Re: Title 承前 24国比定問題

投稿者[ やまし ] 発言日時 [4月18日(木)07時51分17秒]

元の発言 [ Re: Title 承前 24国比定問題 ] お名前 [ 馬頭鬼 ] 日付 [ 4月15日(月)22時31分27秒 ]

>> 多少の物は残るのですが、殆痕跡を残さないようなものに
>> 遊牧民が集まって行う市と祭りがあるでしょう。
>> 其の時は、数万個こ家(テント)が立つ。

>> そして終わると、ばらばらに去っていく。
>> 有る意味環境破壊にならないための知恵です。
>> 人が集まり一定以上長期になると環境問題や衛生問題が出てくる。
>> この問題は、江戸時代の江戸でも都市問題として起っています。
>> 前にも書きましたが三内円山でも起っているようです。

結局、もし遺跡、遺物をほとんど残さないような国があるとすれば、
遊牧民のような部族だろうということではないでしょうか。
日本ならやはり山人、海人かなあ。
それでも縄文時代を振り返ると、ある程度遺跡や遺物を残していると
思うのですが・・・。
山佐留さんが狗奴国の比定地にしていた久万町は縄文時代の遺跡で
有名な所です。ただ、弥生時代になると主要な遺跡は見つかって
いないようです。縄文時代から弥生時代にかけて、生活様式
が変わったと考えるのが妥当に思えます。

>> そして、ヤマト朝廷でも王の即位とともに都は動いていた。
>> なぜか?王の死による穢れを恐れると言う事も有ったでしょう。
>> 其れだけでしょうか?
>> 停滞を恐れると言う意味だけでなく衛生環境などを改善する知恵ではなかったか?

環境問題は、重要な問題ですね。
古代人の知恵は、現代にも生かされる可能性がありますね。

>> >> >> 旅行記だ無いので、目標など書かれてないのですから、文章から当てなめることは、
>> >> >> 無理なので笑いでしょうか?
>> >> >> 問題は、地理の中で、旅程などの目標の記述に乏しい事ですね。

>> >> 倭人伝に目標が書かれていないというのはどういうことですか?

>> 大唐西域記の一説をお聞いたことがあります。
>> 何処から天山を右側に見て馬で如何こう道を何日歩くと有ります。
>> 城の大門はどちらの方向を向き何がよく見えると書かれています。

>> 例えば「壱支国の湊はどちらの方向を向いて開けている。」とか。
>> 「マツラより陸を右に見て水行何日」とか一言でも書かれていれば、
>> 全く違うでしょう。

確かにそうだったらありがたいんですが、他の里程記事で必ず書いている
といった種類の表現ではないですよね。倭人伝にそれを求めるのは酷な気がします。

>> >> >> 例として、
>> >> >> 隋書では、ヤマト朝廷が、阿蘇山の祭祀をしているように感じられるところがあるようですが、
>> >> >> 残されている文書では、ヤマト朝廷が、阿蘇の祭儀をしているような、気配はありません。
>> >> >> 気になるのは、推古の墓に阿蘇の石が使われている事ぐらいのように思えます。

>> >> 隋書、阿蘇山で検索すると、ALEXさんのページにヒットしました。
>> >> 関係ないとすれば良いわけで、どう考えられますか?
>> >> http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/shosai/hyaku-0013.html

>> 全く別物と考えれば考えれますけど・・・
>> 前から書いているように、なぜ随書以降に火山の記事が出てくるのかです。
>> 伊都に中国の出先機関があったのに中国人には、めづらしい火山の記事が残ってないのかです。

随書のころには、阿蘇山はかなり知られていたということですね。
それまでは、それほど注目されていなかったのかな。
まあ、ここだけに注目すると、九州説が不利とかいうことになるけど。
でも、史書に銅鐸について記載されていないから、
畿内説不利とかいうのと同じ論法なわけで・・・。
言えるのは、すべてを書いたわけではないだろうということでしょう。



その他発言:



その他発言:


[ 掲示板に戻る ]