●プロフィール 田中佐次郎 SAZIRO TANAKA 1937年 北九州に生まれる 1965年 縄文・弥生式土器の研究を始める 1971年 古唐津発掘調査および作陶を始める 1975年 唐津市半田に登り窯を築く 1978年 この年より毎年全国各地にて個展開催 1980年 加藤唐九郎より教を受く 1985年 渋谷黒田陶苑にて個展(以後、毎年開催) 1987年 岸嶽系山瀬に割竹式連房登り窯を築く、9月初窯 佐賀県東松浦郡浜玉町山瀬マリ石 TEL0955-56-8280 ●プロフィール 黒田草臣 KUSAOMI KURODA 1943年 神奈川県鎌倉市生れ 明治学院大学経済学部卒 渋谷(株)黒田陶苑 代表取締役 『大備前展』『志野・織部展』など 現代陶芸作家の展示会を企画 月刊『遊楽』むげん出版にて「陶三昧の男達」 「陶の語りべ・今昔」などを執筆 光芸出版より「とことん備前」を出版 渋谷黒田陶苑 東京都渋谷区渋谷1-16-14メトロプラザ1F TEL03-3499-3225 黒田陶苑ホームページ http://www.kurodatoen.co.jp |
黒田●はじめに、焼きものを始めたきっかけはどんなところにあったのかを聞かせていただけますか? 田中●基本的には縄文土器とか弥生土器への興味がきっかけになったと思います。当然、縄文土器や弥生土器には釉薬は使われておりません。 38歳で自分の窯をもつまで、日本全国を歩いていた時期がありました。 20代のころから各地で機会があれば発掘に立ち会ったりした関係から、考古学を勉強して、だんだんそういうことが高じているうちに、唐津焼の発掘をしてみないかという友達のさそいが直接のきっかけになりました。 私は九州人でありますし、唐津焼の素朴さには親しみを感じていました。また、昔の陶工の歴史の中に刻まれたひたむきな先人の魂が、私をひき付けたような気がします。 黒田●どのくらい前のお話しですか? 田中●今の古唐津の発掘の調査にかかわったのは、昭和46年、私が34歳のときです。 わたしは二十歳ぐらいのときに、禅宗に少しとりつかれたというか、座禅をくんだり(参禅というのですが)して、仏教に興味をもっておったわけです。 焼きものをいじりだしてから、幸い、禅宗につながるという茶の道は茶禅一味、即ち唐津焼には「茶陶」という一方の世界があり、そこで実際焼きものをつくるという修行の行持と禅宗の座禅を組むということは相まってよく似ている。禅と陶器の世界は切り離すことができないと思いました。 私たちは東洋思想の中に身をおいているわけですが、日本人は殊に「もののあはれ」感、要するに無常感、これが非常に強い。鴨長明の「方丈記」や「平家物語」の出だしでもわかるとおり、仏教的思想があって無常感の思想がありますね。そういったものは焼きものの破片なんか見ていても、つくづく感じます。 もののあはれというのは必ずしも悲しいとか悲哀とかいうものではなくて、どうせこの世の中というのは有為転変の中ですべての物が果てていくという絶対的真理です。それが日本人の至高の思想だと思います。 黒田●本当は唐津というのは食器というか、日常使いの器的なものですが、しかし、主力は茶陶ですね。茶碗は一井戸、二楽、三唐津と言われるくらいですから。 田中●茶陶作りといえば、向付、鉢とかそういったものも含まれますが、とくに私は、焼きものを茶に結び付けた原点、即ち戦国時代に興味を覚えます。 戦国の武将達が、今にも争いが起きかねない状況の中で、茶に風流風雅を求める境涯と、戦いの中で一服のお茶を飲んで戦場に出かけていく、「ここぞ命の捨てどころ」の窮境に迫りたいと思います。 黒田●先生が茶碗をお造りになるときに、口づくりや高台などをいろいろあると思いますが一番力をいれるポイント、一番思い入れのあるところはどんなところですか? 田中●茶碗造りというのは苦しいやら、楽しいやら、いろいろです。 茶碗を見たとき、まず茶碗の一番大切なところは、口づくりだと思います。茶碗は口元をみれば大体のワザの様子がわかります。なりによって、その口元がころころ変わっていくわけです。その口元の柔らかさ、口触り、一番ここが茶碗を見る上で大きなポイントですね。 「高台の削り」も大事です。茶碗の高さと径のボディに対して高台の高さと幅、これが要求されるようです。このバランス、これは私にもまだ未熟です。 しかし、自分の感覚から見てこれはよくできているとか、自分ながらに観察しているつもりですが、やはり高台というのは非常に大事な要素なんです。 