軍に追われないようにする為、別人として生きていく。マナの生存を確認したゲンドウの決断であった。 だがそれは言い訳でしかない。別に軍を恐れる必要があるわけではないのだ。ネルフで保護し、シンジのところに住まわせたところで、それほど問題があるわけではなかった。 ミサトや加持をはじめ、シンジも含めてマナを守ることのできる人間がいないわけではないのだから。 全てはゲンドウの思惑通りであった。 唯一の失敗は、加持に真実を告げなかったことであろうか。 その結果、加持はシンジにマナの生存を伝えてしまう。 たとえ今、別れなければならないとしても、生きてさえいれば希望は持てる。死んだことにしておけば、マナのことを忘れる、とはいわないまでも、マナと結ばれる、という希望を持つことはない。 つまり、シンジとマナを決定的に引き離すチャンスを生かしきれなかったことになる。 だが、本当にそれはゲンドウの失策だったのであろうか? もしかすると、ゲンドウにも迷いがあったのかもしれない。そして、それと同じぐらいのシンジへの愛情も。 「まるでロミオとジュリエットだな。」 「兵士になれば女の幸せとは無縁。更に敵同士であるならば接点すらなくなる。彼女の両親が、彼女を軍に入れたのはそんな理由だったが・・・。逆効果だったというわけだ。」 「だから、人生は面白いのかも知れんな。」 冬月の口調はゲンドウをからかうような響きがあった。 真実は知っている。ゲンドウのやろうとしていることが、正しいとはいわないまでも間違ってはいないということも。 だが、それがユイの想いとは正反対であることも知っていた。 人類を破滅に導く可能性があるとしても、冬月はやはりユイの想いに答えたかったのかもしれない。 「そうだな。」 だが、そんな皮肉めいた意見に、ゲンドウはそう答えた。冬月としてもその答えは意外だったが、結局はゲンドウも根底ではユイと同じ想いを抱いているようにも思えた。 「全てはシンジが選べば、いいのかも知れんな。」 その言葉こそ、ゲンドウの本当の本音だったのかもしれない。 「マナ・・・」 再び舞台は京都に戻る。 「会いたかった、シンジ。」 シンジの胸に顔を埋め、マナは涙を流す。 「ちょっと、いつまで抱き合ってんのよ。」 アスカに突っ込まれ、真っ赤になって、慌てて離れる二人。そして、お互いの目が合い、クスリと笑う。 アスカにしてみれば、これほど面白くない状況はない。だが、シンジもマナも、それに気付くことはない。 「とにかく、中に入って。何もないけど。」 そう言ってマナは二人を部屋へと招く。まだ顔を赤くし、けれど嬉しそうにシンジは中へと入る。対照的にアスカはニコリともせず、シンジの後に続いた。 「でも、本当にうれしい。シンジやアスカさんがわざわざ来てくれるなんて。」 お茶の用意をしながらマナが話し掛けてくる。 シンジも手伝おうと思ったのだが、「お客さんなんだから。」言われ、今はアスカと二人でソファーに腰掛けている。 「あんたが来て欲しかったのは、シンジだけしょ。」 マナの言葉に対して、刺のある口調で返すアスカ。 「そんなことありません。アスカさんにだって、会いたいと思ってました。」 「は、どうだか。」 それがマナの本心であることはアスカにも判っていた。そういう女なのだ。兵士でありながら、どこか優しすぎる。誰に対しても心から好意的な態度をとる。 それがマナの良さであり、シンジがひかれたところであり、そしてアスカの嫌うところでもある。 アスカにしてみれば、マナのそういうところが、かえって癇に障るのだ。愛想を振りまく嫌な女。 だが、本当はそれが自分にない、自分が欲しいものを見せ付けられているような気がするからである。マナにそのつもりがないから、なおさらそう思う。 素直になりたい。けど素直になれない。アスカのジレンマがそこにはあった。 「アスカ、やめろよ。マナが可哀相じゃないか。」 止めに入るシンジの言い分はもっともなのだが、それがまたアスカを苛立たせることに気付いてはいない。 黙りこくるアスカ。一応は矛を収めた格好だが、だからといってシンジの意見に同意したわけでも、マナを認めたわけでもない。 「そういえば、他の皆さんはお元気ですか?」 黙ってしまったシンジとアスカ。その重い雰囲気に耐え兼ねて、マナは、努めて明るく、そう切り出した。その言葉がいかに不用意だったか、考えることもなく。 「死んだわ。加持さんもミサトも、みんな。」 冷たく、突き放すような言い方をするアスカ。 「ごめんなさい。知らなかったから。」 それに対し、アスカは何も答えない、いや答えられない。 それは腹立たしさのため。だがマナに対する苛立ちではない。そんな言い方しかできない自分への苛立ちである。 再び重い沈黙。 「マナのほうはどう?友達とかできた?」 険悪な雰囲気になるのを避けようと、シンジが慌てて話し掛ける。 「こっちに来て、友達もいっぱいできたよ。」 