元の発言 [ 承前 倭人伝の異同(画像求ム) ] お名前 [ やまし ] 日付 [ 5月7日(火)07時47分34秒 ]
>>裴松之は、相当特別だったわけですね。
>>そして、いい加減な性格の人達が正史70万字を書写したというのは、ちょっと信じられないです。
#というより、三国志全体を書写した人は少なかったのでは。なにかに書いてありましたけれど、こうゆう大部の本は、必要な人が必要な部分のみを写すのが普通で、完本で持っていることは稀であるという話だったような。裴松之も、幾つもの完本を持っていたわけではなくて、たまたま複数持っていたところもあったくらい?
マルセが「たぶん、こうゆうのは現代人の感覚だと思います。」というのは、書写の時代では、1回の書写で1冊しかできないのですから、印刷の時代になってからのような精密な校訂作業をしていては、非効率過ぎる(というよりほとんど不可能)という意味で書きました。
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>>もっと多くの異同を見たいですね。
#もう少し見つけました。『図説漢字の歴史普及版』(阿辻哲次、大修館書店)138ページ。ここにも、新疆から見つかった二つの三国志の残巻が載ってます。
トルファンの方(孫権伝の建安25年から黄武元年までが見つかっているそうです)は、前回より前の部分も載っていて、書かなかった部分は、
……………………之封○於○…
○○反爲蜀權以陸遜爲督〃朱○○○…
拒之遣都尉趙咨使魏〃帝問曰呉王…
也咨對曰聡明仁智雄略之主也帝問…
○曰納魯肅於凡品是其聡也拔呂○…
○○其明也獲于禁而不害是其仁也…
○○而兵不血刃是其智也據三州而虎…
天下是其雄也屈身於陛下是其略也帝…
封權子登權○登年幼上書辭封重…
○○沈[王行]陳謝並獻方物立登爲…
と読めます。七行目の「據三州而虎…天下」が現行テキストでは「據三州虎視於天下」とあり「而」の字が抜けています。「而」は、不鮮明で別字の可能性もありますが、たぶんこれ。まあ、なくても意味が通じるところです。
それと、二行目と三行目の「〃」の記号は、文字間に入っていて、一字分になっていないのですが、現行テキストではそれぞれ「督」「魏」とちゃんとした字が入ってます。ここの記述でわかったのですが、倭人伝の「諸國諸國←→諸國」のところも、たぶん元本は「諸国〃」か「諸〃国〃」かになっていて、『いわゆる紹熙本のほうは書き写す際に「〃」をうっかり見落とした』ってことでしょう。
もう一つの残巻は、呉書巻十二の張温伝の一部で、
託意君宜明之拜議郎選曹尚書徙
大子大傅甚見信重時年卅二以輔義中
郎將使蜀權謂温曰卿不宜遠出恐諸
葛孔明不知吾所以與曹氏通意故○
卿行若山越都除便欲大構於丕行人
之義受命不受辭也温對曰臣入無腹
心之規出無專對之用懼無張老延譽
之功又無子産陳事○效然諸葛亮達
見計數○知神慮屈○之宜加受朝廷
天覆之惠推亮之心必無疑貳温至蜀
詣闕拜章曰昔高宗以諒○昌殷祚○
再興成王以幼沖隆周識a席晋jチ
こちらは2行目の「大子大傅」が現行テキストで「太子太傅」となっているくらいで、大差ありません。
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>>集めて見比べてみたいのですが、きちんとした画像はないでしょうか?
#残念ながら、いわゆる紹熙本はインターネットで見たことないですね。マルセが持っている本では、「邪馬台国はどこにあったか」(久保田譲、プレジデント社)に載ってます。
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『巳百支と已百支』
>>一般に「巳」「已」「己」は別字とされています。
>>語源から見ればそれは本当でしょう。
#この辺りの話は、辞書を引けばわかる話で、例えば、『續古典文字字典』(師村妙石、東方書店)を見ると、「已」の項は「巳と同字」となっています。「巳」と「已」は、語源が別だとしても、他の種類の宋代の刊本を見ても、書き分けられていません。この二字がちゃんと書き分けられるようになったのは、かなり新しい時代になってからだと思います。それから、諸橋を見ると、語源的にも同字説が載っています。
ですから、「巳百支」の場合に「巳」と「已」のどちらが正しいとは全く言えないですし、場合によっては「己」の可能性だってあると思います。
その他発言: