戻る


ミニの誕生 〜自動車工学の奇跡〜

 *ADO15というコードナンバーを付けられたミニが*BMCからデビューしたのは1959年8月26日だった。1956年9月に起こったスエズ危機(エジプトのナセル大佐がスエズ運河を封鎖。石油供給がストップした)のオイルショックが原因となり、イギリスにはガソリン配給制度が導入され、ドイツから輸入されたバブルカーと呼ばれる小型車がイギリスを占領。その巻き返しを図るために作られたのがADO15と呼ばれる小型車開発プロジェクトである。BMCの会長レオナード・ロードは天才的エンジニアの*アレック・イシゴニスにこの計画を一任した。

 ADO15に要求されたコンセプトは「大人4人が無理なく乗れてスピードも出る。経済性にも優れ、高度な走行性能と快適な乗り心地も両立。BMCの既存するエンジンを使って、これまでのどんなサルーンよりも小さなサルーンを作る」というものだった。

 ところが、BMCで使えるエンジンは、モーリスマイナーやオースチンA35と呼ばれる車のエンジンで、その大きさは92cm。到底そのまま搭載出来るものではなかった。そこで考え出したのが、エンジンを横置きにして、トランスミッションをクランクシャフトの真下に置き、その間を何枚かのギアで連結するという画期的な発想だった。簡単に言うとエンジンとトランスミッションの2階建て構造である。このようにして作られた、エンジンを始めとする駆動系は、モノコックボディのサブフレームに見事に収まったのである。

 その結果、ADO15は全長わずか3050mmというコンパクトなボディサイズに、イシゴニスの最初の構想通り、80%の乗客+トランク用スペースと20%の動力用スペースを持つ小型サルーンとなった。

 当初、2階建て構造のエンジンは848ccの水冷直列OHV。ボアストロークは62.94×62.28mm。SU*キャブレーター1基で34馬力。最大トルクは6.08kg-m/2900rpm。トランスミッションは4速。

 この横置きエンジンによるFWD(Front Wheel Drive:前輪駆動のこと。FFは和製英語)は、後輪駆動というそれまで最も合理的と思われていた小型車のデザインを根底から覆し、後の小型車に多大な影響を及ぼした。今では小型車はFWDが当たり前になっているが、それはほとんどミニによって一般化されたと言ってもいいほどである。

 ミニが革新の小型車と言われている理由はこれだけではない。タイヤをボディの4隅ギリギリに設置するレイアウトや4輪独立懸架サスペンション。10インチホイールのタイヤを開発・採用することによる重心の低下と安定性。足回りは、ゴムの反力を利用したラバーコーン式。このような、今まで誰もなし得なかった新しい試みが、自動車工学の奇跡とまで呼ばれるミニを生み出したのである。

 ちなみに、ミニによって10インチホイールタイヤが一般化したことにより、日本で進められていた小排気量の「軽自動車」規格の発展がスムーズに進んだという。

 ミニの製作に携わったのは、イシゴニスと2人の設計者と4人の製図員と2人の学生アルバイトのたった9人。イシゴニスは、少数精鋭で仕事をするやり方を好んだ。

 ミニは「四角くて丸い」とイギリス人が表現するように、直線と曲線がうまく混ざりあったユニークなデザインだったが、各面がラウンドしているのは、単にデザインのためだけではなく、剛性の向上と内側の容量確保という重要な要素が含まれている。

 特にボディの特徴となっているのは、その溶接しろ。普通なら裏側にしまい込むところをミニの場合は作業工程上の簡易性を考慮してあえて外側に出された。各パネルが、損傷を受けたり錆びて腐ってしまっても、そのパネルだけを交換すれば簡単に修復できるというのがパネル構成の理由である。

 ミニは1959年9月2日、100を超えるショールームで一斉に発表された。

 それより1週間前の8月26日付けの新聞には、プレス発表を受けて「こんな小さな車は今まで見たことがない。しかも前輪駆動、4輪独立サスペンション。燃費はわずか50mpg(1ガロンのガソリンで50マイル走れる)。最高速度は70mph(換算すると約110km/h)。全長わずか10フィートなのに、800ポンド以上のサルーンよりも広い室内を持つ。それでいて、そのオースチン・セブンは税込みで500ポンドもしないのである。走りはまるで滑るが如き。4輪に与えられたラバーサスペンションは、絹のような乗り心地のよさ。しかも、そのサスペンションはコンパクトで、室内スペースを全く犠牲にしていない。前輪駆動のおかげで軽量に仕上げられ、コーナーをあたかもスポーツカーのように走り抜けることができる!」という記事が載ったという。

 ミニは今で言うところのバッジエンジニアリングという方法(いわゆる双子車)で英国の小型車として広い販売網を持つふたつのブランド、オースチンとモーリスから販売された。オースチンのミニは、戦前の大ヒット作の名前をそのまま受け継いで、オースチン・セブンと名付けられた。一方のモーリスのミニも、当時人気の高かった小型車、モーリス・マイナーの名にあやかってモーリス・ミニ・マイナーと名付けられた。車名に「ミニ」という名が使われ出したのは1962年になってからである。

 グレードは、デビュー当初はベーシックサルーンとデラックスの2種類だった。

 ボディカラーには、タータンレッド、サーフブルー、スモークグレー、オールド・イングリッシュ・ホワイト、アーモンドグリーン、アイランドブルー、ツイードグレー、マルーンなどが用意された。

*BMCはブリティッシュ・モーター・コーポレーションの略で、当時のヨーロッパ最大の自動車会社。1939年に数社が結集してナッフィールドグループが誕生。モーリス社を中心としたこの会社は、1952年にオースチン社を加え、BMCへと拡大していった。合併した各社のモデルは、それまでの社名を残したまま巨大組織の中でブランドとして生き残り、新会社設立後もほぼそれ以前のままで販売された。1966年にはジャガー、デイムラーも吸収し、大衆車から高級車までのブランドを持っていた。ちなみにモーリス社とオースチン社は、日本ではトヨタと日産に似た対立関係にあった。

*ADOとは、オースチン・ドローイング・オフィスの頭文字をとったもので、そのナンバー15がミニである。元からオースチン社で使われていたコードナンバーだったが、ナッフィールドグループと合併した後も新車の設計に関してはADOが用いられた。

*アレック・イシゴニスは、ミニ開発の功績が認められ、後に英国王室から「サー(爵)」の称号を授かる。

*キャブレーター(気化器):エンジン内の、シリンダーの中のピストンの上下運動で生じた負圧によって吸い込まれた空気に、燃料のガソリンを吹いて混合気を作る機械。霧化されたガソリンはシリンダーの中で圧縮、点火され燃焼する。



次へ



あばうとミニへ