元の発言 [ Re: 「次」と里程記事 ] お名前 [ やまし ] 日付 [ 4月9日(火)08時18分20秒 ]
やましさん こんばんは レスが遅くなってしまいもうしわけありません。
>> 一方、接続詞という括りなら「又」「乃」「復」などが豊富にありますので、接続詞が使われたときどのような位置関係になっているかを調べるのが早いと思います。その括りは駄目だといわれれば、そうですかとしか言えませんが。
#室韋伝の例のように、「次」と「又」が同時に使われているのですから、この二つは役割が微妙に異なるような気もしますが、これについてはよくわかりません。
それと、つまらない指摘で恐縮ですが、接続詞と副詞をごっちゃにしてますよ。「乃」以外は副詞です。「有」とか「到」などの動詞を修飾していますので。
>> 「つぎに。ついで。そのあとに続いて。」で十分じゃないですか?
>> どうして、そのときのみなんでしょうか?理由がよくわかりません。
#読み返したら、マルセの文章は何だかわからない文章になっていました。ごめんなさい。改めて書き直します。
字典で調べてみると、「次」には、そもそも、地続きでというか、地理的に隣り合っているという(こういうことをここでは、「地理的に次」と言うことにします)ことに限定した意味はないので、地理の説明記事の中で、「次」とあっても、必ずしも「地理的に次」の意味でない場合も論理的にはあり得ます(当たり前なことですが)。
で、実際、中国正史を調べてみると、倭人伝以外では、「次」は「先」と並べて書いたり、「東」と併用したりしてあります。「次」を「地理的な次」の意味で使うときは、これらの方角などを表す言葉といっしょに使われることが普通らしい。少なくても、倭人伝の当該部分以外には「次」だけ単用している例が見つかりません。
したがって、「次」が単用された場合に、「地理的に次」の意味以外には有り得ないとは、今のところ必ずしも言えないという結論になります。であれば、地理の説明記事の中に地名が「次・・・次・・・」とあっても、これらの実際の位置関係が直線行程であるとは断言できないといえます。
もしくは、21か国の「次」をどうしても「地理的な次」と解釈したいのなら、これは、前の方の文章である「南至邪馬壹國」に続く文章と考えて(つまり、その間の全ての文章は挿入句と考えて、「南至邪馬壹國、次有斯馬國、次有已百支國・・・」という文章と捉える)、21か国が邪馬壹國の南に次々と並んでいるように解釈すべきであろうと思います。これに近い例は、倭人伝の後に裴松之の引く魏略西戎伝に「北烏伊別國在康居北、又有柳國、又有巖國、又有奄蔡國」とあります。
やましさんの比定のように、方角の部分を度外視して、国の並びのみが「次」で表されているという解釈は難しいと思います。
「女王国より北の国については、その戸数や道里を略載できるが、その他の国については、遠絶であり、詳細がわからない。」と書いてあって、「そのよくわからない国の、並び順のみは中国側に伝えられた」というのは、どう考えてもおかしい話ですし。
>> また、なぜ倭人伝には21個も「次有」とわざわざ書いているのでしょう。
#さあ何ででしょう? 単に魏略とかオリジナルの著者の書き癖のような気もしますけれど。「次有」を3つ以上つなげて書いた例は、中国正史の中では、同じ著者の可能性が高い三国志韓伝の
「弁辰亦十二國、又有諸小別邑、各有渠帥、大者名臣智、其次有險側、次有樊ワイ、次有殺奚、次有邑借。」(後漢書にも、これを引き写したと見られる記事あり)
と、それ以外には周書高昌伝の
「其地東西三百里、南北五百里。國内總有城一十六。官有令尹一人、比中夏相國;次有公二人、皆其王子也、一爲交河公、一爲田地公;次有左右衛;次有八長史、曰吏部、祠部、庫部、倉部、主客、禮部、民部、兵部等長史也;次有建武、威遠、陵江、殿中、伏波等將軍;次有八司馬、長史之副也;次有侍郎、校書郎、主簿、從事、階位相次、分掌諸事;次有省事、專掌導引。」(北史にも同様な記事あり)
しかありません。後者は構文がちょっと複雑なので、「次有・・・次有・・・」として、読みやすくする意味がありますけれど、前者や倭人伝の部分は他に書きようがあったように感じます。
じゃあ、なんで、韓諸国の国名のところには、「次有」がないのかと問われれば、わかりませんと答えるしかありませんけれど。
>> そのまま次々にあるという解釈が普通のような気がしますけど。
#ほとんどのプロの方は、やましさんのように解釈してないから、自説で比定した21か国を直線行程上に配置しないんじゃないですか。
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