高台の切り口というのは、年齢と技術と性格が出ますね。いわば「男の急所」、茶碗に対しての最も欠かせない重要な見所であると感じます。 ちなみに美術品には色彩という不可欠の条件があります。形が良くても色が背馳的であれば美術品の価値を失います。したがって色と形が調和することにによってその視感にうたれるのです。 そこで私達の唐津焼は土味、焼き上がりの色、そして形とがいわゆる三大要素となりますね。 黒田●高さと幅には、その理想の比率みたいなものはあるのですか? 田中●茶碗の形状には高台が不可欠ですね。高台学問があって、これがまた茶碗の醍醐味です。数奇者の男共が茶碗の高台云々をやっている場面をよく見ますが、これがなんと面白い、聞いていて実に焼きもの冥利につきますね。 つまり、高かったり低かったり、広かったり、狭かったり、何時も失敗するんですよ。 これは永遠の課題で、化学や数学で計り知れないものがあり、即ち本体と高台のバランスがピッタリと合致するものがあるようですが、もともと美の形容を心でとらえて表現するときに、これには感性と審美眼という根本的な条件が問われるでしょうね。 黒田●実際の制作にあたって、削ったときと焼き上がったときと、やっぱり違いはあるんでしょうか? 田中●焼きものというのは、焼いて勝負が決まる世界です。 焼き上げて、その色彩がうまくいってないときは、たとえ高台がよくても、形がよくても失敗作品です。うまい温度で焼き上げたときと、焼き過ぎた場合ではまるっきり変わってくる。 唐九郎さんがいつか何かの本に、百碗作って一点採れればいい、そういうようなことを書いておりましたが、確かにその通りだと思います。 それくらい茶碗というものは世の中に出すか出さないか、非常に難しいものだと思います。 黒田●削った時に、これはうまくいった、まあ、うまくいかないものは焼かないでしょうけれど、大体、どのくらいを焼きますか? 田中●たしかに、その人の技術の最高のところでやるわけですから、失敗と成功は結果ですから、作り上げたその時にやはり、当然気に入らないものも出てくる。そういう時は成形の段階ですからそういうものはすぐ崩して、また作り直す、ということですね。10個削ったら半分くらいは捨てるでしょう。 黒田●この度『陶21』に掲載された高麗唐津茶陶は素晴らしい作品だと思いますが、あれは窯から出されたとき、「やった」と思われたのですか? 田中●ところが、あれはよく思い出せないんですよ。数有るなかのうちの、たまたまあれだったわけです。 面白いことに焼きものというのは、火にかけてできあがるわけですが、でき上がったそのあとに、殊に茶碗というのは使い方によって変容の仕方が異なるんですね。 仏教の教典の中に「本源自性天真佛」というのがあります。山川草木、森羅万象、すべてのものに仏性があるといいます。人間はもちろん、見るもの見えないもの全てに仏性があるといい、私は茶碗に例えて言っているわけですが、これは、焼きあがった最初の新しいものには見えないものがこの中に含まれているんです。その、見えないものが見えてくるというのは、使うことによって様子が変わっていくわけです。それが「本源の自性」です。真の姿が、使うことによって顕現するのです。 この持ち主は毎日朝五時に起きてお茶を立てるそうです。毎日使っていると、その人の魂が茶碗のなかに入って、枯淡の味というか、そういう情景を醸し出していくのでしょう。 今は実にいい茶碗に仕上がっていますね。持ち主に感謝しますよ。この茶碗は後世に伝えたい会心の一撃でありました。 黒田●あの茶碗を渡されたときは、まっさらだったんですか? 田中●ええ。まっさらです。 唐津というのは織部や志野と違って、見たところが静かなんです。よくいえば、衒(てら)いがない陶です。それが使っている過程のなかで醍醐味を覚えてきます。この面白さは戦国時代の武将や茶人が愛玩した気持ちと、現代の愛陶家と同時にして不異なことです。 黒田●先生は今どちらかというと窯のある山瀬の土に力をいれられているようですけれど、それに魅かれるものはどんなところでしょう。 田中●この土には奥底の計りしれない大きな妙味がありますね。400年まえの古窯から発掘された焼きものをみますと、その9割8分までが斑唐津なんです。 私も山瀬に登ってちょうど10年になり斑唐津を焼いているわけですが、斑だけではなくて他の釉薬をかけたりすると、この土はオールマイティというか、いろんなことに気がつくわけですね。 