元の発言 [ Re: 布留(畿内は倭人の国ではない) ] お名前 [ 牛頭 ] 日付 [ 11月6日(水)20時08分05秒 ]
>> >> >> >> >>クマはインド(タミル)語という可能性はないですか?
>> >> >> 首露王の奥さんがインド人だったと言う伝承と倭の狗奴(クマーラ)の関連なんかも面白いと思いませんか?
>> >> >> インドと九州、韓国ってヒマラヤ山脈を越えると長江で上海まで河を下って海流に乗ればすごく近いです。
>> >> >> 一昨日たまたま町で見つけた「クマーラ」と言う言葉はヒンドゥー教ではかなり重要な神の名前のようですね。
>> >> >> 「クマーラ」で検索したら
>> >> >> 男の子、女嫌い、戦いの神、インドから旅をした(世界一周)などのキーワードが出てきました。
>> >> >> 狗奴の男王卑彌弓呼と被るところがある?
>> >> >> 男である。卑弥呼(女)が嫌い。邪馬台国との戦争 ・・・など。
>> >> ご存知たと思いますが、「クマーラ」「クマラ」のことでしょうか?
>> >> だとすると、「サナート・クマラ」のことになるでしょうか?
>> >> 鞍馬寺の本尊、魔王尊のことですよね。
>> 「クマーラ」が日本に来ると「ク・ラ・マ」になってしまう。ほんとうに言葉は千変万化ですね。
>> >> 以前出た、イシャナ天と同じモノと言われてますよね。
>> 伊舎那天はシバ神でクマーラは韋駄天ではなかったですか?
>> http://www.nichimapress.com/others/thaipusam.html
>> 【昔、ナラダという神がシヴァ神の2人の息子、ヴィナヤガールとムルガンに「2人のうち、早く世界を一周した者に魔法のマンゴーを与える」と言った。若く血気盛んなムルガンはさっそく自分の孔雀にのり、世界一周にでかけた。】
>> 【ムルガン神は童児神であり別名「クマーラ(少年)」とも呼ばれ、南インドでは戦争の神であるスカンダ神と同一視されている。スカンダは「韋駄天」として、クマーラは「倶摩羅天」として日本に渡来してきている。】
確かに、「倶摩羅天」として伝わったようですけど
此処のところ、ちょっと面白いところなのですが、鞍馬寺の場合、同じ物だと言う話を聞きました。
もっとも、鞍馬では、毘沙門天は、太陽神なんだそうです。
それ以前にあった、太陽神が集合されているのかもしれませんが
>> >> >> 弥生時代に禹余糧の理解があったとして大型銅鐸を生み出した精神構造とどのように結びつくのかと言う点に疑問を感じます。
>> >> >> 私は大型銅鐸を畿内で生み出したのはどちらかと言えば閉鎖された状況で外来情報が少ないために起きたと考えます。
>> >> >> 日本が独自文化を花開かせたのは鎖国に近い状況の平安時代や江戸時代です。
>> >> >> 弥生時代から日本の名産であり、魏の時代にも貴重な仙薬としてあったものなら倭人伝に記載されない筈は無いと思いますが?
>> >> 以前、銅鐸は、カウベルで、其れを祭器としていることで軽んじられたと言う発言があったと思いますが、
>> >> 之は現代の、視点ですね。
>> 軽んじているとは言いません。畿内と九州では意味が変ってしまった。
>> これも情報の不足によるものであろうと言っただけです。
>> >> もし、カウベルであったとしても、そんなことで軽んじられるわけが、無いと思うからです。
>> >> 中国においても家畜は大切な財産であることは、変わりありません。
>> >> 其れを守る呪いの意味も有ったであろうことは、疑えないでしょう。
>> >> それに、以前に中山王朝の出土品に似たような形の楽器もありました。
>> >> 其れも大きいのから小さいのまであったと記憶しています。
>> 中山王朝って琉球王朝の事ですか?出土品についてももう少し詳しく教えて下さい。
戦国の七雄の趙に滅ぼされた国の王朝です。
以前に、王墓が発掘された時の出土品を中山展で見たのです。
銅鐸に良く似た鐘が、大きいのから小さいのまで一列に吊るされていました。
矢張り、舌を使って音を出すような構造だったと記憶してます。
瞬間、銅鐸は、こんなものからきたのでは?との印象を受けた覚えがあります。
>> >> 流石に、大型銅鐸クラスのものは、舌で鳴らすのではなく外から、
>> >> 突いて音を出すものが殆どだったように、記憶していますし、之は天を祭る音楽を奏でることもあったようですから。
>> 外から突くものであればそれは梵鐘ですね。
この点は、どうも記憶が混乱してまして、いくつかの展覧会のなかで、古代楽器の演奏を聞いたとき、
見た演奏情景と混乱してる不死がありますので、ご容赦
その他発言: