1周年ありがとぉーーー!
僕がキョンシー作品の数々やテンテンに熱狂していたのは今からもう12〜3年も前の事ですが、その頃僕はすでに小学校の高学年で物心もついていたため、当時の記憶は結構残っています。また元来の掃除嫌いが幸いして、当時購入した書籍などの資料も部屋に残っていました。そんな状況の中で覚えている事、知っている事、分かる事をとにかく書き綴って完成した『テンテンメモリアルHP』は、本当に自己満足と自分のための記録に過ぎないHPでした。でもそれで良いと思いました。前にも書きましたが、ほんの数年前にインターネットで「テンテン」や「キョンシー」を検索しても、まったく何も見つからなかったのです。あれだけの大ブームも、10年経てばやはりこんなものなのかと思いましたし、だからこそたまたま自分のHPを見てくれた人が、少しでも当時の事を思い出してくれたり懐かしんでくれればそれだけで充分だと思っていました。当然、アクセス数など何も期待していませんでした(カウンターが小さいのはその表れ(^^;;;)。99年5月、ちょうど1年前の事です。ところがHPを完成させた僕の満足感が驚きへと変わるまで、そう時間はかかりませんでした。感想や激励のメールが続々と僕の元へ届きはじめ、Yahoo!に登録されると、その数もピークに達しました。そしてそのほとんどが「感動した」「感激した」「こういうHPを作ってくれてありがとう」という内容だったのです。僕自身、他の人のHPを見て感想のメールを送ったという経験は一度もなかったので(BBSなどに書く事はあっても)、本当に驚きましたし、同時に言い表せないような感動を覚えました。あの頃、テンテンやキョンシーを見て、僕と同じように胸を踊らせた人達と感動を分かち合えるという至福。本当にHPを作って良かったと思った瞬間でした。
開設した際に「テンテン&キョンシー回想」のコーナーを、僕は次のような言葉で締めくくりました。「あの頃僕がテンテンに夢中になった事は、その後の僕の生き方に確実に影響を及ぼしている。そして僕と同じような境遇の人達が必ずいるはずだ」と。テンテンがきっかけで中国語の勉強をはじめ、現在その中国語を活かして海外で仕事をなさってるという方からメールを頂きました。チビクロのファンで、彼の声をあてていた声優の坂本千夏さんに興味を持ち、自ら声優としてデビューしたという方からも。やはりテンテンをはじめとした出演者達、また作品の魅力は、大勢の人達の人生を動かすほどの力を持っていたのだと、あらためて感じた次第です。
僕はたくさんのメールを頂いて、どんなに薄れた記憶でも、何かきっかけがあれば鮮明に呼び戻せるのだという事を知りました。そしてこのような自己満足的なHPでもみなさんの記憶と感動を呼び戻すための目次のような役割を果たす事が出来るのなら、こんなに嬉しい事はありません。この調子で『テンテンメモリアルHP』は今後もばく進します!!(ちょっと嘘(^^;;。更新が遅いけど大目に見てねm(_
_;m)
HP開設後日談など
HPを開設してから1年間で、テンテンやキョンシーを取り巻く環境にもだいぶ変化がありました。キョンシー関連のHPも増え、今ではその数は1年前の倍以上!というわけで、当HP開設から1年間にあった事などをここで簡単にまとめてみたいと思います。「テンテン&キョンシー回想」のコーナーの続きとして読んで頂ければ幸いです。
霊幻少女の続編は果たして存在するのか? |
