。」 「だから、わたくしたちがこうして・・・」 「知ってるんでしょ?やつらの居場所。」 それはたぶんに張ったりなのだが、こうもはっきりと断言されてしまうと、思わず顔に出てしまう。 「行くわよ。」 「い、行くって、だから居場所なんて・・・」 「アンタたちが、知ってるでしょう?」 そのアスカの物言いに、思わず顔を見合わせる二人。 思わずため息を吐く。 こうなった以上、彼女たちではアスカを止める事はできないのは明白であった。 ただ、なんとなくマリィにだけは、ほっとしている部分もあったかもしれない。 この方が、アスカらしいという思いである。 戦いの中で生きてきたから平和の中では生きていけない、という事ではない。 ただ、考えようによっては、その方がまだいいのかもしれない。 戦うことで、一時でもシンジを忘れようとする、悲しい思いがそこにはあるのだから。 それでも、ようやくアスカはアスカらしさを取り戻しつつあった。 それは紛れもなく、マリィの知る、惣流・アスカ・ラングレーの姿である。 「しょうがないわね。」 そんなマリィやアスカの事情は知らなくとも、アスカを止める事ができないのはリリーにも分かったし、生き生きとしたアスカの表情を見れば、何も言えなくなる、というのが本当のところであった。 どこかで、時田の元にいたいという気持ちがあったせいかもしれない。 だから、任務として、それが失敗であると理解しつつも、アスカとともに向かう事を、心に決めた。 決戦の地、エーゲ海へと。 |