コンスタンティノープル-1

旅の53日目 10/17
イスタンブールにて
「イスタンブール」はかつて、「コンスタンティノープル」と呼ばれていた。
東ローマ帝国の首都として栄えた都市である。

『絶対難攻不落の要塞都市』
『第二のローマ』
『東方キリスト教世界、最後の砦』

そして弱体化していく『ビザンチン帝国最後の栄光』・・・。

今回の旅で私は、「オスマン・トルコ」占領後の街ではなく、
ローマ人が造った『都市構造』を見たいと思っていた。
 

ローマ人の得意技は、「都市インフラ」である。
何と言っても、『水道橋』が感動的だ。

「街の背骨」にあたる場所に、今でも『水道橋』が遺っている。

下の写真は『ヴァレンス水道橋』。西暦378年に完成。
現在では、自動車道路が下をくぐっている。

本当は、立ち入り禁止らしいのだが、
地元の少年少女達が登っているのを見て、
私もよじ登った。

高さは20m位はあるだろうか、もともと街の一番の高台に建設されているので、
イスタンブールの街の構造がとてもよく解る。

1500年以上前の建造物である、ローマ人の「都市設計力」の前では、
現代の都市計画も、やや霞んで見えてしまう。

西安からイスタンブールまでの走行距離:13632km


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