元の発言 [ Re: 廣野卓著『食の万葉集』(Re: ちと反論) ] お名前 [ オヤジッチ ] 日付 [ 7月16日(火)21時37分20秒 ]
コメの味を知っている渡来人は,もともと,
長江流域などで雑駁農耕を行っていたのでしょう。
それは,栽培といっても,天然の恵みに近いみたいですね。
籾を播くだけの,採集的営みと言いますか。
いずれにしろ,熱帯のイモ作り程度に楽だったんじゃないすか。
と言うのは言いすぎか。§^。^§
コメを食うことで,色艶がよくなり,太り,人口が増え,
集団の力が伸びる,すると,コメ信仰が発生し,
コメ作りを基本とする発展・移住が行われる,
なんて考え方はどうでしょう。
水田ともなると重労働ですが,安定した耕作地は必要ですから,
目利きで身体の使える者であれば,
皮算用がてら,必死で作ったろうと思います。
狩猟採集の生活を楽園ふうに美化しがちですが,
物心つくと,あれは結構,たいへんなはずなんです。
一年を通じて,たらふく食う夢を追う場合にも,
結局,穀物の栽培に求めるしかないような・・・。
この夢は,いわゆる文明社会ではかなっています。
この辺りに,文明社会の謎があるかもしれません。
基本的に穀物で生きてきたんです。
近世末だか近代の中国では,トウモロコシ栽培の流行により,
またたくまに人口が増え,
トウモロコシ集団の拡大が起こったそうです。
NHK「日本人遥かなる旅」とか佐藤氏の研究によると,
縄文人が積極的に稲作を研修・導入した形跡があるそうです。
NHK「日本人遥かなる旅」あたりでは,
そこらあたりに,渡来人と縄文人の交流,
および混血による日本人の誕生を置く,
という設定のように見えました。
佐藤氏の説では,縄文人が半島に渡ったという発想です。
以前に紹介したサイトですが,卑弥呼縄文人説もあります。
アットホーム株式会社/稲のたどってきた道
http://www.athome.co.jp/academy/botany/bot06.html
その他発言: