「「マナ!」」 翌朝登校してきたマナのところへ、二人の女生徒が駆け寄って来た。 二人ともマナの親友である。 一人は洞木ヒカリ、もう一人は時田ワカバという。 「碇君が!」 「碇が!」 異口同音にマナの元に詰め寄ってくる。 その言葉と表情で、マナには二人が何を言いたいのかが分かった。 「見知らぬ女の子と、デートしてた、でしょ?」 そのマナの言葉にコクコクとうなずく二人。 「って、知ってるならなんでそんなに平然としてるのよ。」 ショートカットの、ボーイッシュな少女−ワカバ−のほうが立ち直りが早かったらしく、そうマナに突っ込む。 「やきもち焼きのアンタが。山岸の時なんて大変だったじゃん。」 そのワカバの言葉に一瞬ウッとなるマナ。 山岸。山岸マユミ。マナの知らない、シンジを知る少女。 シンジたちが高校に上がった時、彼らは彼女と再会を果たした。 彼女が、京都にいて、相田ケンスケと同じ高校に入学したというのは、まったくの偶然であり、別に彼女がシンジを追ってきた、とかそういった経緯があるわけではない。 それでも、再会し、シンジを顔を見て、頬を赤らめているマユミをみれば、マナならずとも不機嫌になる。 シンジが好きならば。 マナの性格上、嫉妬といってもそうドロドロとしたものではなく、端から見ればかわいいとさえ思えるのだが、当事者であるシンジには切実な問題であった。 結局、マナの機嫌を直すのにシンジは相当苦労する羽目となったのである。 今でこそ、マユミとも親友と呼べるような間柄だし、笑って済ませられる話ではあるが、それでも、マナがやきもち焼きである、という事実は確かに残るし、実際ワカバやヒカリが気にしたのもその点にある。 「なんとなくね、あの子は許せるって感じがするのよ。」 といわれてもワカバやヒカリにそのマナの感覚は分からない。 「ははーん。」 ふいにワカバが意地悪そうな顔をする。きょとんとするマナとヒカリ。 「さてはあんた、碇としたわね。」 「は?」 「な、なにいってるのよワカバ、そ、そんな訳ないじゃない、ねえマナ?」 なぜかマナよりもヒカリのほうが真っ赤になって、焦ったように叫ぶ。 「してないわよ。」 当のマナは平然と受け流す。 「うーん、その余裕の態度からして、ついにしたかと思ったんだけど。違ったか。」 「まったくワカバったらなにを言い出すかと思えば。」 ようやく少し平静さを取り戻すヒカリ。 「そお?高3にもなれば当たり前じゃないの?」 いわれてちょっとひるむヒカリ。 だがすぐに立ち直る。 「実際のところマナと碇君てどこまでいってるの?」 ヒカリも女子高生。多少はそういったことに興味があるようだ。 「キス、は何度もしたけど…」 素直に答えるマナ。 「ふーん結構奥手なのね。マナにしては。」 「ちょっとヒカリ、その私にしては、ってのはどういう意味?」 怖い顔でヒカリをにらむマナ。 「え、あ、いや、マナってほら、積極的そうだし。」 「そりゃ、ヒカリよりは積極的ですけど。」 その言葉に今度はヒカリのほうがウッとなる。確かにそう言われては言い返せない。 「だいたい人の事より自分はどうなのよ、ちょっとは進展したの?鈴原くんと。」 ここぞとばかりに反撃に出るマナ。この辺の攻撃の組み立ては見事である。 「わ、私と鈴原は…別に、そんな仲じゃないし。」 「でも、毎日お弁当まで作ってあげてるじゃない。」 「あ、あれは、鈴原のうちは誰もいないし、私が作ってあげないと、他に作ってくれる人とかいないし…、大体お弁当なんてマナだって碇君に毎日作ってあげてるじゃない。」 なんとか反撃を試みようとするヒカリ。だがこの反撃は薮蛇だった。ちなみにワカバはさっきから横でこのやり取りを面白そうに眺めている。 「私とシンジは恋人同士だもの。一緒に住んでるんだし。そうか、ヒカリも鈴原くんとそういう関係になりたいのね。」 そのマナの台詞に思わず"同棲"という言葉が頭に浮かび、真っ赤になるヒカリ。 「ま、50歩100歩ね。両方とも奥手なわけだ。」 さっきまで黙っていたワカバが割ってはいる。 だが、その一言が自分にとって余計だったとは気づいていない。 「ワカバにだけは言われたくないなぁ。」 「そう言えばワカバは好きな人とかいないの?」 まがいなりにも彼氏(のようなもの)のいる二人に対し、ワカバには男っ気がない。 その容姿と、性格のせいもあってか、男子よりも女子のほうに人気があったりするのが彼女の悩みであった。 「あたしは、関係ないでしょ。」 とは言うが、これは強がりである。 「そうよね。ワカバはお兄ちゃん一筋だもんね。」 ワカバの兄とは、ロボット兵器JAの開発主任であった時田シロウである。 もっとも、ケンスケのような武器マニアや、シンジのように実際にその目で見たことのあるもの以外、JAの存在を知るものはいない。 