さて、最後にひとつ紹介しておかなければならない情報があるのですが、ここでお願いがあります。以下の内容は、「キョンシー作品そのものを愛している方」や「キョンシー作品の劇中のテンテンが好きな方」などは見ないで頂きたいのです。なぜなら、今後キョンシー作品の数々を、純粋に楽しめなくなる可能性があるからです。ではどういう方に見て頂きたいかと言えば、「キョンシー作品の範疇を越えてテンテンが好きであり、大人になった現在のテンテンの事も、昔と変わらず好きだ」という方です。それ以外の前述したような方は下記の内容を見るのはご遠慮ください。これは映画ファンかアイドルファンかの違いであって、どちらが正しいというわけではありません。そして後者である僕が、まったく違う観点からテンテンを見て楽しんでいる方々の楽しみを奪う権利はないですし、そのような事になれば、僕としても不本意です。ですから、どうか前述したような方々は、「へえー、テンテンの新情報?どれどれ…」というような軽い気持ちでは見ないで頂きたいのです。それでもテンテンの情報があれば見たくなるのが人情というものですが、ここは一つグッと堪えて下の出口をクリックしてください。よろしくお願いします。
では、まずはAaronさんが提供してくださった台湾の新聞記事をご覧ください。
これは今年3月12日に台湾のCTS(中華電視台)のバラエティー番組、『超級星期天』にテンテンが兄と出演した時の記事です。 ご存じの方も多いと思われますが、テンテンの実兄であるスイカ頭こと劉至翰は、現在台湾で人気急上昇中の二枚目タレントです。ドラマ出演や雑誌のモデルなど、その人気は止まるところを知りません。その辺の事を頭に入れつつ、おなじみHKSARさんが訳してくださった内容をご覧ください。
●2000年3月11日付 新聞記事 小泉恩師を捜した劉至翰、過去の辛い日々を思い出し涙ぽろぽろ
在日時、致[女予]に音楽の指導をしていた小泉氏は兄妹二人のことを大変気遣ってくれた。食事に誘ったり服を買ってあげたりした。小泉氏は至翰より11歳年上で二人は兄貴と弟といった感じだ。台湾に戻ってからも至翰は小泉氏と連絡をとり続けたが兵役によって、以来連絡が途絶えた。今回、番組のコーナーの一つである『超級任務』に依頼し小泉氏の捜索が始まった。捜索には日本通で知られる黄子交さんが日本へ飛び、見事使命を果たして来た。 昨日、劉至翰は兄妹二人で過ごした在日時のひもじい歳月を振り返り泣き出した。至翰は当時まだ小さかったが既に181cmの長身で立派な体つきだったので工事現場で働いたこともあった。自分が苦しいのはいいが、妹が三食トーストを食べているのを見るのが我慢できなかった。途方に暮れた日々唯一の拠り所が兄貴、小泉氏だった。番組では、妹の致[女予]が小泉氏に添って登場!至翰は驚きながらも笑みを浮かべたが目は泣いていた。小泉氏は至翰の変貌ぶりが信じられなかった。当時、いっそのこと日本に残ってプロレスをやったらどうかと勧めたこともあった。至翰がへりくだって言った。「ぼくは植物みたいなもの。水、空気、日光であれだけ太った」。小泉氏は気力でここまで変身した至翰を褒め称えた。 その他関連記事補足 ●CTS(中華電視台)のHPより この番組は今年の3月12日夜8:00に台湾でO.A.されたものです。(中略)父親の事業(映画)が財政難に陥り、至翰が生計の重荷を担ぐ事となった。妹が安心して勉学にはげめるよう至翰は日本のスーパーでバイトし生活を維持した。だがまだ未成年の彼は満足な収入を得られるすべも無く、妹と共に苦しい日々を過ごした。後に、妹が音楽指導の小泉誠司氏と出会った。小泉氏は音楽プロデユーサーで二人の面倒をよく見てくれた。至翰にも歌の指導をしてくれ、深い友情が生まれた。小泉氏は兄妹二人の家計状況を知り、よく食事に誘ったり(中略)。至翰は日本を離れる前、小泉氏とある「男の約束」をした。『5年後には芸人としてある程度の結果を出す』と。 ●2000年3月11日付 民生報 CTSの八時の番組「吉祥如意年年來」で大切な役を担っている劉至翰はカッコイイだけでなく創作の才能もある。至翰は昨日CTSの『超級星期天』で妹の致[女予]と顔を会わせ、以前日本での奮闘時代の恩師である小泉誠司氏を招き「男の約束」を果たした。恩師と合作の歌を番組の中で披露した。劉至翰は15、6歳の時に妹と共に日本に渡り奮闘した。妹が日本の芸能界での発展を目指し、至翰は学校の傍ら働き妹を養った。当時父親の劉尚謙が台湾にて映画作成中、資金繰りがうまくいかず、兄妹二人は互いに助け合って生きていかなければならなくなった。