まだまだ勉強不足ですが、今から先、せっかく山瀬の土地に栖(すみか)を見つけてやっているわけですから、いろんなものを手がけて、面白いもの、楽しいものを作っていきたいと思います。 黒田●山瀬の土は当然、単味でお使いになっているわけですよね? 田中●そうです、単味でやっております。 山瀬の土はビスケット色をしており、非常に肌が柔らかい。唐津焼きのなかでも一種独特のものです。日本でもこのカオリン系の土というのは山瀬だけにしかないんですね。とくにカリ長石を母岩とするカオリン系の土で純度が高く、粘土鉱物はメタハロイサイト、つまり花こう岩の風化からできるものですが、この粘土は非常に作りにくい土なんです。 しかし、面白い。色は唐津焼きのなかでは最も異質なもので、女性的なんです。唐津は大体男性的で、荒々しさとか雄渾の土とか言われておりますが、山瀬の土は、女性の肌のように優しいんです。私はそれを長所として生かして、いろんな柚薬をかけてやっていきたいと思っております。 また、高台を切りますとちりめん皺が荒々しく、それが山瀬の土の特徴ですかね。 黒田●たしか、10年前に山瀬に来られたということですが、その前の半田でなさってた時の作風は豪快なものでした。 山瀬では静かさ、優しさ、端正さで作風も変わられてきたのではないかと思いますが、それは土のせいですか。 田中●ウーム、人間に例えると若いときは無鉄砲、荒武者とか、無知も加わって豪快にも見えたりしますね。ところが経験が知恵を生み、眼識と技術が養われて、それに大事なことは作る人の姿勢が大きく左右されると思います。従って職人誰しもが必ず技量の変化はあるものです。 黒田●先生の会心の作品はご自身で銘々されますが、そのときはどんな感覚で銘をつけられるんですか? 田中●まだまだ拙いですが、自分ながらに銘をつけています。景色を見たり、形を見たりとかですね、茶碗にたいして自分の思いを馳せて、たとえば万葉集、謡曲、中国古典、仏教の教典、その他の感情からつけたりしています。 黒田●焼き上がったときに「お、これは銘をつけたいな」とひらめくものと、あとから付けられるものとあると思うのですが、やっぱり銘を付けられる一瞬ぱっとひらめくというのは、先生としても会心の作ということになるんでしょうか? 田中●そうですね、大体、銘を付けるというのはちょうど和歌を作るように、頭の中をぐーっとしぼっていって出てくるようです。 この茶碗はどうして生まれてきたのかを一番知っているのは私です。だから、銘を付けることは焼物を作るということと同じように楽しいものです。 黒田●これからはどんな茶碗をつくりたいですか? 田中●まだ足元にも及びませんが、織部、仁清、光悦、唐九郎、この先覚者は日本焼物界の重鎮ですね。 彼らの歴史の轍迹というか、どういうことをやってきたのかがはっきりわかっているわけですね。彼らたちの足跡などを私も勉強しながら、自分の技術というものを交えながら、がんばっていきたいと思います。 黒田●100年先を念頭において作品を作られている、というお話を聞いたことがあるんですが……。 田中●現代の人に楽しんでいただくことは、自分が生きてゆけることですから、こんなに有難いことはありません。 さて、時は人を待ちません。命の果てる時が必ず来るわけであります。「未だ見ぬ世を友として」…、これが私の天職の究極です。後世の人が高台がいいだの、口造りが悪いだの、想像すると胸の血潮が熱くなります。 黒田●ところで先生は最近韓国にたびたび行かれているようですが、狙いは井戸茶碗にあるわけですか? 田中●井戸茶わんは私の茶碗造りの中で数は七、八点です。凌雲の志を抱いて対峙したいと思います。 やはり生涯のテーマは井戸茶碗ですね。たしかに喜左衛門は、なるほど名うての名碗だと、目のあたりに見て感じました。井戸もあちこちで見る機会がありますが、あれは単なる飯食い茶碗ということで片付けては困りますね。この茶碗を観察しますと並々のものではないということがよくわかります。 井戸茶碗の形姿はまず健康的で明るいですね。凛々しく、立ち上がりは堂々として武士然としていますね。土味は粗く、見込みは深く、殊に手取りがいいですね。まさしく格調の高い男の茶碗ですよ。 1、形 2、胴の指迹ロクロ目二回半から四回転半 3、梅花皮(かいらぎ) 4、竹の節高台 5、兜頭巾 この五ツの約束が殆ど忠実に施されていて、この茶碗の美意識感覚は他の茶碗に群を抜いて、四百年たった今日でも、茶の世界の王様ということは萬人に異論はないでしょう。 昔の朝鮮茶碗にはあっと驚くことがたくさんありますね。