実の妹であるワカバでさえ、その名を聞いたことがある程度である。 どちらにせよ、健全な女子高生の興味をそそる話題ではない。 元軍関係者であるマナは、さすがにその存在を知っていたが、JAが暴走しそれをシンジとミサトが止めた、などということまでは知りはしない。 そして、時田が今一つのロボット兵器、"トライデント"の開発に携わっていたということも。 マナとヒカリが知っているのは、時田が優秀な技術者で、ワカバと二人暮らしである、ということぐらいである。 「そっかー、ワカバってブラコンだったんだ。」 「ち、違うわよ。誰があんな兄貴!」 「まあまあ、無理しなくてもいいの。二人っきりの兄妹だもんねぇ。」 「私なんかお姉ちゃんと妹しかいないから、お兄ちゃんってどういう物か分からないもんなぁ。」 「私なんて一人っ子だもの。余計に分からないわ。」 といいつつも、マナはムサシの姿を思い描いていた。ワカバの兄への想いとはまったく違うだろうが、マナにして見れば、ムサシこそが兄のような存在だったからだ。 だがマナは、シンジと暮らすようになってからムサシの名を口にしてはいない。 それはシンジも同様で、この4年間、シンジはアスカやミサト、そして綾波レイの名を口にしたことはなかった。 結局、うまくいっているように見えて、この二人の関係はまだまだ不安定なのかもしれない。 だが、その不安定さにマナは気づいていない。だからレイを素直に受け入れてしまったとも言える。 「だから違うってば、あたしは男なんかに興味はないんだってば!」 本当は興味があるのだが、なんとなく素直に言えないワカバ。 そんなワカバの言葉に、マナは大袈裟に驚いてみせ、あとずさる。 「ま、まさかワカバにそんな趣味が合ったなんて。私は駄目よ。私はシンジ一筋なんだから。」 ハァ?、という顔をするワカバとヒカリだったがすぐにマナが言わんとする言葉の意味を悟る。 「だ、駄目よワカバ、女同士でなんて。不潔よ!」 「な、なにいってんのよ!そんなわけないでしょ。」 「どうだか。」 意地悪そうな視線を向けるマナ。 「マナ、そう言う誤解を招く発言は…」 「誤解も六階もないわ。」 顔を両手で覆っていやいやをするヒカリ。 「だからぁ」 「まったく、女ってのはどうしてああ騒々しいんやろなぁ。」 そんな3人のやり取りを見つめ、トウジはそうつぶやいた。 そんなトウジの呟きを聞いて、シンジは苦笑いをする。 「でも、潤いがあっていいじゃない。」 「お、センセ。ずいぶんと大人の発言やなぁ」 「ケンスケが言ってたんだよ。」 やはり3馬鹿の中ではケンスケが一番大人のようだ。 そのケンスケだけ女っ気がないのはなんとも皮肉な話だが。 もしかすると女っ気がないから逆に大人びた考えが身についてしまったのかもしれないが。 「あいつも女に縁がないからなぁ」 分かったような口を利くトウジ。 「ま、わいも同じやけどな。」 『洞木さんも可哀相に。』 とシンジも思わないでもないのだが、それを口にはしない。 シンジの口からトウジに言ってやれば、それなりに効果があるはずなのだが。 どこまでもお子様な2人であった。 「で、彼女はいったい何者なの?」 状況の不利を悟ったか、ワカバは強引に話を戻した。 「あのね、冬月さんっていって、ヒカリ知ってるかな?」 「確か、ネルフの副司令、だった人よね?」 ヒカリのような一般人にまで知れているあたり、ネルフの機密保持も危ういな、とマナは一瞬考えたが、すぐに、公開してもいい情報とそうでない情報をうまく使い分けることが、組織としては重要なのだということも思い出していた。 組織とはそういうものなのだ。 「そう、その冬月さんの知り合いの子でね。うちで引き取って欲しいって。やっぱり同世代の子が一緒のほうがいいだろうってのが理由でね。」 その理由は、マナが自分で付け加えたものである。 自分やシンジであるなら、正体不明であっても、なんとなく自分の勘で受け入れることができる。だが、ヒカリやワカバたちには、やはりそれなりに理由が必要なのだ。 ましてや、裏に何か事情があるならなおさらである。変なやつに悟られても困るし、ヒカリたちに心配もかけたくない。そんなマナなりの配慮であった。 「ふーん、ならなおさら、よく承諾したわね。一緒に住むなんて危なくない?」 そういうワカバの心配はもっともである。というか、本来ならむしろマナがそういう危惧を抱くべきなのだ。 もっとも、マナの考えている危惧と、ワカバの言う"危険"には多少ニュアンスの違いがあったが。 「あ、危ないって、なに考えてるのよワカバったら。」 ヒカリの考えている通りの事である。 