「――なぁんだ神田か」
唐突にバス停に現れた同級生に由夏はほっと一息つく。バケツをひっくり返したみたいな土砂降りの後の空は嘘の様に晴れ、ぬかるんでいる地面の大半を占める水溜りが初夏の陽光を弾いて眩しい。雨に叩かれた夏草と泥のにおい。雨で少しだけ涼しくなっている空気が心地よく、そして全身濡れ鼠になって貼り付いている制服が何だか楽しいけれど、でも少し恥ずかしい…いやかなりに。
「お、お前なんて格好してるんだよ!」
「仕方ないよ。一時間目体育だったから制服の下スク水で来ちゃったんだもん」
顔を真っ赤にしてそっぽを向いた神田も見事な濡れ鼠なので同じく土砂降りの犠牲者なのだろう。かなり辺鄙な場所にある我が校は駅方面に出るバスと山越えして隣市に向かうバスで利用者数にかなり差があり、由夏の今使っているバス停の利用者は多分全学年で一桁といった所だろうか。バス待ちの生徒が大勢居れば古びて傷んだバス停の裏に隠れていたかもしれないが、少女が見回しても長閑な風景にはずぶ濡れの同級生しかいない。幼稚園時代からの顔見知りのせいか異性として考えるには少し抵抗のある相手に、由夏は少し拗ねた表情をして気恥ずかしさを誤魔化す。
下着を身に着けていない…濡れたセーラー服の胸にはっきりと乳首と乳輪が透け、豊かに育った乳房に貼り付いているのは同級生には判っているだろうが、スカートの中も同じ様に剥き出しなのだとは、気付かれていないだろう。そう言えば小学生低学年の頃に全員揃って裸で川遊びをしたなと思い出しながら、ちらりと由夏は同級生を見る。
いつの間にか、当然背は伸びて由夏より頭一つ高くなり、陸上部所属だけあって無駄な肉もなく引き締まっている身体は筋肉質でよく日焼けしていた。骨張った指が濡れた短めば髪を無駄に掻き上げ、喉仏が判る。
『意外と、男の子してるなぁ……』
まじまじと同級生を見ていた由夏はちらりと自分へ視線を向けて慌ててまた視線を逸らした少年に顔を熱くする。変に意識されるとこちらも変に意識してしまう。
「エッチ」
「馬鹿。そんなんじゃない」
スポーツバッグをごそごそと漁った少年にそっぽを向いたままスポーツタオルを突き出され、由夏は瞬きをする。
「何、これ」
「拭けよ。若い女が乳晒してるんじゃない」
「乳って……!おっさんくさー…って汗臭っ!何このタオル汗臭いっ!乙女に汗臭いタオル渡すって何考えてるのよ!こんな汗臭いタオルで私の胸拭けって言うの!?」
「善意に対してその態度は何だこの痴女が!エロ乳見せつけて何が乙女だよ!恥じらいってのがないのかよお前!」
同級生なのだから当然体育の授業がありそこで使用したのであろう汗臭いタオルを受け取ってみたものの、少しにおいを嗅いでみた途端にその汗臭さに顔を歪めて罵詈雑言を繰り出してしまった由夏に、神田が視線だけでなく顔を向けて怒鳴り返す。お互いに気恥ずかしさが吹き飛んで睨み浸けて唸りあった後、不意に由夏と神田の顔に少し照れくさい笑みが浮かんだ。
「エッチー。おっさんくさっ。乳だってチチ。乳バンドとか言い出すつもりー?」
「お前こそとっととその巨乳隠せ。俺が襲ったらどうするつも……まさかお前エンコウとかやってねえだろうな!?」
「田舎過ぎて相手がいないっちゅーの」どこか照れくさく、だが何かもったいない気分がして由夏は男子生徒のにおいのするスポーツタオルを手にしたままべぇっと舌を出す。考えてみれば自分も水泳の授業があったのだからバッグの中にはタオルがあるのだが、何となく同級生のタオルを返すのが躊躇われる。「……。神田、拭いてみる?」
何を考えているのか自分でも判らないまま不意に言ってしまった言葉の後、しばし時間が止まった。
