Re:冢と墳

投稿者[ 牛頭天王 ] 発言日時 [7月30日(火)08時04分26秒]

元の発言 [ Re:冢と墳 ] お名前 [ 大場嘉門 ] 日付 [ 7月29日(月)19時47分07秒 ]

>> >> 孔明が遺言で「冢足容棺」とした「冢」も円です。

>> 孔明の墓は円ですが、これをどうして「冢」と言い切れるのでしょうか。
>> 孔明の遺言は「因山為墳、冢足容棺」ですから、孔明の墓の盛り土は定軍山にみたてた「墳」ではないでしょうか。

>> 漢書劉向傳:稱古墓而不墳【墳、謂積土也】

時代により言葉の意味する事が変わる事があります。

>> 冢は誰それの冢(=墓)としても使われようですが、孔明の遺言にある「冢」は「墳」に設ける施設のように思えます。

私も『「冢」は「墳」に設ける施設』と言うのは賛成です。

で孔明の墓の円形土盛りは「墳」だとして「冢」は何処にあるのでしょう。
三国時代の円形墳墓は沢山あるようですがそれに付属する施設らしき物はネットで検索しても見たことが有りません。
魏志の記述で「墳」が出てくるのは『昔漢高祖創業、光武中興、謀除殘暴、功昭四海、而墳陵崩[禿頁]』ですが、
その形を推測できる物では有りません。
劉邦や光武帝の墓なら巨大で墳であり冢を備えていても不思議はありませんが、墳陵は『其表高祖,光武陵四面百歩』で方形だった
可能性があります。

>> 中を馬車が通れるほどの大冢も、巨大な墳丘に覆われた地下宮殿のようなものではないでしょうか。
>> 「冢」と「墳」の違いは墓の大きさや円形だとか四角だとかは多分関係ない、と思います。

巨大な墳丘に覆われた地下宮殿もあるという認識があれば陳壽が「形如冢」で韓人の「居處」を表せないでしょう。
私は「形如冢」の一言で「居處」を表した事に「冢」の形の単純さを感じてしまうのです。
晋の人々は「形如冢」でその形がすぐに理解できた筈であると。
秦の始皇帝陵を念頭に置いて「形如冢」という筈はないと思います。
竪穴式住居が四角が多数なら四角であってもかまいませんがどうやら円形の方が多い。
そして三国、晋の時代、土盛り墳墓も円形が多数のように思える。
といった所で二重三重の状況証拠により、三国時代、晋の時代には冢は円だった可能性が非常に強いと言うのが私の論点です。


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