ハッセルブラッド1600F / 1000Fは,中判でも早い時期からシステム化されたカメラです。
左の写真は,フィルム・バッグ(フィルム・マガジン)と呼ばれ,撮影途中のフィルムが入っていても,自由に本体から着脱できます。
現行の中判カメラもこの方式を採りいれたものがありますが,ほとんどの機種ではいったんフィルムをカメラに装てんしてしまうと,最後まで露光してしまうか,空シャッターを切るなどして撮影途中のフィルムを半ば強制的に巻きとってしまう他,フィルム交換ができません。 途中でフィルム・バッグが交換できることにより,以下のとおり撮影範囲がうんと広がることになるのです。
さらに,この写真のようにポラロイド・フィルムが入るバッグも準備されています(通称:ポラ・バッグ)。
本番撮影に入る前,照明の角度や露出の具合を最終チェックする意味で,ポラロイド・フィルムで撮影を行うためのものです。
ポラロイド・フィルムが発明されたのは,もっと後になってからの話ですが,今でこそ当たり前のように使われている撮影途中でのフィルム交換のワザを中判システムの一つとして早い時期から実現させていたことは素晴らしいことだと思います。
言うまでもありませんが,捉えたい画像をフィルムに送るのはレンズです。 ハッセルブラッド社は,カメラ・メーカーとして創設される以前からコダック社(アメリカ)との交流が深かったようで,1600Fの標準レンズにはエクター80mm/F2.8が供給されました。その後はツァイス社(ドイツ)からテッサーやゾナーの供給を受けています。
1600F/1000F用に供給されたレンズは,「ハッセルブラッド1600F/1000F用」マウント(そのままですね)と呼ばれるマウント形式で,500C以降用のマウントとは形状が異なります。上(左かも)の写真は,テッサー80mm/F2.8と呼ばれる標準レンズを後ろ側,すなわちボディに装着されるマウント部側かわら写したものです。 2周ほどねじが切ってあるので,現行のレンズ・マウントとの違いがお分かりいただけるかと思います。
SKa4やSKa5と呼ばれる軍用ハッセルブラッドのカメラに,ツァイス社のレンズが用いられてたことは既知の事実ですが,戦中・戦後にいったいどのようにしてドイツからレンズの供給が受けられたのかは多くの部分が謎に包まれたままです。
それはともかく,エクター,テッサー,ゾナーと言えば,名前ぐらいは耳にしたことがあるかなという方がほとんどではないでしょうか。ハッセルブラッド社は,「結局のところ,ボディ(箱)しか造ってないんじゃないの?」と言われるころがしばしばあります。しかし,カメラの心臓部と言われるレンズの製造には手を出さず,確かなパートナーを選びながらも自分のシステムを築いてしまう手腕は,誉めてあげざるを得ないと思います(経営学の世界では,「オープンネットワーク化」という経営手法が議論されつつありますが,気付いてみれば,1940年代からハッセルブラッド社が実践していたのですね)。
フィルム・バッグの交換機能,一流レンズ群との互換性確保・・・。ハッセルブラッド社の中判カメラシステムづくりは,それだけではありません。
フィールド・ワークを念頭に置いたデザイン性は他のアクセサリーにも随所に見られます。例えば上の青いガラス板の付いたものは,スポーツ・ファインダーと呼ばれる速写ファインダーです。小憎いことに,このファインダーには,シンクロ接点用のアダプターまで付いていたりします(冷静に考えれば意味不明ですが)。
直立式のアングル・ファインダー(写真上部の黒い箱状のもの)の他にも,プリズム・ファインダーほか形状と用途の異なるファインダーとの交換が可能なよう,最初のモデルから着脱性を取り入れている点,思わず唸ってしまいます。