具体的な導入情報を知りたい方は「FTTH(Bフレッツ マンションタイプ)導入記(「導入・設定」編)」をどうぞ。
・ブロードバンド前夜
1998年・秋
「このマンションへの経路に、光ファイバー使っているんですよ。」
HARIの家にISDN導入工事に来たNTT東日本(以下、NTTと略)の担当者が説明してくれた。
と、言うことは・・・、HARIは担当者に質問した。
「では、将来光ファイバーを使った(インターネット接続)サービスが提供されれば、すぐにでも使えるのですね?」
「サービスの提供は、まだ未定です。実際にサービスが始まっても、導入にはマンションの管理組合さんの承認が必要になるでしょうけど。」
一般家庭でも光ファイバーによるインターネット接続・・・、そんな時代がくるのか。
だが、HARIにはまだまだ先の事のように感じられた。
インターネットに接続する為には専門知識を必要とし簡単には出来なかった時代が、はるか昔に感じられる様になってきた。
かつてHARIは日本でWFW3.11(Windows3.1のネットワーク対応版、米国では発売)が発売されなかった事を悔やんだ一人で、Windows3.1Jでのインターネット接続を難易度やコストからを諦め、インターネット接続を目的としてOS/2 Warpを導入したものだ。
それが今では簡単に接続できるようになっている。
だが、接続環境は変わっていない。
未だモデムが主流で、CATVによるインターネット接続は提供地域が限られており、ISDNによる64Kbpsは「現実的な最高速」の方法であった。
接続料金も従量制がメインで、かつての「パソコン通信」時代と同様にNTT通話料金とISPへの接続料金を気にしながらのインターネット接続であった。
接続時間を気にしないでインターネットを楽しみたいユーザーは睡眠時間と引き換えに「テレホーダイ」を利用し、それがゆえに23時を過ぎると急激にスピードが遅くなるといった現象を引き起こしていた
常時接続が一般家庭でも手軽に出来るようになるのは、NTTがユーザーの要望に答えて(負けて)「IP接続サービス(仮称)」(後の「フレッツ」)を開始する1999年秋まで待たなければいけなかった。
・導入できないADSL
2001年、衝撃的なニュースだった。
Yahho!が、驚くべき低価格で高速なインターネット接続サービスを提供する。
そう、ADSLという規格名を一般家庭にまで広げた「Yahoo!BB」のサービス発表であった。
論理値とはいえ1.5Mbps(後に、8Mbpsもサービス開始)は、ISDNの64Kbpsに比べると20倍以上のスピード。
まさに「桁が違う」のである。
まだ詳細なサービス内容が発表されていないにも関わらず、申し込みが殺到した。
だが、HARIはADSLを横目で見ているしかなかった。
ADSLの制限にHARIは引っかかっていた。
一つはNTT収容局からの距離、地図上での直線距離で2Km強は微妙な所だ。
だが、二つ目の制限は事実上「ADSLの導入は出来ない」事を示していた。
それは、ADSLの仕様「NTT収容局からの経路が全てメタリックである事。」
HARIの住むマンションへの経路には、光ファイバーが使われているのだ・・・。
・”光”への道
2001年11月。
ADSLが導入できない事に不満を感じていたマンションの住人はHARIだけでは無かった。
その証拠に、1999年頃より「ブロードバンドの導入について」といった議題が管理組合で持ち上がっていた。
しかし、当時の選択肢は「CATVによるインターネット」位しか無く、おまけにHARIが住んでいる地域のCATVが提供するインターネット接続サービスは市場価格に比べて「割高」であった。
HARIは、実際に「この価格でこの速度(1.5Mbps)、おまけに契約上の利用可能PC台数は1台で2台以上は割り増し料金だなんて、絶対に契約しない!」と決心していた。
だが、ここにきて状況は急変する。
NTTが、HARIの住んでいる地域でFTTHによる「Bフレッツ」の提供を開始したのだ。
管理組合は、数年来の懸案事項であった「ブロードバンドの導入」に終止符を打つべく「Bフレッツ」の導入に向けて動き出した。
NTT側も、導入に乗り気で話はスムーズに進む。
管理組合の事前調査でも、住人の反応は良好であった。
だが、反応が良くても、実際の契約者が少なければ導入できない。
(Bフレッツ マンションタイプの導入には、8世帯以上の契約が必要。)
