2022余所自作116『最後のお別れ』

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 銀杏の葉がひらひらと舞う。
 絵画館前の銀杏並木はいつも通りに晩秋の透き通り光を金色に変える。高校から大学、就職してからもずっと二人で歩いてきた光景は変わらずに、愛おしい。
 昨日から丸一日ホテルで抱き合って眠って抱き合って食事してまた抱いて…体力の限界まで栞里を貪った身体は少し怠い。積もった銀杏の葉はさくりと音を立てる。油分の多い銀杏の葉はからりと乾く事がない。
「綺麗だね」
「ああ」
「いつも通りだね」
「ああ」
 去年のクリスマスプレゼントの淡いピンクの鞄を上機嫌そうに後手でゆらゆら揺らしていた栞里がくるりと振り向いた。綺麗なさらさらの髪は先刻和彦がドライヤーで乾かして、ホテルの同じシャンプーの匂いがする筈である。
 愛しい和彦の恋人。これから彼女は二時間後にシャトルに乗り衛星軌道上に上がり、深宇宙探索の任務に就く。空を見上げると微かに白く見える巨大宇宙船。大都市と同程度の乗組員の大半は乗艦後冷凍睡眠に入る。目覚めるのは一番早くても三百年後。人の科学力の限界である。理論上にしかないワープ機構が完成すれば彼女の船を追い越せるのかもしれない…だが追い付けないかもしれない。とりあえず、彼女達と和彦達の時間はもう交わる事はない。
「来年も、和彦はこれを見て」
「ああ」
「再来年も、ずっとずっと、見て」
 何故彼女は自分を置いていくのだろう。任務を聞いてからずっと渦巻いている疑問を和彦は口に出す事が出来なかった。彼女には愛されている。だが、それでも栞里は和彦ではなく任務を選んだ。口にすれば泣くだろう。泣かせたくはなかった。意味のある涙ならば求めたかもしれないが、結果は変わらない。
 通りに面したカフェテラスには幸せな老夫婦が午後のティータイムを楽しんでおり、栞里は愛し気にそれを眺める。もしも任務がなければ、そう考えているのかもしれない。和彦と同じ様に。少し冷たい風に、銀杏の葉がひらりひらりと舞う。
「五年後も十年後も、和彦はこれを見て。――でもね、四年経ったら、私を忘れて」
「おい」
 四年後では探査船はまだ太陽系を出ていないだろう…もう他の船が追いつけない程にスイングバイを重ねて加速をつけて、でもまだ太陽系を出ていない筈である。殆どの住人が百年単位の眠りについているまま。
「そして素敵なお嫁さんと子供をつくるの。とっても元気な子が生まれて、そしてその子がまた大きくなって、和彦に孫も出来て、ひ孫も出来ちゃうかもしれない。あのご夫婦よりも穏やかにお茶を飲んで、幸せに生きるの」
「……」
「それでね、いつか、和彦のひ孫か玄孫かその先の誰か、和彦の遺伝子とか和彦を継いでる子とね、宇宙の果てで会うの。『やあ』って。それが私か何かかは判らないけど、初対面で、ハイタッチするの。無条件で、ご機嫌に」
「栞里……」
「最高の再会をするから、だからきっちり忘れてね?すぐに忘れられるのはちょっと淋しいから、四年は覚えていて。私は何百年後かに絶対にまた会うから、和彦は遺伝子で覚えて、後は忘れて。ね?」
「そんな器用な真似が出来るかよ」
「出来る。してくれる。信じてる」
「お前、いつも無茶ぶりするよな」
 苦笑いを浮かべた和彦に、栞里が泣き出しそうな笑みを浮かべた。
 ひらりひらりと銀杏の葉が降り風に舞う。地面に積もったものまだ枝に付いたもの空を舞うもの、何百何千の葉が日射しを浴びて金色に輝く。来年も再来年も、きっと同じ様に。
「そだ。言ってなかったけど、今日、危険日。赤ちゃん出来たかもしれないけど、いいよね?」
「……。判ってた。結果も教えて貰えない父親ってどうなんだよそれ」
「ごめんね。だって、だって、さ」
 栞里の顔がくしゃりと歪む。薄く滲んでいる涙を伸ばして拭おうとした和彦の指が、彼女の時計のアラームの音に止まる。
「……。――じゃ、行くね?」
「……。ああ」
「ねぇねぇ和彦」
「何だ?」
「愛してる」
 綺麗な笑顔で栞里が言った。金色の光の中で笑う彼女に和彦は目を細める。
「俺も愛してるよ。栞里」

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