2000年 9月18日 |
HARIの私的考察 |
「カードキャプターさくら」における「お付き合い」についての私的考察 |
「カードキャプターさくら」は、その「表向きの読者層」からは考えられない、様々な「お付き合い」のパターンを登場させている。 それら「お付き合い」のパターンを、原作をベースとして「私的考察」してみよう。 |
「つき合い長いからねぇー。」 〜千春ちゃんと山崎君〜 幼稚園からの幼なじみで長い付き合い。(っていっても、小学年だからなぁ。>彼ら)お互いに「言いたいことを言い合える」し、お互いの生活習慣も知っているから、非常に「自然体」のお付き合いだと言えるだろう。 おまけに、相手を傷つけたら素直に謝る事ができる信頼関係まである。 「主たる読者層にとって、「もっとも身近かつ理想のカップル」ではないだろうか。 (個人的には、作中で一番好きなカップルである。) このカップルの魅力は、まさに山崎”うそつき”貴史くん!(TV版では、CV(宮崎”小笠原勇之助くん”一成 氏)によってその魅力が倍増している。) 彼の「大うそ話」は、まさに芸術である。 (奈緒子ちゃんではないが「いい芸をしている」のだ。) あの芸術を「多分、ほとんど見聞きしている」千春ちゃんが羨ましく思える。 その「頭の回転の速さ」に対抗できるのは、クラスでは柊沢君だけに違いない。 (柊沢君とコンビを組んだ「チョコレートの話」は絶品である!) また、「眠れる森の美女」で見せた魔女役での芸達者ぶりも彼の魅力を現している。 登場するタイミングの良さも彼の魅力である。 (多分、作者は山崎君を「非常に使いやすかったのだろう。) また、悩むさくらちゃんに、アイコンタクトで千春ちゃんに「相談にのってあげて」と伝えて、本人は「ジュース買ってくるね。」とさりげなく席を外す心配り、「おまえ本当に小学4年生かぁ」と思える気配りである。 なんで彼について熱く語っているかといえば、あのキャラクターをHARIはすごく好きなのである。 中学生になったこのカップル(っていうか、益々磨きがかかったであろう山崎君の「大うそ話」)を見てみたいのは、HARIだけだろうか? 「会えないわけじゃないんだけど あんまりお話とかいっしょにいたりとかはできないの」 〜利佳ちゃんと寺田先生〜 女の子にとって、同学年の男は「ガキ」に見えるらしい。 で、身近で憧れる対象となる「年上の男性」といえば、やっぱり先生。 かくて、「おちついた雰囲気を持つ」利佳ちゃんのお付き合いしている「年上の男性」は、自分の担任である寺田先生。 作中では、「年上のひととお付き合いしているから」「落ち着いている」と評される彼女の行動や言動は、とても小学4年生には見えない。 利佳ちゃんの寺田先生に対する接し方は、小学生で出来る事ではない。 (「年上の人とお付き合いしているから」「落ち着いて見える」のではなく、「落ち着いているから」「十歳以上も離れた年上の男性とお付き合いできる」のだ。) そんな利佳ちゃんに寺田先生は、なんと婚約指輪までプレゼントしてしまう。 (その時のセリフ「結婚指輪になるまで大事にしろよ」は、やっぱり女の子の憧れかもしれないが。でも・・・、婚約指輪と結婚指輪は普通別々なんだけど。) 「先生」という存在は男女を問わず「憧れ」なのかもしれない。 ちなみに、さくらちゃん達友人には「年上の男性とおゆきあい」している事を話しているようだが、さすがにその相手が「自分達の担任」とは言えなかった様だ。 しかし、女生徒と教師のこういう仲って高校ならともかく、小学校では父兄に知られたら大変だろうに。 ましてや、「結婚が前提」だなんて・・・。 でも、実はそれをやっちゃった人達がいるのです。 「天使が空から落ちてきたのかと思いましたよ」 〜藤隆さんと撫子さん〜 中学生の頃からモデルしていて、良家の箱入り娘であった撫子さんは、なんと16歳(高校生!)の時に25歳の藤隆さんと結婚しているのだ。 当然、撫子さんの実家とは絶縁状態になるはずである。 (もっとも、「かっこよくて、やさしくて、料理が上手で、何でもできる」のだから、撫子さんが惚れるのも無理はない。これで魔法が使えたら「彼」そのものだし。) しかし、若くして撫子さんは天に召されてしまう・・・。 だが、事有る毎に天から舞い降りてきて、桃矢君やさくらちゃん、そして藤隆さんを見守っている。 個人的には、撫子さんをモデルにして、ポートレートを撮ってみたいものである。 「すごくうれしかった 私も大好きだったから」 〜桃矢君と観月先生〜 前の「利佳ちゃんと寺田先生」とは、逆のパターン。 まだ桃矢君が中学生の頃の話である。 そう、中学生と教育実習の女子大生の「おつきあい」なのだ。 小学生と教師よりは、こっちの方が現実味があるかもしれない。 小学4年生と先生の年齢差は10を越えているけど、こっちなら8年位で「世間一般でもよくある、許容範囲の年齢差」ではある (作中では「力のある者は力のある者の惹かれる」って設定ではあるが。) ストリー上で「そのシーン」は描かれていないが、桃矢君から告白したようで、観月先生にしてみれば年上の女性冥利につきる事は間違いない。 (観月先生、友人からは「年下が好きだからねぇ〜」と言われているのだろうか?) 男女を問わず「ある年頃までは同年代以下がガキに見え、そこから先は魅力的に見える事を、前出の「利佳ちゃんと寺田先生」と「桃矢君と観月教育実習生」の関係は現しているのだろう。 しかし、「桃矢君と観月先生」の「お付き合い」は観月先生からの「別れましょう」で終わってしまう。 (「先が読める」観月先生が、留学先のイギリスで「より力のある者」と出会う事を示唆した別れであった。) その後は・・・、完全に利佳ちゃんと寺田先生の逆バージョンになるのである。 年下が好みなのだろいうか。>観月先生 確かに、それだけ「年下」ならいくらでも自分の好む色に染められるメリットはあるが。 (しかし、観月先生が選んだ相手が相手だから・・・、それに、ある意味で「年上」である。>今の彼氏) 一方、それが女性に対するトラウマになったのか、桃矢君が次に選んだのは・・・。 「だから 隠さなくてもいいんだ。」 〜桃矢君と雪兎君〜 竹宮恵子さんの「風と木の詩」で少女マンガに広まった「男性同士の恋愛(?)」世界だけど、大多数の男に理解できない世界でもある。 (こっちも「力のある者は力のある者の惹かれる」ゆえの関係ではあろう。) 男性マンガでの男同士の関係(野球マンガで「バッテリーの信頼関係」を「女房よりお互いを知り尽くした」って言うことがあるけど)は愛を伴わないけど、どうも少女マンガの世界では「愛」を伴う関係が好まれるようである。 女性が「男同士の関係」をなぜ好むのか考えてみると、多分「男性同士の関係」を求めているのではなく、「女性が関係しない恋愛関係」を求めているような気がする。 かっこいい男性を「他の女性に取られる位なら・・・」の心理も働いているのかもしれない。 だから、この手のキャラクタは片方(両方)の男性が中性的に描かれているのでは無いだろうか。 (もっとも、少女マンガに登場する男性は「中性的」なキャラが多いが。) しっかし、桃矢君にしても雪兎君にしても、女性がほっとかないと思うのだが、前の別れがトラウマになったらしい桃矢君はともかく、雪兎君は女性に興味が無いのだろうか。 (彼のさくらちゃんに対する接し方は、そんな傾向を感じさせないが。) 「真の姿」のクロウ・リードに対しての想いを、「仮の姿」は(もしかしたら、クロウ・カードの後継者だったかもしれない)桃矢君に求めたのかもしれない。 しかし、二人の関係を知ったら、それはそれで女性には受けそうではあるが。 「きっと さくらちゃんとは違う意味の「好き」ですけど」 〜さくらちゃんと知世ちゃん〜 男同士があるなら・・・、という事で、女性同士の世界。 柊沢君をして「優しい心と鋭い洞察力を持っている」と評され、ある意味で「すべてを知っているとしか思えない」知世ちゃん。 