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検診は、何となく自宅から一番近い病院に行っていたのだけれど、7月末に知り合いが同じ病院で出産し、お見舞いがてら病室を見学しました。 |
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病室は狭く、隣とのベッドの間は1mくらい。母児異室で、3時間ごとに母乳を与えに授乳室に行くなど、いやな面ばかり目についたし、いつもの検診でも、次々に患者さんが入って来て落ち着かず、何か質問できる雰囲気がなく、それも不満で、この病院では出産はしたくないという気持ちが高まっていた時だったので、それから、助産院探しを始めました。 |
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八王子市内での助産院では受け入れてもらえず、自宅ならOKという助産婦さんはいたのだけれど、友人の助産婦のミワさんに相談したら、私の場合、実家の母の手助けは望めない状況なので、いくら友人が助けてくれるとはいえ、自宅は避けた方がいいだろうとのことで、自宅からは2時間くらいかかるんだけれど、彼女お勧めの齋藤さん宅にうかがいました。30週になっていたのに、快く受け入れてもらえたし、ざっくばらんで家庭的な感じが気に入り、すぐに決心しました。 初産だし、かってに予定日より遅れると決めていたので、一週間以上早く破水が始まったときは、「アリャリャー!」という感じでした。夕方5時に破水、齋藤さんに電話したら、「まあ、明日の朝まで様子をみたらー」と言われました。ミワさんにきいたら、「夜中、陣痛が強くなったら、近い所のほうがいいから」といわれ、彼女の家に移動することに。何も準備はしていなかったので、とりあえずのものだけを持って、途中で退院後に使うオムツなどを買ったりしたりしながら、でも痛みは全く無かったので、少しオロオロしながらものんびりしていました。まだ電車の中にいた8時頃、生理痛のような鈍い痛みが始まり、9時にミワさんの家で晩御飯中、15分間隔くらいで、ジーッと耐えるような痛みが来ました。11時には2・3分間隔になり、かなり痛みがつよくなってきたので、齋藤さん宅へ12時ごろ移動しました。移動中から叫びっぱなしで、まわりで冷静に、「ノド開いてー、ハッハッハー」などと言っている齋藤さんたちに、「何で私がこんなに苦しんでいるのに、そんなに冷静なんだ!」と思ったり、「何で産むって決めたんだろう」と後悔したり、「もう肛門から出て来て良いよー、何とでもしてくれー」と、いろいろな思いがめぐっている間に、1時10分、ヌルリヌルリと出てきました。他の人に対してなら、超安産だったと言ってしまうけど、本人にしてみれば、あれ以上の痛みにも、時間にも我慢できないって感じでした。 病院なら分娩台に仰向けになって、腰をさすってもらうこともなく出産しなければならなかったと思うと、齋藤さんを紹介してもらって良かったなーと、つくづく思っています。少し遠いので残念なんですが、これからも、いろいろ、よろしくお願いしまーす。 |
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2002年9月 |
2002年10月 |