「新・ゴー宣」第147章に対するツッコミ(ああ、やってもうた…)
遂に、遂にSAPIOを買ってしまいました(9月5日号)。ちょっと「新ゴー宣」で気になる所があったからです。
P37で菅直人が
「首相がお参りするという事はA級戦犯が戦争を始めた行為を容認、肯定する事になる。小泉氏は首相という自覚がないのではないか。」
と言っていた事に対して「犯罪的無知」と言っている。
確かに、この回で小林先生が言っている通り、東京裁判は事後法で裁かれたのでしょう。某大国が自分達の戦争が正義だという事を証明するために「悪」の存在を作ったというのが東京裁判の正直な所だと思う。ただ、歴史的経緯はともかく今は「戦争=悪」といった物の見方が一般的になっている以上、過去の戦争を賛美する(特にこちらから侵略を仕掛けたもの)及びそう判断されかねない行為に対して反対するのは当然の事でしょう。また、「戦争=悪」が今の価値観である以上、歴史的経緯はどうであれ今はその価値観に基づいて行動しなければならないのは当然で、「無知」かもしれないが「犯罪的」ではないでしょう。
そのほかにも今回の「新・ゴー宣」はツッコミどころ満載です。
まず、戦争はあくまでも話し合いで解決がつかない場合の国家に容認されている外交の一手段であると小林先生はおっしゃられてますが、日本が中国、朝鮮に仕掛けたのは単なる侵略であってアメリカと戦争したのとは違います。もし「貴方の国のこの権益が欲しい、くれないなら戦争しかけるぞ」というのが外交と言えるのならば別ですが…アメリカの場合は、日中戦争の仲介にアメリカが入ったわけですがその内容が厳しかったために拒絶したのでまあ一応外交がこじれた結果とも言えなくないと思います…従ってこの問題に対して中国、韓国が神経質になるのはある意味仕方ないと思うんですが…
そもそも、外交の一手段であるかもしれませんが容認はされてないと思います。だから、仲裁が入るのでしょう。戦争を放棄してない国でも戦争は最後の手段であって決して世界標準ではありません。
さらに、A級戦犯というのが事後法である以上法的責任は無いとしても道義的責任は存在します。仮に、小林先生の言う通り戦争を行なうという行為に何も問題が無かったとしても彼我の戦力の差及び補給線の長さを計算に入れずずるずると戦線を拡大し、結局日本を敗戦に導いて国民に塗炭の苦しみを与えた責任を考えれば、いわゆるA級戦犯と呼ばれる人たちを批難するのはむしろ日本人の役割だと思うので、あんな無能を英雄視するのはどうかと思う。日本民族の誇りを呼び覚ましたいのなら織田信長でも祭った方がよっぽど健全だ。
あ、しまったSAPIO見てないと全く分かりませんね…今回の話…