−・−・− 退屈で、見飽きないもの
ミニマル・ミュージックというと、ひとつのユニットを作るフレー
ズが小さいというだけではなくて、もうひとつ、それが反復すると
いう意味を普通は併せ持っている。繰り返しが起こす波は、わずか
な変形とフレーズどうしのズレを伴ったりしながら、終わりを想像
出来なくなるほどの長い時間感覚を呼び起こす。そういえばいつの
まにか始まり、劇的な展開も希薄だ。それでも、微妙な変化を伴う
繰り返しというものは、無数の光を反射する波立つ水際や、予測で
きないダンスを見せる暖炉の火がそうであるように、いつまでも飽
きることがない。ぼんやりと見つめる波や炎はどこか退屈だけれど、
何か物思いにふけるでもなく、気付くとじっと凝視している自分に
ある時気付いたりする。
音楽にサビやドラマティックな展開、それに胸のすく結末を求めた
くなるのはあまりに普通のことなので、そういうものから遠くにあ
るミニマル・ミュージックは、リスナーを選ぶ音楽だと思われてし
まう。「飽きるということを知らない、物好きな人のための音楽」。
確かにこんなふうにリピートされる音楽は、それらが数学的に計算
された美しいフォルムを持ってはいても、まさに「数学のような」
退屈さかもしれない。そしてまた、数学を好きな人もいれば、わか
るようになることで誰でも好きになれたりする。音楽の聴き方を他
人に押し付けるのは野暮だけれど、自由に聴くというスタンスを持っ
ているつもりが、実は案外狭い選択肢から選ばれたほんのいくつか
のものだったりする。音楽を「聴く」というよりも、響きと流れの
中に「たたずむ」ことに似せてみるというもうひとつの提案は、ど
うだろうか。
あるいは、じっと集中して聴いてみるなら、万華鏡に閉じ込められ
たビーズや銀紙、小さな短冊がそれ以上増えることはないのと同じ
に、手のうちにはいった(完全に暗記してしまえる)ほんのいくつ
かのフレーズだけから成り立つ閉じた世界のなかで、いかに多彩な
変化が起こっているかに気付くことになる。どの瞬間もがその前の
一瞬とは少しだけ違う。瞬間の連続を捉えようと真剣に耳を傾ける
ほどに、知覚しきれないほどの変化の洪水に心地よく酔っていくと
いう響きの形が、ミニマルのスタイルのひとつになった。ダンスビー
トでもフルオーケストラでも陶酔できるけれど、ダンスのような身
体の大きな動きもなく、シンフォニーのようなドラマも感じさせる
こともない。音楽の流れるままに身を置きながら、同時に聴くとい
うことをマキシマムに能動的にすることによって得られる、覚醒と
陶酔の混じり合った感覚を起こさせる力が他のどの音楽よりも際立っ
ているように思える。
リピートされる一部を切り取ったような形を持つ音楽だから、始ま
りや終わりを意識せずに、聴いたり聞き流したりできる。こんな自
由を楽しめるミニマル・ミュージック。飽きたら、万華鏡をそうす
るように放り出していい。次の機会にふと覗き込むと、以前には気
付かなかった響きの瞬間を見つけることになるだろう。それを楽し
みに、もう一度ディスク取り出す。
・この小文はスティーヴ・ライヒの初期の作品をリファレンスとして書かれま
した。例えば『ピアノ・フェイズ』で、こんな聴き方を試してみてください。
初出:「Khaki」(self-distributed magazine) Spring 2000
2000-2001 shige@S.A.S.
・h o m e・
・minimal・