元の発言 [ Re: 「次」と里程記事 ] お名前 [ マルセ ] 日付 [ 4月21日(日)09時47分50秒 ]
こんにちは、マルセさん。
ちょっと書く量が増え過ぎてしまったような・・・。
>> #「次」が順番を表すことには異論ないです。この例は、「初主号天御中主、次曰天村雲尊・・・」
で始まってます。「初めに・・・次に・・・」というように、この文でも「次」が単独で用いられている
のではなくて、時間順であることがわかるように「初」が最初に使われています。同じような例としては、
兄弟の名前を挙げるときに、「長・・・、次・・・、次・・・」のようにしています。「次」を使うときは、
それが何の順だかわかる言葉と併用されることが普通です。
高橋氏の論文にもあるように、これは郡からの一連の行程だと考えます。
ただし、魏使の正式な行程は邪馬台国までだったと考えます。
(関係を表す語を「*」としました。)
「従」郡至倭・・・到「其」北岸狗邪韓國・・・「始」度一海・・・
「又」南渡一海千餘里・・・「又」渡一海・・・「自」女王國以北・・・
「次」有斯馬國「次」有已百支國「次」有伊邪國「次」有都支國「次」有彌奴國
「次」有好古都國「次」有不呼國「次」有姐奴國「次」有對蘇國「次」有蘇奴國
「次」有呼邑國「次」有華奴蘇奴國「次」有鬼國「次」有爲吾國「次」有鬼奴國
「次」有邪馬國「次」有躬臣國「次」有巴利國「次」有支惟國「次」有烏奴國
「次」有奴國「此」女王境界所盡「其」南有狗奴國
この場合、最初にある「従」でしょうか。
地理的な順番と考えるのが妥当だと思います。
>> >>この部分だけ取り出して「地理的な順」を断言できないのは当然です。
>> >>地位の順だったか、港の順だったか、建国の順だったか、まあいろいろ考えられるでしょう。
>> >>ただ、周辺の「以北」「旁国」「此女王境界所尽」「其南」などをみればここは地理の記述
だろうし、地理的な順の解釈が一番わかりやすいでしょう。
>> #ですから、地理的な順番といっても、現在の都道府県の順番(北海道→青森→岩手→宮城→秋田)
や前に挙げた九州の國名の順番のように、必ずしも、直線行程であると解釈する必要は全くないと思います。
実際に、そのような連続でない配置に対して、「次」を用いた例が多いのかどうかです。
そういった文章が割合として無視できないようなら、その解釈でも良いと思うのですが・・・。
>> >>(1)「女王国」をどう解釈するか。
>> >>(解釈)「女王国」=投馬国+邪馬台国+21ケ国(四国全体)
>> #「其餘旁國」=「21か國」であれば、ここの部分でいう女王国に対して、
このような解釈が成り立つはずがありません。「其餘旁國」<>「21か國」
というのは初めて見ました。
そういうわけではありません。
「女王国」が邪馬台国より大きい可能性を考えています。
「其餘旁国」は「21か国」という解釈です。
ここで「其」は、「女王国以北」に対応すると解釈しています。
「女王国以北」=対馬国〜不彌国(+投馬国)
「女王国」=邪馬台国+21ケ国(+投馬国)
伊都国は女王には属しているようですが、ここでの女王国には属していないようです。
投馬国はどちらにもとれそうです。
>> >>(2)「遠絶」はどこから遠いのか。
>> >>(解釈)倭人伝の国々を記録した場所・・・正確には分からない。
>> #なんのことですか。仰る意味がわかりません。「遠絶」とは、
魏史のいった場所からじゃないでしょうか。
「魏史のいった場所」とは、正確にはどこでしょうか?
確定できるなら、いいんですが。
この部分は「どこから遠いのか」という表現がないので、
あいまいな表現だと思っています。
できなかったことに対する言い訳のようにも思えます。
>> >>これらの国々の戸数と道里を調べるのは21ケ国それぞれの国に訪問し、
里数を測らないといけないわけで、別に記載できなくても不思議はありません。
>> #そんなことはないでしょう?倭人に聞けばよいのですから。
對馬國〜邪馬壹國の戸数だって、倭人から聞いた話ですよね?
まさか、魏使が全ての集落をまわって戸数を数えたってことはないはずです。
ようするに、「魏使にとって、これらの旁国はさして重要でなかったから、
単に聞いてこなかった」ってことだけなんでは。
それほど重要ではなかったというのは、その通りだと思います。
基本的に韓伝で列挙された国々と同じような感じではないでしょうか。
ただ、韓伝では「次」を使用せず、倭人伝では「次」を使用しているので、
国々が連続的にあったと考えるのが普通だと思います。
その他発言: