映画撮影用のフィルムを適当な長さに切って小箱に押し込み,たて24mmよこ36mmの画面サイズを用いて静止画(スチル)を撮影するカメラがつくられました。
この画面サイズは,35mm判と呼ばれることになり,はじめてこの画面サイズを採用したカメラであるライカの名をとってライカ判とも呼ばれるに至りました。
ライカは,製造後70年以上経つものもたくさんありますが,適切にメンテナンスされたものであれば,今でも十分に現役機として撮影可能です。
ライカ・カメラを考案したのは,オスカー・バルナックという技術者です。顕微鏡を主製品としていた光学メーカーで,しかも特別な資格を持たなかった彼が描いたカメラの図面はあまりにも稚拙(ちせつ)だったと言われ,「図面一つ書けない人間が」,「単なる思い付きで」,「たまたまが重なって」できたカメラだ・・・と批判されたこともあったようです。
オスカー・バルナックは 両手を広げた長さである一尋(いちひろ=約六尺)分だけ切った映画用フィルムを眺め,「よし!これで行こう!」と思ったのでしょう(あくまで勝手な想像です)。いずれにせよそれが36枚撮りフィルムの長さの標準として今でも息づいています。 コンビニや40分プリント・ショップなど至るところに吊り下げられている「36枚撮りフィルム」を見る度に,オスカーの両手分の長さを思い浮かべにやりとしてしまうのは私だけでしょうか。
記録によれば,オスカーは試作機を作ったところで,時の社長であったエルンスト・ライツにプレゼンテーションをし,「こりゃええわい」と言わせしめた結果,本格製造開始に至ったとされています。
「おっと,箱(カメラ・ボディー)が出来たのは良いけど,タマ(レンズ)はどうすんだい?」 そんな小粋な江戸っ子じゃなかった,ドイツっ子がよってたかって図面も引けないオスカー・バルナックを助けたのでしょうか?
初代レンズの設計は,マックス・ベレクという光学者が行った説が有力です。 35mm版フィルムは約43mmの対角線長を持っています。フィルム・フォーマットとしては初めての規格が提案されたわけですが,これに適したレンズを開発するためには,電子計算機がなかった当時,設計・開発・導入に要する時間的そして金銭的な投資リスクの双方を考えなければなりません。従って試作の段階からベレクが加担していたのかには少しばかり疑問が残ります。
また当時は,密着焼き(べたやき)=最終プリントという考え方が主流の筈で,ライカの登場は,小型のネガを拡大(引伸)してプリントしそれを鑑賞するということを前提にしたシステムをも構築しなくてはならなくなりました。
「撮影と撮影結果の再現方法に不安が残る」とオスカー・バルナックの発想を酷評した人も居たに違いありません。問題だらけだと言うのは誰でもできます。 前向き考えれば,競争相手の居ない分野において,撮影から拡大までに必要なシステム全てがライツ社にとってビジネス・チャンスともなったわけです。オスカー・バルナックも大した人物ですが,オスカーのプレゼンテーションに対して 「こりゃええわい」と太鼓判を押したエルンスト・ライツ社長もやっぱり大物だったのでしょう。
ライカ・レンズの多くは,ライツ社自前で設計・製造されてきました。しかし,広角レンズについては,レンズ設計の先輩格にあるツァイス社やシュナイダー社から提供を受けていました。
また自前で設計・製造したとされるレンズでも,第二次大戦前後に製造されたものは,物資不足のためツァイス社の系列会社であるショット社からガラスの供給を受けていたことは歴史上の事実です。
露出計に関しては,メトラワット社から製品供給を得ており,ライカ・カメラに装着した際に概観上の違和感を与えないようデザイン面の統一性を持たせています。
一方,変形ガウス型レンズの採用と普及は,事実上ズマール5cm/F2(1933年発表)がその努めを果たしており,レンズの高速化(大口径化)に大きく貢献してきました。 非球面(アスフェリカル)レンズの採用などは今でこそあたり前とされていますが,ライカは今から約40年も前から ノクティルックス 50mm/F1.2(1966年発表)に,またズミルックス35mm/F1.4(1991年発表) にと 世界に先駆けこうした技術を実用化しており,変形ガウス型レンズの応用を軸に独創性へのチャレンジを続けてきています。
自分たちの組織が苦手とする分野をいち早く見極めるとともに,それを得意とする他の組織からより高度な技術提供や業務提供を受ける・・・。同時に内部化すべきところは迷わずそれを行い,幅広い顧客ニーズに対し適切な形で対応することで経営上のバランスを取る。 こうしたしくみは昨今ビジネス・モデルの一つ(オープン・ネットワーク型組織)として経営学上の研究領域となっていますが,ライツ社は実に70年以上も前から実践に移していたのです。
それまでのカメラに比べ格段に小さく,また写りも素晴らしかったことから,機動性と機能性の双方を求めていた写真愛好家たちから,ライカは幅広く支持されるようになりました。
事実上35mm判のレンズ交換式カメラの標準(デファクト・スタンダード)となったライカ・カメラは,日本はもちろん,旧ソ連,ヨーロッパ諸国,中国など実に多くの国で,ライカをお手本とするボディやレンズを生みだすきっかけをつくりました。
近年のカメラ業界は低価格戦争に注力する傍ら,プラスチック部品を多用するとともにメンテナンスの省力化を目的とした各種部品のモジュール化をすすめてきました。事実上使い捨てを前提としたカメラは,環境保全の観点からいくつかの問題をかかえていることは言うまでもありません。
ライカを始めとする古き良き時代のカメラは,金属部品を使っているため一部の磨耗部分を交換または調整するだけで半永久的に使えることが前提となって設計・製造されたカメラとなっています。
それだけに,素材加工や組み立てに関しては大変根気の要る作業の連続だと推察されます。 武士の刀 同様,美術工芸品とも言える古き良き時代のカメラ・ボディやレンズを手にしていると,当時のドイツはもとより国々の歴史的・経済的事情に思いが馳せられ,写真撮影とはまた別の次元での楽しみが拡がるというものです。
最終更新日:2012年1月23日