元の発言 [ Re: 物流と邪馬台国 ] お名前 [ 馬頭鬼 ] 日付 [ 6月6日(木)21時58分50秒 ]
>> 私もそう思いますし、精々海から少々さかのぼった場所にあるのでは?
船着き場ですよね。
「倭の地を参問するに」「海中州島上に絶在し」といった表現からは,
「水行」とは海岸線に沿ったものと読むべきかな,とは思います。
あるいは,里数の比率上は北部または中部九州説のほうが有利で,
河川説も否定はできません。
しかし,この里数そのものは全く当てにならないです。
というわけで,倭人によるという日数を白鳥式でなく,
北部九州から後に適用するならば,
北部九州のどこからか海岸線に沿って水行したものか,となり,
南部または中部九州説や畿内説に目が出てきます。
朝鮮半島西部を水行する様子というのは,
まさに海岸線に沿って延々と航行することですネ。
そのように長い海岸線を,
倭の地でも航行したという含みのつもりでしょうか?
「精々海から少々さかのぼった場所」ということで,
畿内説で河川説を採るならば,
淀川遡行して山城方面案とかですか。奈良でもいいですけど。
>> 言ってみれば、フロイスは、スパイなんです。
>> 本人は意識していたかどうかわかりませんが?
布教という目的意識があり,国王・法王と密接であり,政治的で,
また旧・新約聖書なんかを研究していたはずの人達ですから,
報告という職能上,洞察・観察眼は豊かだったでしょう。
>> 例えば、近いところで、明や清の場合報告書などは、消えてしまったのでしょうか?
何かあるんじゃないですか? 調べてみます。
>> 千年も経てば,残ってないのは当然かもとも思いますが?・・・
徐福村のような例もありますから,
残っていないとは言えませんけどね。
しかしながら,邪馬台国の場合,
考古学の成果に頼らざるを得ない感じです。
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