Re: Title 承前 24国比定問題

投稿者[ 馬頭鬼 ] 発言日時 [4月15日(月)22時31分27秒]

元の発言 [ Re: Title 承前 24国比定問題 ] お名前 [ やまし ] 日付 [ 4月15日(月)06時05分03秒 ]

如何も、やましさん
>> 古今東西いろんな国を知るのは楽しいですね。

そうですね。

>> >> まず、西夏を考えてみると、行国である事がわかっています。
>> >> が、都と言うものは、移動していて固定できませんね。
>> >> 彼等は、目立つものは、墓ぐらいしか残していません。

>> 「行国」はどういう意味ですか?

宋国の表現です。
国の位置が固定せずに動いている国だと言う事です。
首都の位置も一定しないで動いているわけです。
教えていただいたHPの通りタングート族は、
遊牧民で王も遊牧をしていて動いているわけです

>> 砂漠のなかの遺跡は発見されていない例も多いように聞きます。
>> よほど運が良くないと、開発によって遺跡が発見されるということが
>> ないからでしょう。
>> でもここを見ると、けっこう遺物を残しているようにも思えるのですが。
>> http://www.yomiuri.co.jp/tabi/world/articles/20000717sc22.htm

遺物は残しているでしょうが書かれている通り目立つと言うか、はっきりしているのは、お墓だけなんですね。
首都の場所も移動を繰り返していて。

>> >> 使ったものをリサイクルする高度な知恵を持った人々の存在も、想像できます。
>> >> 事実、江戸時代は、其れに近い文化がありました。
>> >> 両方を生き両方に帰る、部族の存在は?
>> >> この場合、国とは、同じような、衣や違っていても、一つにまとまる、ナットワークに帯なモノでは?
>> >> 遊牧民や水上生活者の国のように。
>> >> この場合、戦や祭りなどの時まとまるのが、国縄毛ですから、そんな例を考えています。
>> >> 山幸海幸な話からの妄想ですが。

>> 文献では確実にある固定した場所にあったはずなのに、
>> その場所に遺跡、遺物が「まったく」残っていない
>> 国の例を知りたいですね。
>> もちろん可能性としては、船を家にした水上生活とか、
>> 木の実などを食料とした遊牧民的生活を考えます。
>> ただ、これは弥生時代以前の生活方法という気がしますし、
>> なぜそのような生活に限定したのかという理由も知りたくなります。
>> 宗教的な理由だといわれればそれまでですけど・・・。

如何でしょう?
多少の物は残るのですが、殆痕跡を残さないようなものに
遊牧民が集まって行う市と祭りがあるでしょう。
其の時は、数万個こ家(テント)が立つ。

そして終わると、ばらばらに去っていく。
有る意味環境破壊にならないための知恵です。
人が集まり一定以上長期になると環境問題や衛生問題が出てくる。
この問題は、江戸時代の江戸でも都市問題として起っています。
前にも書きましたが三内円山でも起っているようです。

そして、ヤマト朝廷でも王の即位とともに都は動いていた。
なぜか?王の死による穢れを恐れると言う事も有ったでしょう。
其れだけでしょうか?
停滞を恐れると言う意味だけでなく衛生環境などを改善する知恵ではなかったか?

もう一つ思い出して欲しいのは、西洋の例です。
フランクの王は次々に都を動かしています。
なぜか、生産力が足りず、1ヶ所にいると其の地方を疲弊させてしまうためです。
物流の問題もあったのでしょう。
日本では、穀物が、米であった事で解決を見たように見えますが、
畑作も重大でした。この場合、焼畑ですから農民も移動しているわけです。
マヤの例もあります。

ですから、遊牧民的に都も一定機関で動いていたのでは?
トおもって次第です。

そして、ジンギスカンの墓、其の長子のジュチの墓見つかってないでしょう。
記録は残っているのにです。
ジンギスカンの都なんて発掘なんか出来ないでしょう?
恒に動いているような状態だからまず特定できない。
例は悪いが、そう言う事です。