そんなシンジの配慮を悟ってか、どこかほっとしたような口調でマナは答えた。 「そう、お父さんやお母さんにはもう会った?」 「ううん。お父さんはサードインパクトの中で死んだって聞かされたけど、それ以外は…」 うつむくマナ。 「ごめん、辛いこと思い出させちゃって。」 「優しいね、シンジは。」 相手を思いやる。シンジの言葉にそんなシンジの優しさ、はじめて出会ったころと同じ優しさを見つけ、マナは微笑んだ。 「会いに行かないの?お母さんに。」 「行きたいとは思ってる。でも…」 「大丈夫だよ。軍はもうなくなったって、冬月さんも言ってたし。だからもう偽名を使う必要もないし、お母さんにだって自由に会いに行ったっていいんだよ。」 「そうなんだ。」 実のところマナにとって問題なのは、そういった諸処の事情よりも、彼女自身の気持ちの問題である。 ようは何かきっかけが欲しいだけなのだ。 そして、シンジが来てくれたこと、それは彼女にとってこの上なく、良いきっかけであるように感じられた。 「そう言えば、シンジはどうしてここへ?」 そんなことを考えているうちに、シンジがなぜここに来たか、その理由をマナはまだ聞いていなかったことを思い出した。 「それは…」 シンジはマナと別れてから何があったか、そして自分がどうしてここへ来たか、そのすべてを話して聞かせた。 シンジにとってマナに隠すことなど何もなかったからである。 アスカはそれを、ただ黙って聞いているだけだった。 「じゃあ、シンジはここで私と一緒に暮らすの?」 「うん、マナが嫌でなければ…」 「私は、嬉しいよ。一人よりみんなで暮らしたほうがいいにきまってるもん。シンジもアスカさんも大歓迎!」 「よかった。ね、アスカ。」 心から嬉しそうに、そしてホッとしたような声でシンジは言った。 だが、返ってきたアスカの返事は・・・ 「アタシはいや。」 「何で!?」 思わずシンジが詰め寄る。 シンジにはアスカがなぜそんな事を言うのか判らなかった。 それはシンジがアスカの気持ちに気付いていないことの裏返しでもある。 そしてアスカは、そんなシンジの内面を知っている。 だから,いやなのだ。 「なんでもよ!」 「どうしてそんなに我が侭ばっかり言うんだよ!せっかくマナが・・・」 シンジにしては珍しく、声を荒げる。 「うるさいわね!だったらあんただけここに住めばいいでしょう!」 そう言い残しアスカは外に飛び出していった。 飛び出した理由は、自己嫌悪。嫌な女、自分でもそう思う。そしてここにいると益々そうなる。 だがその気持ちを押さえられない。 嫉妬だと、認めてしまえばこれほど楽なこともないだろう。だが、アスカのプライドはそれを許さない。 それどころか、アスカ自身、シンジを好きだという気持ちすら認めてはいない。 だが、否定すればするほどに、そういう思いは強くなっていくものだ。 「アスカ!」 慌ててアスカの後を追おうとするシンジ。だが、 「行かないで!」 「マナ?」 「行かないで、シンジ。」 シンジにしがみつくマナ。 あまりに咄嗟の事である。シンジどころか、当のマナでさえ、その行為の意味を図りかねていた。 どこかにシンジをこのまま行かせるべきだ、という気持ちもあった。その方がシンジのためだから。 だが、アスカ以上に、マナも怖かったのである。シンジを失うことが。 けれど、それでシンジを止められるとマナは思ってはいなかった。 アスカとて、我が侭を自覚はしているが、その原因を自分自身で把握できてはいない。だから、変な話だが、気持ちに迷いが合っても、行動に迷いがない。というより、行動に考えが伴っていないのだ。 こういう場合我が侭の裏に理性があるほうが不利になる。とことん感情的になったほうがいい場合もあるのだ。 ただでさえ、アスカにはシンジと一緒にいた時間、という絶対的なアドバンテージがある。 "今の"自分にシンジを止めることはできない。それがマナの正直な思いだった。 そしてシンジの内面もまた、マナが想像したとおりのものであった。 マナのことはもちろん好きだが、今現在、自分にとって大切なのはアスカである。 『放してよマナ。僕は、アスカを追わなくちゃ行けない。』 そう言おうと開いたシンジの口から出た言葉は、しかし全く違うものだった。 「僕はどこにも行かない。ずっとマナのそばにいるよ。」 「シンジ・・・」 マナにとっても意外すぎるその答えだったが、そういわれて嬉しくないはずはない。 『アスカさんを追って。』という言葉を飲み込んで、マナはただシンジに抱き付いていた。 シンジもまた、自分自身の言葉に衝撃を受けつつ、マナを優しく抱きとめる。 結局、シンジにも迷いがあったのかもしれない。だから、気持ちの見えないアスカより、わかりやすいマナを選んだのだ。 シンジはそう言い訳することで、自分を納得させた。 本当の自分の気持ちを、まだ知らぬままに。 何も考えず飛び出したアスカだったが、走り疲れてふと後ろを振り返る。 だが、誰も、いやシンジが、追ってくる気配はない。 