第42回全日本大学対抗

    ウエイトリフティング選手権




            平成8年11月15日〜16日  会場: 上尾市スポーツ研修センター


 先日11月15日〜16日にかけて埼玉県上尾市にある埼玉県立スポーツ研修センターで第42回全日本大学対抗ウェイトリフティング選手権が開催されました。
 我が部は8階級9人の精鋭を送り込み団体の順位は9位、得点47点ではありましたが来年度も一部残留を果たしました。

 54キログラム級では期待の1年生中嶋和幸が登場。スナッチは85キロを一本成功にとどまり8位。ジャーク1回目107.5キロ成功の後、全日本ジュニアを出場かけて115キロを2度挑戦するも惜しくも失敗に終わった。さすがに1部の壁は高かったようである。中嶋は早生まれのためもう1年チャンスがあるのでこの悔しさをバネにがんばってもらいたい。
 59キログラム級は4年生で副将の保井俊一郎が出場。過去3年間59キログラム級に出場してきたので最後のインカレということで今回も59キログラム級にこだわり8キロ近い減量をして出場。しかしこの減量が災いし、スナッチは2本の90キロ止まり。ジャークも立ち眩みが起き112.5キロ失敗。2回目では成功したものの、3回目10位を狙い、120キロをクリーンするが立てず失敗。202.5キロで12位に終わった。すでに往年の力はなくこれといった見せ場もなかった。合掌。

 64キログラム級はもう一人の副将であり学連委員長でもある谷川 高が出場。全日本学生個人戦で見せた力強さはあまり見られず、スナッチ102.5キロ、ジャーク132.5キロ、2回ずつ成功のトータル235キロだった。今回は運営をほとんど一人で仕切っていたので練習不足気味だったのだろう。彼にとってはこの記録は不本意なのではないだろうか。

 70キログラム級は我が部は参加せず。が、この階級は7人しかエントリーがなく我が部としては狙いめだったのはいうまでもない。 ちなみにこの階級は大商大の村田選手が優勝。

 76キログラム級は我が部のエースである主将の升田友也と来年度主将の野中敬介が出場。野中はスナッチ112.5キロ1本成功。3回目には117.5キロに挑戦したが前に落として失敗。しかし7位となり2点獲得。ジャークはスタートは137.5キロ成功。2本目は前に落として失敗、3本目共に142.5キロ失敗したが9位になり、トータルでは8位入賞とまずまずであった。
 それに対して升田は120キロ、125キロと軽々2本成功。130キロを狙ったが惜しくも前方に体が傾き前にバーを落とし失敗。スナッチは3位に終わった。続いてジャークは150キロからのスタートは成功したが2本目の155キロをクリーンした時点で腰を痛めてしまい挙上出来なく失敗してしまうが3本目は気力で成功させ4位となった。トータルは1位〜3位まで280キロだったが体重差の勝負で惜しくも3位となってしまった。この1年間我が部の大黒柱として最後まで活躍してくれた。

 83キログラム級には2年生の松本 淳がエントリーしていたが直前に腰を痛めリタイア。棄権となってしまった。ここは点数の取れる階級であったために悔やまれる。松本には早く怪我を完治して戦列に元気な姿を見せて欲しい。期待している。この階級は明治大学の鈴木選手が2位以下に大差をつけて優勝した。

 91キログラム級は来年度副将の比嘉盛人が登場。大学から重量挙げを始め3年生で基準記録を突破しての出場。豪快なスナッチは惜しくも3回とも頭上で止まらず記録なしに終わったが、ジャークは135キロ、140キロと2回成功。3回目の142.5キロ失敗に終わったが彼にとっては収穫の多いインカレであったと思われる。今年は怪我続きで半年ほど棒に振ってしまったがそのときの地道な練習のの成果といえよう。今後もこれを自信にしてがんばってもらいたい。

 99キログラム級は我が部の秘密兵器1年生の中津原潤一郎が出場。この階級はエントリーが7人だったため中津原にも期待がかかった。その中津原は期待に答えてスナッチ3本成功の115キロ、ジャークは2本成功の150キロ。3本目の155キロは惜しくも失敗したがトータルでは265キロでなんと4位に入る大健闘を見せた。失格者が出たためとはいえやはり団体戦では確実に試技を行うという基本通りのリフティングで、おまけに念願の全日本ジュニア選手権の切符も同時に手に入れた。余談ではあるが試合後の中津原が両親にかけた電話の声はとてもうれしそうであった。この調子で全日本ジュニア選手権も頑張って欲しい。
 108キログラム級は我が部はエントリーはなかった。この階級は法政大学が1、2位を独占したが1歩とどかず団体優勝争いは明治大学と日本大学の2校に絞られた。

 +108キログラム級には増量して2年生の吉田光志が挑んだ。スナッチ、ジャーク共1本ずつ成功のトータル267.5キロで8位とふるわなかった。吉田はインカレ直前に耳の病気にかかり、思うように調整できなかったのが敗因であろう。同じ2年生の松本と共に早期に戦列に復帰して欲しい。


 そして総合順位は明治大学、日本大学共に一歩も譲らず両校ともトータル174点で史上初の2校優勝となった。以下法政、中央、日体大、拓殖、大商大、九共大、早稲田、京産大となり、京産大は2部降格となった。早稲田は昨年に続き9位となったが昨年より内容の濃い試合展開だったと思われる。来年以降も1部に定着してさらに順位を上げていって欲しい。

 最後ではあるが裏方となって仕事をしてくれた佐々木主務、清水副務、小倉、高橋、にも感謝したい。また、たくさんのOBの方々の支援もあってのものだと思います。ここで改めてお礼を言いたいと思います。




            試合終了後、全員での記念撮影・・・。

             『どうもありがとうございました。』
                               (平成8年11月21日 保 井)



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