Harold Budd
By the Dawn's Early Light

(Opal,1991)




室内楽


アコースティック楽器によるアンサンブル。超現代的な室内楽。ヴィオラ、ハープ、ペダル・スティール・ギター、ピアノ。また近作で頻繁に聴かれるバッド自身による詩と朗読が初めて登場したディスクでもある。


バッドが提示したコンセプト、「ラディカル・シンプリシティ」も、ここまで古典的な室内楽編成(しかし楽器の組み合わせは斬新!後述)で実現した響きで聴いていると、もはやアンビエントという言葉は忘れたほうがいい。ヴィオラという楽器の持つ官能的な倍音の震え、ギターの余白、ピアノの鋭さと柔らかさ....それぞれの持つ音色が限りなく小さな組み合わせによって、相互の干渉を避けるかのようにリアルに、迫る。

アンサンブルなのだが沈黙が多い。音楽自体の持つ静謐さとそれを聴きたくなるようなリスナーのいる静かな環境は、どちらも音楽なのだ。つまり、あの言葉、「沈黙の音楽化」である。

音色の組み合わせに対する細心の注意深さ、そして「作曲は引き算」と語るバッドの生み出す音は「環境を演出云々」などという安易な言葉とは最も遠いところにある、音楽のための音楽だと思える。

かつてドビュッシーが『フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ』を書いたことを即座に思い出させる、ヴィオラ、ハープ、ペダル・スティール・ギターという一聴すれば唸らされること必至の大胆な楽器の組み合わせの効果を追及しているこのディスクは、先人より以上にラディカルな単純化とうれしい意外性に至っている。

ところで、近年のバッドは本当に純音楽作家と呼びたいほどだ。シンセサイザーを操り自分の音色を作り上げるというよりも、作曲家としての仕事に重点が置かれている。あるいは、既存の楽器を用いてもその組み合わせや「誰が聴いてもそれと分かる」自身の語法を得た確信が、そうさせているのかもしれない。それにこれは「かもしれない」ではなく、間違いなく、近年の彼の作品は素晴しく安定している。変わらないという価値。このところ共同作業が多いのも、揺らがない彼の奥深くて奥ゆかしい確固とした「音楽」に裏打ちされていることを示しているのだろうか。



・h o m e・ ・ambient・ ・harold budd・