元の発言 [ 日本の稲作の起源 ] お名前 [ くみ ] 日付 [ 7月9日(火)21時32分12秒 ]
くみさん こんばんは
>> > ・・・弥生時代が水田の稲作を基盤とした文化と社会に特徴づけられていたとはいえ、彼らの日々の食卓に上がるものは、イモや雑穀やドングリ粉が主役の粥やカテめし(まぜごはん)であった。・・・年にいく度かのハレの日以外にはなかったことだろう。・・・少なくとも弥生時代の前・中期に、輝く黄金色の稲穂一色に染まった整然たる広大な水田の姿と、甑(こしき)を利用して強飯を常食したかのような復元図絵は多くの博物館から撤去しなければならない。
寺澤氏のこの主張の部分ですが、私にはどうしてもデタラメな話としか思えません。
これは、ちょっと前のほうのページにある植物食の出土遺跡数でドングリが多いということから導きだれた結論なのでしょうけれど、現代の私たちが見ることのできる弥生の遺跡っていうのは、基本的に何らかの理由で廃絶された集落ということでしょう?廃絶された集落の食糧事情が当時の平均的集落の食糧事情と同じであったとは到底思えません。
そして、廃絶されたときに置いていかれた食糧(たぶん何らかの理由で食べられなくなった食糧)の中でドングリが多かったってことは、逆に、ドングリなんて凶作のときはともかく普通なら食べるもんじゃなかったってことを表しているんじゃ?
また、縄文時代より何十倍も人口が膨らんでいるわけですから、一人あたりの採集可能な堅果類の数量はすごく限られたもののはずです。
>> 私も歴史の中で日本人の主食が米だというのには疑問を持っているので、大変心強いです。
主食の定義次第の話だと思います。たぶん、弥生時代以降、最もコメを食べなくなったとの現代だと思いますけれど。現代でもコメが主食というなら、ずっと主食だったでいいんじゃなんですか?
ともかく、コメだけ食べていては、たんぱく質・脂質・ビタミン・ミネラルが決定的に不足してしまいます。日本人は伝統的に肉食することが少なかったので、たんぱく質や脂質が豊富なヒエやアワやダイズといった雑穀が、海産物や野菜とともに、生きていく上で摂取が欠かせない食物であったことは疑う余地がありません。
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