元の発言 [ Re: Title 承前 24国比定問題 ] お名前 [ やまし ] 日付 [ 4月18日(木)07時51分17秒 ]
>> 結局、もし遺跡、遺物をほとんど残さないような国があるとすれば、
>> 遊牧民のような部族だろうということではないでしょうか。
>> 日本ならやはり山人、海人かなあ。
>> それでも縄文時代を振り返ると、ある程度遺跡や遺物を残していると
>> 思うのですが・・・。
人である以上致し方ないものは残るでしょうが、
遊牧民や原書の生活をしているアボリジニなどの方々の知恵には素晴らしいものがありますから。
自然に溶け込むには、やはり跡を残さないようにする事に思えます。
>> 山佐留さんが狗奴国の比定地にしていた久万町は縄文時代の遺跡で
>> 有名な所です。ただ、弥生時代になると主要な遺跡は見つかって
>> いないようです。縄文時代から弥生時代にかけて、生活様式
>> が変わったと考えるのが妥当に思えます。
ですが、別のとこで書いた新発見の遺跡(イトク遺跡)の様に見つかってないとも思えます。
菜畑遺跡に見る様子では、水田と言う要素が加わっただけのようにも見えますが?
>> >> そして、ヤマト朝廷でも王の即位とともに都は動いていた。
>> >> なぜか?王の死による穢れを恐れると言う事も有ったでしょう。
>> >> 其れだけでしょうか?
>> >> 停滞を恐れると言う意味だけでなく衛生環境などを改善する知恵ではなかったか?
>> 環境問題は、重要な問題ですね。
>> 古代人の知恵は、現代にも生かされる可能性がありますね。
この点、遊牧民敵考えとも思います。
>> 確かにそうだったらありがたいんですが、他の里程記事で必ず書いている
>> といった種類の表現ではないですよね。倭人伝にそれを求めるのは酷な気がします。
重要視してないのかもしれませんが?
>> 随書のころには、阿蘇山はかなり知られていたということですね。
>> それまでは、それほど注目されていなかったのかな。
>> まあ、ここだけに注目すると、九州説が不利とかいうことになるけど。
>> でも、史書に銅鐸について記載されていないから、
>> 畿内説不利とかいうのと同じ論法なわけで・・・。
>> 言えるのは、すべてを書いたわけではないだろうということでしょう。
ですが、牛馬無しとか、山しょの地味を知らずとか、おかしな表現がありますね。
山しょは、縄文時代から有るし、牛馬も発掘で出ているようですし、猪や豚を飼っている記述もない。
最も豚は、中国人にとって、飼ってて当たり前と言う感覚かもしれませんが?
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