彼女が同級生のさくらちゃんから「好き」といわれた後につぶやいたのが、この台詞である。 しかし、小学4年生が「好き」という言葉の持つ「Like」と「Love」の違いを理解しているとは、さすが知世ちゃんである。 母親もさくらちゃんの母親に同じ想いを抱いていたので、遺伝というか、宿命というか。 ましてや、自分の想いが報われないことを(母親を見てか)理解している点からもすごい。 確かに「好きな人の幸せを見守る事がいちばんの幸せ」は素敵な事だろうけど、それでは「知世ちゃんの存在」はなんなのだろうか? ・・・、って考えるのは、きっと「もうすこし大きくなって」からだろう。 その時、知世ちゃんは何を思い、どう行動するのだろうか? 「さくらちゃんの一番はぼくじゃないから。」 〜さくらちゃんと雪兎さん〜 繰り返しになるけど、女の子にとって、同学年の男は「ガキ」に見えるらしい。 で、身近で憧れる対象となる「年上の男性」といえば、「兄貴の友達」 これが美形でスポーツ万能なら、「親友の妹」としては憧れてしまうのは当然だろう。 かくて、さくらちゃんが憧れてしまったのは「兄貴のカッコイイ友達」である雪兎さん。 しかも、向こうも思わせぶりな態度で優しく接してくれる。 これじゃ、思いは募るばかりである。 そこで、とばかりに勇気を振り絞って思い切って告白したら、「Love」と「Like」の違いをやさしく説かれてしまう。 しかも、「雪兎さん」はお兄ちゃんの事が一番大切な人で・・・、となってくると、顔で笑っても心中穏やかではない。 そんな時に、話を聞いてくれて「元気」をくれたのは、やっぱり身近で危険を共にした存在だった。 「おれが いちばん好きなのは ・・・おまえだ」 さくらちゃんと李くん 最初は同じ目的を持ったライバル同士でいがみ合っていたけど、次第にお互いが気になりだして、自分でも気が付かないうちに・・・。 ここら辺を作中の演出では、「お互いの呼び方の変化(さくらちゃんが「李君」から「小狼くん」に、李くんが「おまえ」から「さくら」にお互いの呼び方を変える)」で表現していると思うが、いかがだろうか?。 (知世ちゃんに言わせると、「さくらちゃんは、そんな事を考えて呼び名をかえたのではありませんわ。」だろうけど。) 李君にしろ、さくらちゃんにしろ、「自分の気持ちに気づかせるきっかけを作ったのが」お互いのあこがれの人、雪兎さんなのが興味深い。 そして、さくらちゃんが自分の気持ちに気が付いた時は、お別れの時だった。 まさに、王道的なパターンである。 余談ではあるが、 互いに反発しあっていても、大きな難問に共同で解決していかざる負えなくなった男女は、「より親密な」関係になりやすいそうである。 ましてや、同年代の場合は恋愛に発展しやすい。 (これは「大きな難問」を解決していく上での緊張感などが、恋愛時のそれに似ているからだとの説もある。) しかし、帰ってくるまで数年もかかるとは、「香港でなにをやり残して」いたのだろうか。 こうして観ると、「カードキャプターさくら」は「お付き合い」の年齢差について全てのパターンを網羅している事になる。 「主人公の年齢が、主な読者層の年齢になる」事を考えると、ここまでパターンは必要なのかと疑問に思えるが(なにせ、主人公は小学4年生)、実は「裏の読者層」を意識しての設定だと言う事が分かるだろう。 「カードキャプターさくら」は、表向きは「小学校高学年」を対象としつつ、実は「さらに上の年代」をもターゲットに置いた恋愛マンガだったのだ。 だからこそ、これほどまでに受けたのであろう。 おまけ 「だから あのガキが気にくわなかったんだよ。」 さくらちゃんととーやにいちゃん とーやにいちゃん、妹の彼氏に嫉妬するだなんて、そりゃ完全にシスコンでっせぇ。 結婚して(誰と?)、娘が産まれたら、完全に「娘溺愛パパ」でになりそう。 娘を嫁がせる時は最後まで反対して、結婚式で大泣きするタイプだな。(^^;
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