「匡大好き」
既に夜も遅くなり小学生は家に帰って夕食を済ませているであろう時間帯。お台場の夜景は綺麗に光り輝きデートスポットに相応しいロマンチックな空気を醸し出している。海の潮のにおいを感じさせない東京湾深部の海風が彩愛の髪を靡かせる。赤んぼ時代から女優兼モデルである彼女はまだ小学五年生でありながらその仕草は洗練されており会社のOLよりも優雅であり、そして顔立ちは有名俳優であるKに似ていて整っている。――血の繋がっていない娘である。女優である妻と結婚した時には既に彼女は彩愛を身籠っており、そして美男美女の間に産まれた子供は結婚相手である匡にははっきり言えば似ていない。押しも押されもしない人気俳優二人の醜聞である筈だが何故かゴシップにはされない。針の筵の生活な上、妻とKはまだ続いている。
「パパと呼びなさい」
何百何千と繰り返している教育だが頭のいい筈の彩愛は一切従おうとしない。困った子供を見る様にくすりと微笑み、こてりと首を傾ける。Kに似た整った顔立ちは比類のない美貌であり、吸い込まれる様な深い色の瞳がこうしてじっと見つめてくるのは何故か匡相手だけである。
「本当に大好きなのよ。愛してるわ匡」
困った様に微笑みながら娘が囁く。今度主演する映画の主人公の台詞だろうかと思いながら匡は娘を苦笑いしながら見た。妻にも少しは似ている…のは唇だろうか?それは夫婦である以上それなりには夜を過ごしているものの、まるで行きずりの相手の様に楽しむだけの妻に疲れているのは否めない。体よく托卵されたと言ってしまえばそこまでであり、だが娘に罪はない。
「僕も愛してるよ彩愛」
心の底からの愛情を込めて囁いた匡に、仕方のない人ねと言わんばかりに娘が困った様な笑みを浮かべて息をついた。気分転換の様にイチゴのパフェをぱくりと食べ、その冷たさに身を竦めてぷるぷると震える様子は年齢相応でいて、どこか芝居がかっている。そのままぱくぱくと忙しなくパフェを食べ、そして彩愛は立ち上がり匡の腕をとる。
「帰りましょ、海風で髪が傷んじゃう」
幼いながらに女優の言葉に姫君に従う従者の様に恭しく匡は歩き出す。幼い娘の様に無邪気な仕草や表情を見せるのは人目の多い場所が多い。五歳位は幼さを増した感じで甘える彩愛だが、華奢な身体つきでありながら既に身体はどこか女性らしい嫋やかさと乳房のほのかな膨らみを帯び始めている。それを意識出来ていないのか匡の腕に貼りつく様に歩く彩愛は楽し気にハリウッド映画の主題歌を口遊む。生意気にも英語のまま。ホテルのラウンジを通り過ぎ、件の男女の逢瀬の時はいつの間にか自宅で過ごすのが気拙くなり自分達も遊びに出る様になったホテルのエレベータに乗り、最上階のボタンを押して扉が閉まるのを待つ。
「匡はね、ちょっと鈍いんだと思うの」
不出来な親に娘がぼそりと忠告した。
おまけ
「匡、薔薇風呂一緒に入って」
小学五年生であっても人気女優兼モデルである彩愛をその辺りのツインに泊まらせるのも躊躇われ、どこぞのホテルかKの豪邸で逢瀬を愉しんでいる二人への対抗心もありスイートの扉を閉じた瞬間、こてりと彩愛が腕に頭を押し付けてきた。薔薇風呂。何時何処で覚えたのか、いやそれよりいつの間に追加オプションをしたのかと娘をちらりと見る匡に、ふふふっと彩愛が妖しく笑う。
「贅沢ぜいたく。一緒に楽しみましょうよ匡」
そう言いくるりと踊る様に部屋へと進みながらワンピースの背に手を回し彩愛はファスナーを下ろしていく。これが五年後ならば垂涎の光景になるのかもしれない。傷一つ黒子一つない滑らかな白い背中が剥き出しになり、ブラジャーが見えた。
「……。大きくなったな彩愛」
「そう?まだ子供で嫌になるわ」
ブラジャーを着ける様になった娘と一緒に風呂に入るのを躊躇い口にした言葉に、彩愛は少し不機嫌そうに唇を尖らせた。時折あどけない仕草が嘘の様に見えてどきりとさせる娘に、匡は椅子に腰を下ろして指を組む。彩愛がKだけではなく妻にも不満があるのは知っている…いつゴシップになってもおかしくないのに堂々と逢瀬を重ねている二人に敏い娘が気付かない筈がない。どれだけ傷ついているのか判らない愛する、他人の娘を暫し見つめてから匡は腕を広げる。
「おいで彩愛」
それが定位置である様に腕の中に飛び込んでくる筈の娘が一歩手前で立ち止まり、そしてゆっくりと匡の首に腕を絡めてから膝の上に向き合う形で座り込む。ワンピースを脱ぎかけた幼い身体はおかしな形に服が纏わりついているだけで背中は非常に無防備である。抱き着いてくる娘から漂ってくるいつもの鈴蘭の香りに、匡は少しだけほっとした。両親は妻との結婚に反対して絶縁され、周辺も妻とKの不貞は皆知っている。針の筵の人生の中、純粋に匡を慕ってくれる娘は大切な唯一の温もりに近い。どれだけ大切にしてもし足りない程の救いであり、そしてその顔は妻の不貞相手にとてもよく似ている…辛くないと言えば嘘になるが、所詮は他人である自分と違い彩愛の苦しみは計り知れない。
「本当に子供で嫌になるわ」
「独立したいか?でも僕はまだ早いと思うし、彩愛が出ていくのは少し淋しいな」
「馬鹿ね匡は。――絶対に離れないわ」そう言い首に縋りつく彩愛に、匡はその頭を撫でた。「一緒にお風呂に入って、一緒のベッドで寝ましょ。いつもみたいにおやすみのキスもして、腕枕もして頂戴」
甘える子供のおねだりと言うより何処か女王の要求の様な強いものを感じながら匡は息をつく。薄闇の中の激しすぎる一等星の様なこの幼い姫君を何時か手放さなくてはいけない日が来るのだろうが、それがすぐではない様子に心の中から安堵する。もし妻に感謝するとすれば、彩愛を自分に与えてくれた事だろう。
「寝酒は駄目よ?匡は一杯飲んだら朝まで熟睡してしまうから…それはまだ早いの」
どちらが子供か判らない要望に、匡は笑った。
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137『行き倒れと口の悪いお人好し』
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