Re: Title 承前 24国比定問題(土佐説)

投稿者[ 山佐留 ] 発言日時 [4月8日(月)22時53分04秒]

元の発言 [ Title 承前 24国比定問題(土佐説) ] お名前 [ やまし ] 日付 [ 4月2日(火)06時53分16秒 ]

不充分なデータを地図にまとめていただきありがとうございます。
私ももうすこし勉強して、4月中には地図で説明出来るようにしたいと思っています。

>> (1)線で結んでみましたが、特に主要な道があるように思えませんし、
>> 行ったり来たりしているので、順番とは言い難いのではないでしょうか?

主要道の件に関しては、邪馬台国の時代の主要な道がどこにあったかについて、全く知識がありませんので、明確な反論はできません。
しかしながら、車社会の現代と、徒歩による移動が主な交通手段である古代においては、道というもののありかた自体が全く違っていたと思われます。
たとえば、2番目から3番目の
 2 已百支  じぱき   高知県安芸市       伊尾木(いおき)
 3 伊邪   いや    徳島県三好郡       祖谷 (いや)
について、現在の交通手段では、主要県道と国道を使って車で移動した場合、

東祖谷山村 → 大豊町 → 土佐山田町 → 南国市 → 野市町 → 赤岡町 →香我美町 → 夜須町 → 芸西村 → 安芸市 となります。

しかし、山道を山越えで行けば、
東祖谷山村 → 物部村 → 安芸市 となります。

私の父は物部村の出身ですが、青年時代(昭和10年代)に物部村から伊尾木に行くのは、山越えの道を通ったそうです。
昭和の初期でさえそのような山道が実際に使われていたことを考えると、卑弥呼の時代には主要官道以外のこうした道が多く存在したと思われます。

また、魏志倭人伝に書かれた、この21カ国の配置自体、必ずしも主要道に沿って配置されている訳ではなく、おおまかな並び順でしかない、とも考えられるのではないでしょうか。

>> (2)地名に関して言えば、主要地名が国名に類似するといえるのは、
>> 多くないように思えるのですが、どうでしょうか?
>> (3)邪馬台国の比定範囲はどうなっているのでしょうか?
>> 四万十川流域と南国市あたりに分離しているということですか。
>> (4)狗奴国に比定されている久万には、この時代の主要な遺跡はないようです。
>> (5)北条市、今治市、西条市、善通寺市、大川町は、国を形成していても
>> おかしくないとおもわれますが、どの国の勢力範囲なのでしょうか?

>> 21国の順番を保ち、あとの3国を自然に比定することは相当に難しいと思います。

(2)から(4)については、自分なりにきちんとした地図をつくってみます。

すこし、コメントするならば、
(2)については、1番目の斯馬国から、11番目の呼邑国までは、(四国に21国を比定する場合)良く合っていると考えます。12番目以降は再考の余地ありというところでしょう。
(3)については、倭国が四国全体であり、倭国の都である邪馬台国は高知市、南国市と考えています。
また、(4)については
22 狗奴   こな    愛媛県周桑郡、浮穴郡   久万 (くま)
としていますが、今治市、西条市、越智郡 も狗奴国の範囲と考えています。
狗奴の比定地の候補としては、北条市の河野とか周桑郡の小松町などを考えましたが、どことも決めかねてとりあえず、久万にしました。




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