「新・ゴーマニズム宣言9巻を読んで」
いやもう、ツッコミどころが多すぎてどこから突っ込んだものか考えてしまいますが、1章ごとにやってくと膨大な量になってしまうことが明らかなので、「脱ゴー宣」裁判についての一連の作品に焦点を当ててみます。
まずはじめに言っておきますが、私は「脱ゴーマニズム宣言」を読んでいない。なおかつ、大学は経営学部だったので著作権法も全然知らない。その程度の知識の私でも、これだけのツッコミどころを発見できたのに、信者の方々はなぜ全然気づかないのか不思議でならない。
とりあえず法律の素人にも分かる点、P174から出版差し止めとか慰謝料を払わなければならないとか書いていますけれど、上杉氏は上告してるから確定していないですよ。本当にこんなことをしたら怒られるので気をつけよう。
ただ、私がこれを知っているのは控訴または上告すると判決は確定しないとたまたま昔法学部の友人に教えてもらったからで、普通の人は知らないでしょうし、小林先生も知らなかった=わざとではなかったとも思えます。しかし、以下の点ではわざと事実を隠しているのがはっきりと分かります。
小林先生は絵の大きさに対して批評の文章が異常に少ない!とP118で言っているが、よーく見てみよう。P118・3コマ目の手前の「脱ゴーマニズム宣言」からの引用の手前の部分を見てみると、批評の文はここだけと書いてある。
「よしりんは、そのものズバリの資料が無いからと、次のように書く。」
批評?この文が批評に見える?私にはコマを引用するためのつなぎの文章にしか見えない。批評の文はそのコマをうけた「たしかに、もしいっときに数万人の〜」の部分であろう。同ページ1コマ目にある「原告カットにある被告書籍中の記述内容は、以下の通り」というのは批評の文がどれであるかではなく、引用されたコマが「脱ゴー宣」の文章上のどこに位置するか、ということであろう。それなら理解できる。
しかも、小林先生はこのことを確実に分かっている。「ゴー宣」上で批評していると思われる文章が読める所が一つもないのだ。ページが切れてたり上から別のページが引用されていたり矢印が引いてあったりして巧みに批評の文章が見えないようにしている。見事な詐術と言う他は無い。しかし、商業誌の中で他人をおとしめる為に確信犯で嘘をつくのって許されるの?これ しろうとの素朴なギモン…
さらに、P172からの推測。例えば、こう推測することも出来ませんか?「この裁判官、本当は上杉氏の主張が全て正しいと思っていた。しかし、控訴してきた小林先生の意地を考えると全面敗訴はあまりにかわいそうだ。そこでカット1点だけの違法性は認めて2600万円の損害賠償請求(P166・4コマ目朝日新聞の夕刊に載ってます)のうち20万円だけは認めてあげた」と言う風に。相手の立場に勝手にたって自分に都合のいい推測をする。まるで昔の「ゴー宣」に書いてあった「噂の真相」のやり口とそっくりな気がしませんか?
さらに、上杉氏が上告したのは負けたのを知っているからではなく、戦術的に正しいやり方です。たとえ最高裁でやっぱり出版差し止めになったとしても回収命令までは出てないからそれまでに売り切っちゃえば実質的には損害ゼロになります。さらに出版差し止め命令が撤回されれば当然そのまま売りつづけられます。
ただ、この手の本は「買ってはいけない」と「買ってはいけないは買ってはいけない」のように一過性のものになるのは間違いの無いところなので、そこまでする必然性があるのかどうかは謎だが。
まだまだツッコミどころがあるので続きを書くと思います。