シンジなら、少なくとも"今の"シンジなら、追ってきてくれる。そういう打算がなかったといえば嘘になる。 けれど、ああ言った以上、シンジなど必要ないと、少なくとも表面上は考えている。いや考えようとした。 だから、アスカは強がってみせる。 「別にシンジなんかいなくったって、一人で生きていけるわ。」 それが虚勢だと、どこかで気付いている。 だが、そうでも言わなければアスカの心が持たないのも確かである。 シンジを拒絶しつづけて、逆にシンジに拒絶されててしまった。無論、アスカはそんな風に考えてはいないが、客観的に見た、これが事実である。 ただの焼き餅だと、シンジと二人だけで暮らしたいと、素直に言えていれば何も問題はなかったはずだ。 そう言えばシンジも賛成してくれたはずだし、マナが異論を挟む余地もない。一緒に戦った、一緒に暮らしたものとして、アスカとシンジの間には確かな絆があったはずだから。 だが、その絆すら、自分の手で壊してしまった。 シンジなら判ってくれる、そんな甘えがどこかにあったのかもしれない。 しかし、結果はこの通りである。 「バカシンジ…」 知らず知らず、涙を流すアスカ。 その涙だけが、アスカの素直な気持ちであったのかもしれない。 それから3日。 結局シンジはマナと二人、暮らすことになった。 しばしの抱擁の後、冷静になった彼らはアスカを探したのだが、結局見つけることはできなかったのである。 アスカの事は気になるが、とりあえずシンジは普通の生活を始めることにした。元々そのためにここに来たのだから。 学校への編入の手続きも終え、いよいよ本格的に新しい生活が始まろうとしていた。 「マナと、一緒のクラスだといいな。」 その朝、学校への道の途中シンジはそうマナに話し掛けた。 転校初日、ということもあり、かなり早目に家を出ており、時間的には余裕がある。 「大丈夫だよ。最近は転校してくる人が多くて、転校生は転校生だけのクラスがあるから。私たち、も、そうだったし。」 ことさらシンジを安心させようと思ったわけではないだろうが、マナはそう言ってシンジに微笑みかけた。その微笑みに多少の含みがあったことに、シンジは気付く由もなかったが。 第3新東京市を中心として、関東圏があの有り様である。比較的無事な関西圏に人が流れてくることは自然なことであった。 「そうか。」 そうでなくとも人付き合いの下手なシンジである。転校生、ということでかなり緊張していたのだが、そのマナの一言でだいぶ緊張も解れたようだ。 とはいえ、学校が近づいてくればそれなりに不安も高まってくる。取り留めない話をマナと交わしながらも、シンジは新しい学園生活に思いを巡らせていた。 「じゃ、後で教室でね。」 職員室の前までシンジを連れて行くと、マナは先に教室へと向かった。 担任教師と軽い挨拶を交わすと、シンジもまた教室へと向かう。 「では、転校生を紹介する。入ってきたまえ。」 担任の男性教師は先に教室に入ると、生徒の前でそう切り出し、シンジを教室へと招きいれる。 緊張からかシンジはあまり周りを見ずに、とりあえず自己紹介をしようと会釈をした。 「碇、シンジです。よろしくお願いします。」 端から見るといかにも緊張しています、というのが見て取れるからか、クスクスと笑う声も聞こえる。 真っ赤になるシンジであったが、直後にかけられた声で、笑い声の意味を理解した。 「よろしくね、碇君。」 「よろしゅう、碇センセ」 「よろしくな、シンジ。」 聞きなれた、あまりに聞きなれた声にシンジは顔を上げた。見るとマナがいたずらっぽく笑みを浮かべている。そして、 「トウジ、ケンスケ、それに洞木さんまで…」 見慣れた姿がそこにある。トウジの足が、シンジ自身の辛い過去も思い出させたが、それ以上に懐かしさと嬉しさがシンジにこみ上げてきた。 冬月の言った"居場所"の意味を、今更ながらにシンジは噛み締めていた。 確かにここには、シンジにとってなによりの居場所があったのである。 こうして碇シンジの新しい生活は、希望とともに始まりを告げていた。 同時刻。関西国際空港。 一人の少女がそこにいた。 光の加減で金髪にも見える赤い髪。モデルのような整った目鼻立ち、プロポーション。 まぎれもなく、惣流・アスカ・ラングレーであった。 「もう泣かない。アタシは一人で生きてく。」 悲しいまでの決意を秘め、アスカはドイツ行きの飛行機へと向かう。 それがアスカが下した決断であった。 最後まで彼女は自分の想いを認めようとはしなかった。シンジへの想いを認めて、もう一度シンジとやり直す。そんな道もあったはずである。 『アタシはシンジの事なんて何とも思ってない。』 そう思うことで彼女は自分のプライドを保とうとした。そうすれば、捨てられた、という思いを抱かなくて済むからだ。 「バイバイ、シンジ。」 そして少女は別れを告げる、日本という国と、そこでの思い出と、そして、はじめて愛した人に。 |