〜風俗〜

 男性が風俗に行く事を、女性はどう思うのか、正直なところ、分からない。

 たとえば既婚の友人男性は、それが妻に知られる事を、極端に恐れていた。しかし、そういう事を実に興味深く聞きたがる好奇心旺盛な女性の友達もいる。

 僕は、三度ほど風俗に行った事がある。

 どこからどこまでを風俗というのかはいろいろあるだろうが、女性が性的なサービスをしてくれるところ、として良いだろうか。そういう職業について、世間一般には、身をやつした惨めな身分という見方が存在していると思う。それは、各種ドラマや物語が世に示し、浸透させたイメージで、まるっきり根拠が無いとは言わないが、ドラマの機構として便利な装置だったために一般化したのだろうと勝手に推測している。

 体を売る事は、そんなに惨めな事だろうか?

 職業というものは、そもそも個人の持つ何がしかの資源、それは時間であったり、思考であったり、物理的動力であったりするだろうが、ともかく個人の一部を切り売りする事だ。ならば、体を用いた性行為をもって金銭に交換するのも、同じ事だ。

 性的な行為は、特別だ。という意見はあるだろう。僕もそう思う。軽々しく披瀝されるものでは無い。家庭の構築につながる、覚悟の要る行為だ。そのような神聖であるべき事を、性的欲望を満たすために行うべきでは無い。

 筋の通った理屈だ。でも、今僕はこれを追認しない。この意見は、逆説的に性的行為を卑下するものだと思うからだ。

 

 初めて行ったのは、ストリップだった。

 いろんな事にくさっていた僕は、それまでの風俗反対の方針を軽々とひるがえし、ある日思い立って近所にあったストリップ小屋に向かった。とにかく自分を汚してしまいたい気分になっていたのだ。性的好奇心に信念を明け渡す事で、それまでの自分を裏切りたかったのだ。

 で、入場した。

 感動した。僕は、たやすく感動したんだ。

 さまざまな女性が、何人も何人も立ち代りに現れ、体を開いた。どうやらそれには手順がある。最初から裸んぼで現れるのではなく、当初は衣服をまとって登場するのだ。それを、一枚一枚脱ぎ捨てていくのだが、それにはある種のルール、手続きがあるみたいだった。音楽にあわせて動き、その盛り上がりで肝心の場所をさらすのだ。最後はもちろんパンツだ。

 その動きはなまめかしく、きれいに音楽にあっており、一見してただ服を脱ぐだけでない、練習や才能のかかわる範疇に属する行為だと分かった。照明も、内容に合わせて色や明るさを変え、舞台を引き立てていた。一度途中、幕間のためか場内が明るくなったが、そのとたんそれまでのおとぎの世界のような空気は消え去り、薄汚い卑屈な空間になった。つまり、それだけその空間が演出されていたという事だ。

 一言で言うと、きっちりとしたプロの仕事だった。どんな職業でも、プロ意識を持った人の行為は、人を感動させる。自分が社会人になってみると分かる。プロであるのは、実はかなり大変な事で、尊敬すべき事だ。

 感心し、感動したのは、もう一つ。非常に分かりやすく、女性の体の美しさだ。

 少し自己弁護的に言うなら、絵を描く者にとって、信じられない、想像もしなかった曲線に、彼女たちは満ち溢れていた。テレビで見る花火と実際に見る花火とでは感触がまるで違う。目の前でたわみ、ねじれる肉の形は、たとえようもなく美しかった。そして、普段は人に見せない秘密を、惜しげも無くさらしてくれる彼女たちに、心を惹かれた。風俗には特定の誰かに入れあげる人が必ず出てくるという。その気持ちが分かった。とても近くに感じてしまうのだ。

 美しく書きすぎるのはフェアでは無い。ポラロイドショーにはショックを受けたし、まあとにかく、僕の下半身は素直に反応していた。同じ部屋の中でオナニーしていた人も居たと思う。

 

 二度目はヘルスだ。本番の無いソープといったところか。

 久しぶりに集まった仲間の一人が、風俗に異様に詳しくなっていた。意表をついて学生時代一番お堅い奴だった。で、なんだか雰囲気で行く事になった。

 初めてで、緊張した。僕の担当になってくれたのは、スレンダーな色黒の女の子だった。

 エレベーターの前で、落ち合う。上階に移動し、部屋に入り、さあ脱いで、と言われた。出会って数分の女の子の前で脱ぐのは、やはりかなり抵抗があった。それを悟ってか、彼女は潔いほど大胆に自らの服を脱いだ。僕も、それに背中を押され、脱いだ。

 いったい何が起こるのか分からず、びびっていた僕に、彼女は、プロだった。

 さまざまなサービスをしてくれるのだが、その一つ一つが行為として手落ちの無い滑らかなものだったのはもちろん、ただの作業的なもの以上の、真心を感じた。

 笑っていい。でも、そう感じたんだ。一生懸命に、してくれていた。

 どんな種類の店にもあふれているね。愛情を込めてお客に接するって言葉。

 何を馬鹿なと斜めな僕に、彼女は圧倒的なリアリティで、その文句を体現してくれた。弱々しくしぼんでいた心に、息を吹き込んでくれるような感動だった。

 僕はとんとご無沙汰だった性的行為に欲望を満たした。でも、それだけじゃない。

 自分では無いほかの人間の体温を間近に感じるという事が。

 触れて触れられるという最も原始的で即物的なコミュニケーションが。

 自信を失いかけていた僕を、理屈でない証明で救い上げてくれた。

 多分、擬似恋愛が発生していたのだと思う。一通りの行為が終わった後、彼女も休むように二人で湯船につかった。たあいない話をした。少しだけ身近になった数十分前の他人同士が、微妙な関係でお風呂に入っている。なんか、面白いね。

