元の発言 [ Re:冢と墳 ] お名前 [ 大場嘉門 ] 日付 [ 7月30日(火)12時20分51秒 ]
>> 『孔明の墓は円ですが、これをどうして「冢」と言い切れるのでしょうか。』
>> >> 三国時代の円形墳墓は沢山あるようですがそれに付属する施設らしき物はネットで検索しても見たことが有りません。
>> 地下にあるからです。
なるほど
『孔明の遺言は「因山為墳、冢足容棺」ですから、孔明の墓の盛り土は定軍山にみたてた「墳」ではないでしょうか。』
の意味がようやく判りました。
冢が墳の中の石室部分のような感じと捉えておられるのですね。
しかし、それでは『卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩』の意がわからなくなりませんか?
30mにしろ150mにしろ大きすぎます。
これから感じ取れるのは外形の大きさです。
>> >> 私は「形如冢」の一言で「居處」を表した事に「冢」の形の単純さを感じてしまうのです。
>> 居処の外観の草屋の形だけを見てのことということですね。
>> 草屋(いわば墳)と土室(いわば冢)から作っている墓のような形に注目して、形如冢(=墓)とした可能性もあるのでは?
>> そして方形の始皇帝陵も円形の土饅頭墓も、その見た目も構造も『形』は基本的に変わりはないと思います。
>> >> といった所で二重三重の状況証拠により、三国時代、晋の時代には冢は円だった可能性が非常に強いと言うのが私の論点です。
>> 冢と墳の違いは墓の形(円・方)によるということですか?
三国志の時代においては大きさの違いではないかと思っています。
「因山為墳」で墳は山のように大きい。
「おおきな墓を作るなら自然の山を利用しなさい」という遺言ではないかと。
実際自然の山に横穴を掘った三国時代の墓も有るようですし。
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