Desert Music
ハロルド・バッドはかつてカリフォルニアの砂漠で生活していた。
こうあらかじめ聞き知った上での印象もあるかもしれない。そうし
たことからの音楽の聴きかたは文学的に過ぎるのではないか。それ
でも、彼の音楽から砂漠を想うことを止めることが、私にはできず
にいる。
最近のコラボレーション作品で特徴的な、各曲に設定された背景を
なす響きの中にソロが配置されるという、ある種の舞台と表現の主
体にも似た作品の形は『By the Dawn's Early Light』(1992年)
で初めて現われた、抑制されたバッキングに乗るバッド自身による
詩の朗読以来、定着した感がある。言葉に加えて、ピアノや小編成
によるアンサンブル曲でもこの形が用いられることが多くなってき
ている。
私はここにアンビエントを感じる。響きの感触だけではなく、ある
アンビエンス(場)をまず設定し、ソロ楽器は中心のようでありな
がらも寡黙で十分に間隙を持ち、空間の広がりと静けさをかえって
強調するような音楽のありようが、とてもアンビエント的な。
ブライアン・イーノによる、聴き手をも包み込むアンビエントとは
明らかに異なり、近年のハロルド・バッドの響きは、空間を聴き手
の周囲ではなく、まさにステージを観るように眼前へと生み出す。
広々とした乾いた場所の、ほんのいくつかの点景−それを眺める。
砂漠にも似た、どこまでも続いていくような音場に、よく通り、鳴
り渡るピアノが打鍵される。それは少ない音であり、澄みきってい
る。砂漠であれば、乾いた空気中にあっていつまでも錆びない小さ
な金属片は、強い光線の反射を受けて遠方からでもその輝く存在を
示すだろう。そんな、背景と鋭利な点景という構図を強く感じさせ
るのである。
どれだけ共演者がアルバムを重ねる度に替わろうとも音楽がバッド
自身のものであるままなのは、共演者の持ち寄る楽器や語法の違い
を越えた、この一貫した響きの配置のためなのだろう。伴奏とソロ
楽器というフォルム、つまりデュオをはじめとする小編成の音楽の
形式はおそらく普遍的と言っていい。この新しくはない、遍在する
音楽の形式に潜む多様さを探すためにさまざまなミュージシャンと
共演し、そのたびごとに生まれる新たな音色とその組み合わせが、
常に新鮮な驚きを聴き手にもたらすことになる。
砂漠は虚無の地に思える。それでもこの無人と思われる場所を感じ
るには、そこに誰かがいなくてはならない。限りなく不在に近いな
がらそこにいる最小限の音楽家のモノローグを通して透かし見るか
のようなこの砂漠の音楽に、私は無機的なだけではない音を聴く。
ひとつの音、ひとつの和音をゆっくりと減衰させるピアノ、ベルの
響き、パーカッションの一打と沈黙、そして言葉。これらがシンプ
ルなビートやシンセサイザーによって生成される広々としたアンビ
エンスのなかに静かに置かれる。音楽素材をここまで切り詰めるこ
とによる、少ない響きの存在感の確かさが、そのまま音楽の強度と
なる。ハロルド・バッドの音楽が持つ、身を切るように鋭い光沢の
秘密が、ここにある。ひとつの鉱物が遠くに横たわるのが、くっき
りと見える。
・h o m e・
・ambient・
・harold budd・