Re: 北方系弥生人

投稿者[ たかとり ] 発言日時 [4月23日(火)23時51分14秒]

元の発言 [ Re: 北方系弥生人 ] お名前 [ 牛頭天王 ] 日付 [ 4月23日(火)21時24分55秒 ]


>> 私は前方後円墳とか前方後方墳などの古墳をつくったのが北方系であって、倭人伝に記された倭人ではないと考えています。

 倭人伝の時代、東海以西は、ほとんどすべて「倭種」だったと思います。
 弥生初期の遠賀川式土器の分布圏にあたりますが、同じ土器を使用するのですから基本的に同じ種族が広がったと見なすべきでしょう。
 勿論、その中にも、北方系弥生人も縄紋系弥生人も、モザイク状に分布していたと思いますが。

 もっとも、「倭人」「弥生人」という言葉自体があまり厳密ではありませんね。

 牛頭天王さんは、前方後円墳等の築造直前に、北方系が渡来してきたとされるのですか?

 私も似たようなことを書きましたが、しかし、前方後円(方)墳を造ったのは北方系である、とまで断言できるかどうかですね。
 弥生後期、つまり一世紀前半から纏向に至るまで、事態はなかなかに複雑で、(邪馬台国問題も含めて)、容易に把握しがたいと思っています。

>> 「江南の稲作民」は漢の圧迫に押されて海に出たことは間違い有りません。
>> 呉とか越とか漢にとっては蛮人扱いですから。

>> このあたりの半農半漁民も倭人だった?
>> 彼らもボートピープルとして日本に来たのではないでしょうか?
>> これが倭人が呉の太伯の子孫と主張している所以でしょう。

 私も弥生人の主流は江南地方が原郷だと思います。否定のしようがありませんね。
 彼らが紀元前三世紀頃、朝鮮半島経由或いは直接、日本列島に渡来してきたと思います。
 その前提に立った上で、弥生時代のある時期に、北方からも渡来の波があったのではないか、と考えているのです。

 それに、「百越」という言葉がありますが、江南系倭人も出身地、渡来時期の違いなどで、「五越」または「五倭」くらいの違いがあったかも知れませんね。




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