まず、NTTにより2日間に渡って合計4回の説明が開催された。
こちらも開催会によって参加人数にバラツキがあった物の、反応は良好だった。
そして、正式な申し込みに先だって、事前申し込みが開始。
ここでの申し込み数によって、導入の可否が決定する。
そして・・・、申し込み数は導入可能の最低ラインである8世帯を簡単に超え、月額料金が割引価格(3,500円/月が3,000円/月)となる16世帯を超えた。
Bフレッツ導入に向けて、本格的に動き出した。
まず、NTT担当者による「契約希望世帯への個別訪問」が行われた。
これは、契約者に「Bフレッツ」を説明し、正式契約の同意を得る事がメインであった様である。
何故、曖昧な書き方かといえば、HARI自身もNTT担当者の訪問を受けたのだが、挨拶と料金説明を改めて受けた後に、直ぐに導入工事日程の話となったからだ。
どうやらNTTによって行われた「説明会」での質問内容からHARIは「詳しいユーザー」と判断されたようだ。
(ちなみに、HARIはわざと難しい質問をして営業担当者を困らせるような悪趣味は無い、念の為)
ついでに、HARIはNTTが販売するブロードバンドルータAR230E(OEM元はアライドテレシスでコレガ「BAR SW-4P Pro」と同等品、ちなみにコレガはアライドテレシスの100%出費会社)を購入する。
NTT担当者は「お宅への工事がこのマンションの導入第一陣となります。ここでの接続がうまく行けば他の所でも大丈夫だと思うので、安心ですよ。」と言って去っていった。
HARIは、苦笑いするしかなかった。
「うちは、NTT側でちゃんと地域IP網まで接続してくれたら(ここまでがNTT側の責任範囲)、後のルータやISPの設定はこちらの責任で出来る自身はあるけど、他の所では何が起こるか分らないぞぉ・・・。」
と内心思いながら。
HARIの環境は、すでにダイヤルアップルーターにスイッチングHUBを接続して複数のPCを接続したLANが稼動している。
つまり、機械的にはダイヤルアップルーターをブロードバンドルーターに変えるだけで良いのだ。
しかし、説明会で聞いた限りでは、PCにLANカードを設定していない家庭も少なからずあった。
LANカードを増設してLANの設定を行う・・・、筐体を開けたことすらない人にとってはNTT工事担当者に「お願い」する事は十分にありえるから。
(あるいは、USB接続かもしれない。)
・そして、開通
2002年1月25日朝、外は快晴だった。
前日までにマンション共有スペースへはFTTH用の通信機器が設置されているので、朝から各部屋への工事が始まった。
また、注文していたブルードバンドルータAR230は既に納品されており、すでにHARIの手によって設定が終了している。
午前10時すぎ、NTTによる工事が始まった。
第一弾として、4戸の工事を行うとの事。
NTTにてマンション内の回線装置の変更(HARIの場合は、FTTHの接続だけではなくISDNから通常回線への戻しも行う)を行った後、いよいよ家庭内での切替である。
HARIが「このマンションで最初にFTTHに接続する栄誉」(言い方を変えれば「人柱」なのだが)を頂いた。
まず、モジュラージャックからの電話ケーブルの接続先をダイヤルアップルータMN128SOHO-SL10からHomePNA装置に切り替え、さらにHomePNA装置のLAN出力からブロードバンドルータAR230EのWAN側にUTPケーブルで接続する。
次に、ダイヤルアップルータMN128SOHO-SL10に繋がっていたスイッチング・ハブに接続されているUTPケーブルをブロードバンドルータAR230EのLAN側に接続する。
そしてHomePNA装置、ブロードバンドルータAR230Eの順で電源を投入。
ブロードバンドルータ、HomePNA装置が正常に稼動している事を正面のランブで確認した後、PCの電源ON。
事前準備が万全だったせいもあって、何事も無くFTTHへの切替は終了しHARIのインターネット接続環境は、ブロードバンド化した。
その速度、論理値ベースで150倍強。(実質90倍!)
(もちろん、こちらがいくら早くてもインターネット側がボトルネックになる事は多々あるが。)
画像が多いWEB SITE(ここも、なんだけど)も、もう平気である。
いやー、ブロードバンドってこんなに快適だとは思わなかった。
でも・・・、遅いサイトは何をやっても遅いのね・・・。(^^;;;
|