3月6日( 「シェーナウの想い」概要 まず始めたのが街中に情報スタンドを設置し、放射能から身を守るための情報を発信することでした。また原発依存から脱却するためには、エネルギー使用の意識変化も重要だという想いから、「節電キャンペーン」や「節電コンテスト」を行いました。 さらに住民グループは、原発に頼らない電力供給、エコ電力の買い取り価格の引き上げ、そして節電を促すために基本料金を引き下げる一方で使用料金を引き上げることを、長きにわたりシェーナウ市と独占的に契約を結んでいた民間電力供給会社KWR(ラインフェルデン電力会社)に提案をしますが、冷たくあしらわれてしまいます。 そこで住民グループ(親の会)は「それなら自分たちで電力会社をつくってしまおう!」と立ち上がります。そしてEWS (Elektrizitätswerke Schönau; シェーナウ電力会社)を発足させます。 彼らはKWRを相手に2度にわたる住民投票を勝ち抜き、シェーナウ市の電力供給の認可を勝ち取ります。しかし、電力供給を実現するためには、KWRが所有する電力網を買い取る必要がありました。 シェーナウ市との電力供給契約を失ったKWRは、この電力網の引き継ぎにあたって不当なまでに多額の価格を提示。それでも住民グループは諦めませんでした。社会目的に積極的に融資をするGLS銀行や広告会社の無償の協力、さらには人々の善意の寄付のおかげで無事電力網を手にするに至りました。 1997年、EWSは念願の電力供給を開始。チェルノブイリ事故をきっかけにした親の会発足から操業に至るまでに実に10年もの歳月が流れていました。 苦労も喜びも分かち合い、皆で共に支えあい、励ましあい、そして時には息抜きもしながら、EWSで働く人たちは、今日もドイツにいるたくさんの人たちに原発に頼ることのない自然エネルギーをメインとしたエコ電力を供給しています。 <伝えたいメッセージ> EWSが操業をはじめたまさに翌年の1998年、ドイツは電力事業の全面自由化にふみきりました。これにより、ドイツ国民はどこに住んでいても自由に電力会社を選択できるようになりました。 かつてのKWRがその地位を奪われたように、EWSにとっても、自由化はシェーナウ市の顧客流出という危機をもたらすかに思えました。しかし「原発に一切頼らない自然エネルギーをメインとした電力供給」というEWSの一貫した企業理念は、多くのドイツ国民の支持を得て、顧客数は毎年増加の一途を続け、2012年の今ではドイツ全土で約11万人の顧客を抱えるまでに成長しました。 今では電力会社として不動の地位を確立するに至ったEWSですが、その挑戦はまだまだ続きます。親の会の中心メンバーであり、EWSの経営責任者である、ウルズラ・スラーデック女史は映画の終盤においてこんな言葉を残しています。 「一番の願いは、世界中から原発がなくなること。2つ目の願いは、早急な自然エネルギー社会への転換。そして3つ目の願いは、世界中の人たちに電力が公平にいき渡ること。」
|