>> >> >> 倭人伝には十分な情報があるにも関わらずそれを有効に使っていないため、
>> >> >> 問題が難しくなっているんじゃないでしょうか。

>> >> 充分の定義が、疑問です。

>> 比定をするのに十分ということです。
>> 以下のような主要な倭人伝の解釈がありますが、それらを満たせば
>> 理想的だと思いませんか。
>> (1)邪馬台国、投馬国の比定範囲のそれぞれが当時同一文化圏。
>> (2)21国が順番になっており、国名が主要地名に対応する。
>> (3)狗奴国は第二奴国または邪馬台国の南にある。
>> (4)第二奴国は女王国の境界の尽きる所にある。
>> (5)他の国が旁国としてでてこない理由が説明できる。
>> (6)東に海を渡って千里で倭種の国を比定できる。

>> 数十年あるいは数百年間議論が続いているのだけれど、
>> 少なくとも私には「まともな」比定案がほとんどないと思っています。
>> といっても、せいぜい20種類くらいの24国比定案しか見たことないですけど。
>> その中で、大杉博氏の四国説は、確かに大国と旁国の構造がうまく入っていました。
>> しかし、大国名も旁国名もほとんど対応していなかった。
>> そこで、地名と国名と遺跡がきちんと対応すれば確かだろうと思い、
>> 調べてみると確かにほぼ対応している。
>> 違った場所同士で議論をすれば収束しないのももっともだなあ・・・
>> と思ってしまうわけです。

>> 他にも「具体的な」良い比定案があれば主張する気はないのだけれど、
>> 畿内や九州地域で長年多くの研究者が探した痕跡はあるのに
>> ないようなんですよね。
>> という私も、畿内、九州で探してないわけじゃないんです。
>> ただ、気合を入れて調査したくなるような候補地やライン
>> が見つからない。
>> でも、他にどこにもないと断言するのは憚られます。

>> >> 旅行記だ無いので、目標など書かれてないのですから、文章から当てなめることは、
>> >> 無理なので笑いでしょうか?
>> >> 問題は、地理の中で、旅程などの目標の記述に乏しい事ですね。

>> 倭人伝に目標が書かれていないというのはどういうことですか?

大唐西域記の一説をお聞いたことがあります。
何処から天山を右側に見て馬で如何こう道を何日歩くと有ります。
城の大門はどちらの方向を向き何がよく見えると書かれています。

例えば「壱支国の湊はどちらの方向を向いて開けている。」とか。
「マツラより陸を右に見て水行何日」とか一言でも書かれていれば、
全く違うでしょう。

>> 私はしっかり書いてると思うんですけど。
>> 具体的に他にどのような表現があればよかったと思いますか。
>> そしてそれは、他の国の旅程記事には必ず書かれているような表現ですか?
>> 例えば、日数を距離で書いていて欲しいと思いますが、
>> 水行速度ははっきりしないだろうし仕方なかったと思います。
>> 連続式表現では必ず接続詞を使ってほしかったと思いますが、
>> 文章は必ずしもきちんとしたものばかりでもない。
>> 方向の問題は、世界の形をどう解釈するかで変わってしまうので仕方がない。
>> 里数についてはよく分からないです。
>> 意図的に大きくした可能性が高いと考えていますが・・・。

>> >> 例として、
>> >> 隋書では、ヤマト朝廷が、阿蘇山の祭祀をしているように感じられるところがあるようですが、
>> >> 残されている文書では、ヤマト朝廷が、阿蘇の祭儀をしているような、気配はありません。
>> >> 気になるのは、推古の墓に阿蘇の石が使われている事ぐらいのように思えます。

>> 隋書、阿蘇山で検索すると、ALEXさんのページにヒットしました。
>> 関係ないとすれば良いわけで、どう考えられますか?
>> http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/shosai/hyaku-0013.html

全く別物と考えれば考えれますけど・・・
前から書いているように、なぜ随書以降に火山の記事が出てくるのかです。
伊都に中国の出先機関があったのに中国人には、めづらしい火山の記事が残ってないのかです。


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