形状の美からはじまって、土の吟味、土の作り方、この土になぜこの釉薬をかけるのか、なぜ指迹があるのか等。というのは私自身が粘土から焼き上がる迄の工程作業を、数の上でたくさん経験しているので、彼らのその理を発見するのです。 四百年前の昔朝鮮茶碗の出来た時代の背景があり、当時朝鮮の陶工、日本人渡鮮の匠、そしてこの者達に技術の指導をした日本人の見識者、なかんずく堺の商人ですね。これらの最高水準者が茶碗造りに従事したことが伺えます。 さらに加えますと権力者信長、秀吉を頂点に他の茶器を含めた論功行賞の代償として扱われるわけですから、当然鋭い芸術性が要求されますね。従って当時の名刀や、土地、身分地位等に匹敵して朝鮮の茶碗は、桃山の権力の構造社会に大きな役割を果たしましたね。 黒田●奥高麗についてはいかがですか? 田中●奥高麗という言葉は唐津焼のことは確かです。学者の説を借りますと、江戸中葉頃から出てくる言葉のようです。 奥高麗茶碗と称するものは、大体絵の施してないものを指すようですね。 この茶碗で赤味をおびた枇杷色でたっぷりトロッとした釉薬のかかったものを見ますと、まるで極楽絵図を見るようでそれはすばらしく言葉になりませんね。 またこの茶碗には絵がないので非常に静かでソソとしていますね。茶はもともとあばれる物を嫌いますから、古来日本人に控えの文化があって、その点この茶碗は偉を張らず茶席にはもってこいだと思います 黒田●先生の作品は特にどういうところをファンの人に見ていただきたいですか? 田中●人にはそれぞれ人となりがあり、特に茶碗の場合には作品に雅趣と遊びがあると、一層の妙味が加わりますね。 私はよく茶会で、茶の雰囲気に浸る機会が多いのですが、昔のものをよく見ます。私が今見ている400年も500年も前のものを見たとき、その作った人の感情が自分に伝わってくる。即ち、遠い先人の陶工からいうと、私こそ未だ見ぬ世の友なのです。 もちろん、現在私自身が作品を作っているわけであり、それを人々が観賞するのですが、どこを見ていただきたいとはなかなか難しいですね。 作品の長所、短所はともかくも、強いて言えば土でしょうか。焼き物を見て土の匂いとか、土味がいいとか言いますね。陶工が土を吟味することが最初の技術の第一条件です。土は形を変えて色までも変えます。さらに色と形状は響きを発していますね。 茶碗は土で決まる。このような考えを持っております。 黒田●朝鮮茶碗の土味はどのようにとらえていますか。 田中●そうですね。戦国時代の資料を見ますと、朝鮮茶碗のその殆どが使い込んだサビの妙味を見て売買しているようですね。 朝鮮の茶碗はカオリン系の土が多く、割合に早く変わるんです。こういったものは、わざと汚したのではなく、使っているうちに早めに変化していったのです。早く変わるから悪いということはそれには当てはまらない。 例えば、利休斗々屋というのがありますが、あれは土が黒くなり、景色となって、それが土味そのものです。 黒田●次回の個展の予定は? 田中●渋谷黒田陶苑で、秋に『茶碗展』をやります。 これは腕によりをかけてやります。結局、茶碗というものはすぐにはできないから、窯を焼くたびに一点か二点ぐらい取っておいて、大体二年がかりで三十碗ということです。 黒田●お茶碗展のときには立派な図録を、作品集を作ろうと思っていますのでがんばって陶作に励んでください。先生のファンの人達共々楽しみにしております。 |
個展会場にて |
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田中佐次郎 作品 作品を拡大してご覧になりたい場合は 写真をクリックしてください 絵唐津一文字茶碗 山瀬茶碗 朝鮮唐津耳付花入 斑唐津徳利 唐津ぐい呑み 唐津高盃 唐津平盃 ●田中佐次郎先生の作品についての お問い合わせは < 鯰ネット> E-mail / namazudo@netlaputa.ne.jp Tel / 03-5468-8066 Fax / 03-5468-8067 までお気軽にどうぞ |
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田中佐次郎 「井戸十碗展」期間 2000年2月25日(金)より3月1日(水)までAM11:00〜PM7:00 ※最終日はPM4:00まで 会場 渋谷黒田陶苑 東京都渋谷区渋谷1-16-14メトロプラザ1F TEL03-3499-3225 詳しくはこちらまで 渋谷黒田陶苑個展会場にて、 床の間の掛け軸の書は先生の自筆の書 |