静かだった。旅館の窓からの灯りは就寝した部屋が多いのかぽつりぽつりと灯っているだけで、屋内風呂からの灯りは二十段以上階段を降りた上で少し庭園風回廊を歩いた場所にある露天風呂には殆ど届かない。回廊の灯篭はぽつりぽつりと、あと露天風呂の数か所の灯篭が灯っているだけの露天風呂は薄暗いが、夜目に慣れれば十分に視野は確保出来ていた。湯口から注ぐ源泉かけ流しの湯の音が聞こえるが、それだけである。
天音の声が、聞こえない。極上の蜂蜜声を二人きりで聞けないもったいなさを痛切に感じながら、だが省吾は乳房を撫で回された彼女の動揺を考えるか話しかけるのが難しい。それでも沈黙が苦痛を与える可能性を考えるとそのまま放っておくのも難しく、だが、二人きりの静寂がどこか心地良いのも否めない。
「天音さん」
「は、はい……っ」
「ごめん」
先刻の行為は同意の上ではあったが冷静に考えるまでもなくセクハラである。無知でコンプレックスを持っている彼女につけこんであの乳房を弄んでしまったのは問題行動で、例え止められなくても自制すべきだったなと思い、省吾は夜空に目を向ける。先刻彼女に教えた乙女座は確か人間に失望した女神か無理強いで妻にされたお嬢さんで、解説後の自分の行為を警告していた気がしてくる。ついでにどうすれば彼女を困らせないでそこそこいい距離感を保って蜂蜜声を聞き続けられるか教えて欲しいものである。
「はい……? 何を、謝られているのですか?」
「それを聞くかな…。触った事、調子に乗ってごめん」
お互いに顔を見る事もないまま並んで湯に浸かっている距離は乳房に触れた時と同じだが、精神的距離が埋まっているとは到底思えない…と、隣の彼女がこちらを見て身体を捩って少しにじり寄っているのを感じ省吾はぎょっとして思わず顔を向けてしまう。
「伊能さんは謝る様な事をなさっていませんよ? その…その……私の不感症問題を確認して下さっただけですし……、その……その……、あの……」
邪念など一切受け付けない様な清らかな甘い声で言いながら不思議そうに小首を傾げる彼女は、身を捩って手を突いているいる為に乳房が両脇から搾られた状態になり豊か過ぎる乳房がより一層強調される状態になっているのに気付かない。最初胸元をしっかり手拭いで隠していたのも途中から外しており、警戒心がどうにも危ない。喫茶店に同行する話の辺りから自分は安全な男に完全に位置付けされたのかもしれない。――そんなに無防備だとどこぞの狼にあっさり食べられてしまいそうで怖くて仕方ない。
前半のきっぱりとした発言が途中からもごもごと言いにくそうになり、頬を真っ赤に染めて落ち着きなく視線を彷徨わせるがその度に湯に半分浸かっている乳房がたぷんたぷんと揺れるのは目の毒としか言い様がない。まだ指先に生々しい柔らかな乳房の感触に、まだ湯から出た姿を見てはいないしなやかな肢体のその下腹部の陰りに、湯から出ては戻る柔らかな色合いの乳首に、信頼を裏切る様に分身に血液が集中してしまう。
男の煩悩を何だと思っているんだろうかなと思いながら奇妙な動きを繰り返している彼女が、きゃーと小さな、悲痛さの欠片もない恥ずかし気な悲鳴を上げて身を縮込まらせた。乳首が露出してしまうと思った次は口の近くまで湯に浸かる彼女に、理解が追い付かない。
「……。天音、さん?」
「はしたない事ですー!」
「えーと……?」
喫茶店の話を始めた時の様に何かスイッチが入ると彼女は暴走するらしいと思いながら、どうすればいいのか判らずに放っていまう省吾の前で頬に両手を当てて可愛らしい人が湯の中で身をくねらせる。恐らくは真っ当な家のお嬢さんなのであろう『はしたない』と死語をしばらく何度も繰り返してから、不意に彼女が省吾を見上げてきた。拗ねているのか恥ずかしがっているのか少し怒っているのか判断に悩む表情が愛くるしい。しっとりと落ち着いた柔らかな甘い声と顔立ちは大人びて見える事もあるが、感情を暴走させた時の彼女はまるで十代の少女である。じっと省吾を見つめてくるかと思いきや、また身をくねらせ、そして思い切った様にまた身を乗り出しかけては、湯に沈みかける。