生活は苦しかった。そんな中、致[女予]の歌の指導をしていた小泉氏はよく二人を食事に誘ったり、服を買ってあげたり、おこずかいをくれたりした。が、強気な至翰は同情されるのを拒み、小泉氏は仕方なく陰から見守っているしかなかった。昨日至翰は昔のアルバイトした情景を目にし、こみ上げてくるものを抑えきれなく満面の涙だった。番組製作班も致[女予]に出演するよう特別に要請。久々会っていない兄妹二人もオドロキの対面だった。両親は離婚していて至翰は母方に、致[女予]は父方についている。当時助けてくれた小泉氏の姿を目の前にした致[女予]は、日本での苦しい日々を思い出し涙が止まらなかった。会場も感動に包まれた。普段から詞を書くのが好きだった至翰は、過去に小泉氏と一緒に「Miss You...誰も知らない気持ち」という歌を作った。至翰作詞、小泉氏作曲で、お互いの目標が達成された時に歌おうと約束していた。昨日彼らは番組の中でこの「Miss You...誰も知らない気持ち」を歌った。二人の「男の約束」は遂にここに果たされた。 |
いかがでしょうか?僕は実際にこの番組を見ましたが、涙あり、笑いありの、本当に素晴らしい再会劇でした。妹のために身を粉にして働く兄と、そんな境遇を我々に感じさせずにテレビやラジオで明るく振る舞っていたテンテン。そして恩人小泉氏との約束通り、肉体改造にも成功し、芸能界で大成してみせた至翰の実行力にはただただ脱帽するしかありませんし、こんなに心温まる話はないと思います。しかしあの陽気で楽しく、そして華々しいキョンシーワールドの数年後に待ち受けている未来がドン底の苦しい日々だというのは、とてもショッキングな現実でもあります。特に最近はキョンシー関連の掲示板を見ていても、中高生のファンがかなり増えているようです。彼ら(彼女ら)のほとんどは、ブーム当時の記憶はあまり残っていないでしょう。という事は、彼らは最近になってキョンシー作品を見て、改めてその魅力、面白さに魅せられているという事であり、紛れもなく「キョンシー作品」あるいは「劇中のキャラクター」のファンなのです。これは映画を見る上ではごく当然の事であり、どこも間違っていません。だからこそテンテンファンのモノサシで測って「いい話」だったからと言って、それをキョンシー作品のファンの方々にまで突きつけたくはなかったのです。この記事の公開については他の方の意見も聞いたり、色々と話し合ったりもしました。しかし「テンテンメモリアル」を謳っている以上は、この情報を隠蔽するわけにはいきません。また、純粋にキョンシー作品を見て楽しんでいる方々の多くも当HPにアクセスしてくださっている事を知っていたので、あのような但し書きを付けて公開する事にしました。
しかし本当に彼女達のファンであるなら、ぜひこの『超級星期天』は見て頂きたいし、僕はこの番組を見れて本当に良かったと思います。『超級星期天』は人気番組なので、日本でも華僑(在外中華系民族)向けのビデオ店に行けば大抵置いてあると思います。3月12日放送分です。
日本にいた頃のテンテンの活動を揶揄する人がいます。大人になったテンテンに対する意見、感想も色々と聞きます。台湾のBBSでテンテンに対する中傷の書き込みも目にしました。しかし、劉至翰は現在でも自らのプロフィールの中で、好きな国として日本を挙げています。テンテンも日本語を「自分の母国語」だと言います。日本で辛い日々を味わったにも関わらず、です。これをどう捉えるかは人それぞれですが、在日時の真実を知る前と後とでは、受け取り方もだいぶ違って来るでしょう。少なくとも僕にとっては、彼女たちに対するさまざまな批判など、本当に薄っぺらいものに思えます。いつかテンテンは次のようなメッセージを残しました。そして僕は今こそあらためて彼女達にこのメッセージ送りたいと思います。
ねえ、覚えてる?あなた達と出会った時の事。 Same Eyes TENTEN プライベートホリデーから |
(2000.5.9)