 性的欲求以上に、僕はそういう時間に飢えていたのだと思う。だって、その時にはオナニーが終わったあとのような、すっきりしたけどむなしい感じは無く、満ち足りていたもの。

 僕は、ありがとうって言って、握手した。馬鹿だけど、そうしたかったんだ。彼女は、照れたようだったけど、うれしい顔をしてくれていたと思う。

 彼女の行為の全て、僕の感じた真心なんていうものも全てマニュアルだったのかもしれない。でも、僕がそう感じていないなら、どの道彼女は紛れも無くプロだ。

 僕より年若い女の子は、十分にお客を満足させ、感動させた。

 

 以上の僕の履歴から何が言いたいのかというと、風俗は立派な職業だという事だ。彼女たちがその職業を不本意に思っていたとしても、プロ意識を持った正当なサービスを提供できているなら、彼女たちの思いとは無関係に、それは立派な仕事だ。それをさげすむ事は、誰にもできない。体を売って楽して儲けている、なんてイメージは勝手な思い込みだ。どの世界でもそうであるように、プロは積み上げてきた経験の中で安易に流れない価値有る仕事をしているのだ。

 そして、冒頭の意見への答え。

 性を軽んじる風俗はだめだっていう人。

 風俗が与えるのは、肉体的な満足だけでは無く、寂しい心への慰めなんだよ。

 愛する人を求めているのは、誰もそうだ。でも求める人全てが、そういった存在を手に入れる事はできない。努力が足りないとか、言わないで。どんなにしたって、うまく回らない恋をした事が、誰にでもあるでしょう?

 僕は大人で、寂しさに耐える事はできる。でも、誰にだって、どうしても助けてほしい時があるでしょう? その一つが、風俗であっても、いいはずだ。

 頭から肉体的な行為ばかり見てだめだって言うのでは無く、それで救われる人の事を考えてみて欲しい。体を重ねあう感動は、愛を勝ち取ったものだけが得られる特権か?

 再び確認するが、セックスは、あなたたちがいつも強く主張しているように、体のつながりだけであってはならない。心のつながりの後、それを確かめるためになされる行為であるべきだ。なぜなら体の触れあいは強烈過ぎる威力で、心を惑わす。心をずらす。

 風俗が勘違いや、思い違い、現実逃避しかもたらさない物であったなら、求めれば愛は必ず手に入れることが出来るなら、金銭で交換される性行為は全否定されてしかるべき存在だ。しかしそうではない。

 思い通りに行かない現実に立ち向かうために、救いを求める場でありうる。

 人間の根源的喜びを、全ての人が平等に手に出来るものとする装置でありうる。

 噛み砕いて言えば、風俗は愛の難民を救う赤十字だ。

 自分の足で立てるように、支援するのだ。

 与えすぎると相手を堕落依存させてしまうところまで、まったく同じではないか。

 

 さて。

 もし、恋人が風俗嬢だったら?

 僕はぬけぬけと、やめろって言うよ。

 だって、彼女たちを独り占めにしたいから。普通に嫉妬するのと同様に、やめてくれって言う。

 で、「私は信念を持ってこの職業についているの」なんて言われたら、何も反論出来なくなるだろう。そして続けて「あなたは、私の特別な人だよ」と言ってくれたなら、きれいさっぱり説得されてしまうだろう。

 結局僕が、そして多くの人が、好意を寄せる異性に最も望んでいるのは、多分体ではないのだ。

 それは、対象の心の特別な位置を占める事なのだろう。

 男女の体の凹凸は、個人差はあろうが人間という種において大差はない。

 だが、心の形はどうだ。

 三次元を超えて複雑に入り組み、その形は、少なくとも体以上のバリエーションで凹凸を持つのではないか。

 だから。

 体と体をつなぐのは、いともたやすい事だ。それが直接愛や好意なのだと考えるなんて、もはや幼稚な思い込みに過ぎない。男と女なら無理やりにだって重なる事が出来る。

 だから。

 目に見えないものが絡み合ったと信じられる瞬間。心と心がかみ合ったと感じられる事こそ、代わりのない至上の喜びなのだ。

 一瞬の中の永遠のように、矛盾する物同士が混在する極致。

 触れられない物で、お互いを包みあうのだから。

 

 恋人が出来れば、風俗に行っては行けないの?

 そりゃそうだ。そんなの当たり前だ。

 性の冒険と探求は、恋人とすればいいではないか。

(といいつつ、これは自分がその立場にいないから気軽に思考遮断して言い切っているだけだろうな、と感じている。この問題は彼女がいるのに心に隙間が出来た立場にいる、どこか未来の自分に預ける)



 最後に。

 さあ、これからが落ちだ。

 三度目の風俗は、見事ぼったくりにあった。

 性的興味をうまく扱われて、自分のみっともなさをさらけ出される、たまらん経験だった。

 友達と二人で引っかかって、なんとも深い友情で結ばれる事になったよ。

 だからまあ、あえて風俗に走れとは言えん。

 

 僕を救い上げてくれた美しい女たちに、尽きぬ感謝と、勘違いかもしれないけれど、確かに感じた薄く柔らかな愛情を。

(2002/5/14)