「落ち着け?」
「は、はい……っ!」
湯に浸かったまま省吾に向かって正座した天音の乳首が湯から出て、慣れた夜目にはっきりと見えてしまう。巨乳だが乳輪自身は一般的サイズの為、対比としては小振りに見えてしまうのだなと一瞬考え、慌てて省吾は目の焦点を外す。僅かな間がっつりと見てしまったピンクとベージュの間の乳首はつんと尖り、いかにも美味しそうに突き出されている。どうやらセクハラを怒ってはいない様だからあのまま続ければ触れたかもしれない、と思いかけ咳払いをして誤魔化しそうになり省吾は身を固まらせる。幾ら許されても深入りは禁止だった。
まるで説教か膝談判の様な正座で姿勢を正したままじっと省吾を見た後、へにゃへにゃと崩れて彼女は真っ赤な頬に手を添えて身を捩る。湯気を掻いてぶるんと白い豊かな乳房が左右に揺れる。
「凶器」
「はい?」
「いや何でもない。――それで何がどうしたのかな」
妙に浮かれた様な興奮している様な異常なテンションの彼女が省吾の問いに不安そうな表情で固まり、まるで迷子みたいな半泣きになる。実に不安定で見ていて飽きないが、もうそろそろ解放されたいと思うのは偽彼氏として辛抱が足りないかもしれない。提案が迂闊だったと後悔し始めた頃、彼女が口を開いた。
「絶対に…秘密にして下さいますか?」
「犯罪でない限りは」
「絶対に軽蔑しないでいて下さいますか?」
「……。それは事と次第による」
そもそも絶対自体が胡散臭いと思う省吾に、彼女が困った様に少し口を尖らせた。軽い気分で嘘を付けば相手が気分良くペラペラ話すのは酒の席で十分だろう。この勿体ぶった様子では適当な相槌は相手に失礼だと思うが彼女は違うのだろうか、と面倒臭さが更に増す。
「それは軽蔑される事?」
「……。よく判りません…ですが、その……」
「『はしたない』事」
ぼんと音が鳴ったのではないかと思える一気に程彼女の身体の露出部分が真っ赤に染まる。何なんだろうこの生き物は。しかし彼女の様子を見ているとさぞや低いレベルのはしたなさなのだろうなと思うと、微笑ましさに笑ってしまう。少し息を漏らす程度の笑いだが、彼女は驚いた様に瞬きをしてぐいと身を寄せてきた。それなりに筋トレは行っている二の腕をむにゅりと巨乳が挟み込んでくるのが気にならないのか…そう言えば露天風呂にタオルを浸すのはマナー違反だと言ってから取っ払い続けている危機感のない彼女はこれもセーフなのだろうか?アウトもアウトもだこんなパイ擦り楽勝物件擦り付けられて不能扱いでもしているのかと省吾は固まる。社員旅行の露天風呂でなければ食ってるぞと内心絶叫する耳元に、柔らかそうな唇が触れそうに寄せられる。
「嫌わないで、下さいますか?」
蜂蜜を更に甘くした様な、上品だが男の性器をねっとりと撫でる様な極上のエロ声が囁きかけてくる。いや彼女自身には煩悩がないのは震えるか細い口調で判るのだが、好けば何をしても許しますと囁きかけていると誤解させる男の嗜虐心を煽る声とふわっと挟み込んでくる巨乳の柔らかさが…更に耳に手を添えられて乳房の圧力がむにゅっと増した。
「……。前向きに善処はする、かな」
全身を耳にしてエロ声を聞きたいのに脳内で円周率を怒濤の勢いで唱える省吾の声が上擦る。この二の腕がもし省吾自身だった場合は三分と保たずに射精する自信があった。情けなくなどない、この声が悪い。
「本当ですね……? ――む、胸は…皆様…、こ、こ、こ……こんなに…気持ちがいいものなのでしょうか…?」
言いにくそうに話すその話題は、省吾の予想を遥かに超えてはしたなかった。
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96『温泉に入ったら・追加分』
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