そもそも彼女たちが考えるような"危険"があるなら、真っ先にマナがその被害者になっているはずである。 何しろマナは"恋人"なのだから、そういうことがあってもおかしくはないし、また、それが咎められるようなことでもない。 やるならどうぞ、という、男としてはかなり羨ましい状況だとも言えるだろう。 むしろマナとしてはそれを望んでいる節すらあるのだから。 それがいまだにその気配すらないのだから、その種の心配は無用と言える。 「そういう馬鹿な話は置いといて、」 そんな自分の内心の想いも置いといて、マナは話を続けた。 「なんかね、落ち着くって言うか、安心できるのよ。あの子は。」 その想いの元を、マナはいまだ掴めずにいたが、レイの笑顔を見ていれば、そんな事は些細なものだと感じるのが実状であった。 「妹みたいな感じ、かな。」 「ふーん。妹に足元をすくわれなきゃいいけどね。ね、ヒカリ。」 何やら含みのある言い方をするワカバ。 特に意味があったわけではないのだが、なんとなく不安感を覚えるヒカリであった。 実のところ、妹であるノゾミや姉であるコダマがトウジを好きになる可能性はないのだが、それでもそこはかとなく不安になるのは、ヒカリといえばヒカリらしい。 「で、なんていうの?その子。」 「え?」 「名前よ名前。マナの妹代わりなら、これから先あたしたちにも関係あるんだし。」 そうワカバに言われて多少戸惑うマナ。 ワカバはまだしも、ヒカリに対してこの名を告げるのは、多少ためらいがある。 「どうかしたの?マナ。」 そんな気持ちを知ってか知らずか、ヒカリが心配そうに声をかける。 どちらにせよ、ここで余計な心配をかけることもない。 偽名でも使おうかとも思ったが、それで変にレイに気を遣わせるのも悪いし、何より自分が後ろめたい。 そういう後ろめたさを背負い込むのがいやだ、という点では、マナとアスカは似ているのかもしれない。 そんなわけで、ためらいつつもマナは素直に言うことにした。 事情を考えればこの名も偽名なのかもしれないが、どちらにせよマナはそれしか知らないのだからしょうがない。 マナは少し、冬月を恨めしく思った。 実は、冬月自身レイの本名を−なんとなく悟ってはいるが−正確には知らないのだが。 「うーんとね。」 「うん。」 「綾波、レイちゃんていうのよ。」 案の定、ヒカリは驚きとも戸惑いともなんともつかない表情をした。 ワカバには、その意味が分からなかった。 「綾波、レイか。」 横で盗み聞きしていたトウジにとっても、その名前には多少の驚きがあった。 「なんぞ、関係があるんかいな?」 とシンジに尋ねるが、シンジ自身、何も知らされていないのだから答えようがない。 シンジは黙って首を横に振るだけであった。 「そうか。」 それで、納得できてしまうところが、トウジのいいところなのだろう。 フォースチルドレンであり、ネルフという組織の特異性を知っている、というのを抜きにしても、彼の性格ならそう答えていだだろう。 配慮、とか気配りではない。悪く言えば思慮が足りないとも言えるものである。 しかし、それこそが彼独特の、ヒカリが好きになった、優しさでもあるのだ。 今のシンジには、そのトウジの性格がありがたかった。 彼にして見れば、レイ云々の問題より、もっと引っかかるものがあったからである。 それはくしくも先にワカバが言った通りの事。 シンジにはマナの気持ちが見えていないのだ。 こうして4年間一緒に暮らしてきて、マナが自分を必要としてくれている、と頭では判っていても、どうしてもそれを信じきれない自分がいる。 人から愛される自信がない。父ゲンドウと同じである。 ここにいてもいい、という、受け身な、消極的な存在理由しか許容されなかったせいかもしれない。 マナがシンジに求めているのはそんなものではない。 もっと積極的な、"ここにいてもらわなければ困る"、"ここにいなくてはいけない、いて欲しい"と言う存在理由である。 "焼き餅"というのはその気持ちを端的にあらわしているとも言えるのだ。 そんな部分があるから、そんなマナの想いに戸惑い、困りながらも、どこか安らぎというか心地よさのようなものを感じるのである。 だから、ワカバと同様、マナが焼き餅を焼かない、というのがなんとなく変だ、と感じるのである。 だが、実際は、シンジが考えている以上に、シンジの内面は深刻であった。 ワカバの思いとは根本的に違う、不安があり、そしてやがて不信感へと変わっていく。 マナを愛しているのに、いや愛しているからこその想いでもある。 ただ、それをシンジは自分の中で消化しきれない。 加持あたりなら、それを自覚し、その上でどういった行動を起こせばよいかが判る、だが、今のシンジはまだまだ子供なのだ。 沸き上がってくる不信感を、押さえ切れないほどに。 |