元の発言 [ Re: Title楽浪土器 ] お名前 [ キムイルボン ] 日付 [ 8月19日(月)09時44分41秒 ]
>>対馬・壱岐等は金印がもらえるほどの大国ではないが土器などはもらえた。>>その代わり海産物などを持っていっていたのだろうか。そうなると朝貢なんて>>いうより沿岸貿易的なものですね。
上記前言につき下記推定を付加します。
当時奴国が楽浪に使者を出す際の海上運賃決済方法について、食料、水の補給を考慮するとTRANSSHIPMENT方式がとられていたのではないか。つまり、
(1)奴国-壱岐(2)壱岐-対馬(3)対馬-半島港、この3つの区間があり、その区間ごとに現地船主から本船を水、食料、マンパワー付きで傭船、その役務には奴国産品、半島からの反対給付物をあてがった。対馬、壱岐の楽浪土器はこの役務取引の対価として支払われたもの。そうすると本船足が軽くなり、玄海(かんかい)の悪条件にも対応できた。以上
その他発言: