Re:荒神谷遺跡銅剣

投稿者[ キムイルボン ] 発言日時 [8月25日(日)15時58分21秒]

元の発言 [ Re:荒神谷遺跡銅剣 ] お名前 [ キムイルボン ] 日付 [ 8月25日(日)11時51分21秒 ]

奴国滅亡はいつかは分からないが、スサノヲを奉じる侵攻軍はかつてエーゲ海でクレタ文明を破壊した海の民の如く、九州南部の勢力も合流。侵攻軍は平原の女王を殺し、八咫鏡を破壊、奴国王は志賀島に逃れようとして矢玉に撃たれ海中に墜落、金印紫綬はその途中がけっぷちで紛失、侵攻軍は奴国に対し八咫鏡の複製を命じる。以後、神名オオヒルメムチは努めてアマテラスと呼ぶようにし、神座を辺、中、沖と構成する考え(住吉の底、中、上の区分とは次元が90度異なる)は丹波、三輪などへ継承される。その後侵攻軍は台風のように勢力を付け大阪湾に侵攻、更に熊野水軍と合流し伊勢湾からヤマトに侵入・・・とこういったことがその昔あったのかもしれないなーなどと思います。スキタイの祖、木郭墳闘斧文化の担架者がバルカン半島東部を南下する時代に印欧母語で城郭を意味するteikhという言葉が発生、パルテノン型山城ができる時代が想起されます。それはBC1800年頃といわれているそうですが。



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