バス停の前の水溜りの上を蜻蛉が飛び、まだ重く湿った、だが心地よい風がそよぐ。
「な、な、な、何言ってんだよ由夏!」
「いや、善意って言うから……御褒美?」
「犬か俺は!」
「だってまだ物凄く時間あるし。そっちも今から学校戻っても校庭どろどろでしょ? ……。あー!もー!あんまりグダグダ照れるならなし!今のなし!」
弾みで冗談で言ってしまったのに本気で受け取られてしまったのが恥ずかしい筈だがどこか残念な気もして一気に恥ずかしくなった由夏はそっぽを向いて神田へとスポーツタオルを突き返す。――その手首が、強い力で握られた。
「言っておくけど、やるならマジにきっちり拭くからな?」
「……。役得?」
「役得」
バス停のベンチで堂々と拭かれるのは恥ずかしく、他には誰も居ないと言うのにバス停の小さな小屋の裏手の横倒しの土管に腰を下ろした神田の前で、由夏はその開いた膝の間に身を割り込ませる形で顔を逸らす。開けた田んぼではなく雑木林に面した小屋裏はそうそう誰かに見咎められる場所ではない。
「服の上からで、いいか?」
「誰が脱ぐかってゆーの」
顔が熱い。いや全身が熱い。何故あんな事を言ってしまったのか判らないまま由夏は膝が震えだしてしまいそうな自分に気付く。
「じゃ…拭くぞ」
最終確認をする様な真剣な声に小さく頷いた少女の乳房に、タオルを手にした同級生の手が重なった。びくんと全身が跳ねたのは同級生にも判った筈で、その手が止まる、だが離される事はない。顔から火が出る感覚はこういう感じなのだろうなと他人事の様に思いながら由夏の全神経が同級生の手に集中してしまう。乱暴な触れ方ではなく、どちらかと言えば慎重な、まるで壊れ物に触る様な手が、しばしの間の後、ゆっくりと動いた。キツく閉じていた瞳を薄く開いて盗み見る視界の中で、雨に濡れて薄桃色の乳房と恥ずかしい桜桃色の乳輪を透かしているセーラー服を、そっと同級生が拭っている。布が貼り付いている乳房は張りが強く、スポーツタオル越しに男子の手がそれを裾から持ち上げるとたぷんと揺れ……、
「ぁん……っ」
乳首が布に引っかかって軽く歪められた瞬間、思わず由夏の唇から変な声が漏れた。
「……。エロい声あげるなよー!」
「仕方ないじゃない!へ、そ、そ、へ…へんな場所、刺激したんだからぁ!」
何かに挫折した様に項垂れた同級生に思わず胸を隠してしまいそうになりながら由夏は同級生を睨み付ける。
「少し我慢して拭かれてくれ」
「……」
スケベ心とは何か違う妙に真剣な顔で訴える同級生に、由夏は気圧された様に小さく頷いた。調子が狂う。背が高くなったのも喉仏が出てるのも筋肉がついているのも判るが、何故こんなに自分が緊張して…まるで人間に手を差し出された空腹な野良猫みたいな気分になっているのだろうか。そして威嚇したり逆らったり逃げ出したりするつもりになれないのは、何故なのだろうか。
「……。布が引っかかったのが悪いんだもん。」
「じゃあ脱ぐか?」
「ドすけべ。……。濡れてるの拭くんだから……」
脱いで拭かれ、セーラー服を絞る方が合理的と考えかけて由夏はちらりと同級生を見る。どうやら相手も同じ事を考えているらしいが、罵倒も茶化す言葉も出ず、由夏はそっと、セーラー服の裾をほんの少しだけ持ち上げる。
「おなかだったら…直接でも……、いいよ?」
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54『初めてのプールテント・3幕目』
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