アンビエント・ツールとしての楽器と響き






筆者がこのサイトで紹介しているアンビエントについて、楽器の音色に関して
メモしたものがたくさんあります。アンビエントを聴いていてもピアノの音が
メインになっていたりすると、ピアノ好きの筆者はピアノアルバムとして認識
したりすることが多く、そういった好みや楽器の持つある種のイメージ喚起力
が、純粋な響きの体験を割り引いてしまうことがあります。どんなカテゴリに
も収まらない音という存在が、アンビエントの強力なツールになるのではない
かというテーマを、ここにまとめました。説明をはしょっている部分について
は、それぞれのディスクレビューにあるのでリンク文字をクリックしてくださ
い。


▼アンビエント的楽器・楽器の持つコンテクスト

これまでに生まれたアンビエント・ディスクは、どんな楽器で表現
されてきた音楽なのか。実際には「アンビエント向きな」特定の楽
器はないのかもしれないが、スタティックなインストゥルメンタル
音楽という条件で探してみるとピアノ、シンセ、ヴォイス、自然環
境音あるいは人工音とその加工、がよく見られるようだ。
ところで、楽器にはそれぞれ歴史や地理的文脈、背景を持っている。
ヴォーカルも歌詞を唄えばまさに特定の意味を持つ音になる。ピア
ノやヴァイオリンは広義の「ヨーロッパ」を、ガムランはジャワを。
エレクトリック・ピアノはジャズをというように。

これまでに試みられてきたアンビエントには、聴き手がどんな場所
にいようとその環境へと溶け込んでいく音を持ったものがいくつか
ある。音楽自体が白紙であるというアンビエントだ。それらの作品
がどのように音楽自体のルート、つまり文脈から逃れて、どこで聴
かれてもその場所をヨーロッパ化するでもなく宇宙空間にするでも
なく、「意味」と「地理」から逃れることに成功しているのか。ポ
イントは、楽器の使い方だ。

▼ジャンルを超越すること

たとえばブライアン・イーノの『アンビエント3』では、ガムラン
/ダルシマー奏者のララージの演奏を全面的に使用している。が、
民族音楽としてのディスクではなく、ほとんど完全に抽象的な光の
運動の音楽へと変貌している。ビルマでもインドネシアでもない、
サブタイトル通りの「発光」する音楽に過ぎない。

ハロルド・バッドは自作の中でエレクトリック・ピアノを頻繁に弾
いてきた。しかしここにはチック・コリアの残響は皆無で、低音域
はやわらかく、高音は瞬間きらめくこの楽器の特性を完全に自分の
音楽の表現手段にしてしまった。また彼は近作ではヴィオラとスティー
ル・ギターなどクラシック/ポピュラーというジャンルの壁をはじ
めからないかのように組み合わせ、それぞれの楽器の持つイメージ
を相殺することにも成功している。

両者に共通することは、ある楽器が「いかにも弾きそうな」音楽を
コピーするのではなく、誰もしなかった使い方によって、ジャンル
を越境し、固有の意味性を取り去った白紙の音楽を作り出したこと
だ。異論の余地はあるが、彼らの音楽をアンビエントたらしめてい
るファクターとして、この点を考慮してよさそうだ。歌詞を味わい
ながら聴く音楽とアンビエントの違いは、この非表現性にあるのだ
から。

▼特殊奏法とエフェクトによる異化

楽器固有の意味を取り去るもうひとつの方法は、固有の演奏法をや
めることだ。そしてもうひとつは、録音とエフェクトによる加工。

ジョン・ケージがピアノ線の間にゴムやボルトなどをはさんだプリ
ペアド・ピアノを創始したのは、ダンスのために作曲を依頼された
ものの、アンサンブルのスペースが会場になかったためにピアノ・
ソロから多彩な音色を得るためだった。ここで主眼に置かれていた
のは楽器の音の異化というよりもむしろ、多様化だった。

ステファン・スコットはバウ(弓)・ピアノという手法で、ピアノ
の音の減衰という宿命から解放されただけでなく、ピアノの金属音
と弦楽器としての両方の音を手に入れた。双方の音の特質を兼ね備
えたバウ・ピアノの響きは、シンセで合成されたような「新しい」
音色である。

エフェクトについてはいちいち述べる必要のないものだけれど、録
音についてはテープ・ループとアンビエントとの相性の良さだけは、
触れておきたい。本質的に「繰り返し」をもたらすテープループは、
音楽に均質さを持たせる強力なツールなのだ。

▼シンセサイザー

さて、アンビエント素材としての可能性を持つシンセサイザーにつ
いて最後に触れておきたい。音の成分を分析して合成するシンセは、
既存の音の模倣とこれまでなかった音を創造する二つの使い方があ
るのだが、両者ともに意味からの脱却に有効であることは言うまで
もないだろう。ギターのようでどこか違うギターや、従来のどんな
形容にも当てはまらない響きを発生させることは、シンセならでは
の領域だ。例えば、アイラ・モヴィッツのように。

ただ、この新しい楽器さえ、歴史と無縁ではいられない。シンセ自
体の発展過程が、短いものではあっても歴史なのだから。懐かしく
キッチュなムーグの音。初期タンジェリン・ドリームの古典性やノ
スタルジー。シンセは新しい楽器だが、進化が激しいだけに古い音
になってしまうのも早い。「シンセの博物化」である。
同時代の最新の手法や音色を用いることは、過去になることを意味
するのだから、時代を超えた音を作る難しさは、他の楽器と同様あ
るいは変化の激しさからより難しいのかもしれない。





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