4.文人と文人画
さて、わたしは20代後半より日本文人画府という美術団体に所属しています。
わたしが所属するこの団体名の中にも「文人」という名称が出てきますが、ではこの「文人」とはどういう人たちのことを指すのでしょうか。
古来中国においては、文人とは、科挙といわれる高官になるための試験を潜り抜けた、超エリート役人のことを指しました。この文人たちは書経に通じ、当然のことながら書も書き、そして絵も描いたわけです。水墨画のはじまりが、まさにこうした「役人」の手慰みからはじまっていますから、水墨画の本家本元の精神はやはり文人画と職業画家による絵とに二分されます。
そんな「文人」・・・今風にいえば「知識階級の人」ということになりましょうか。しかしながら単にインテリだから即文人か・・といえばそういうものでもなく、書の大家である青山杉雨はその著書「文字性霊」のなかで
「・・・・結局文人とは文事に長じ、風流を解する反俗的な人種でなければならないことになるようだが、大切なのはむしろ文事に長ずるよりは、風流を解することのほうにウェイトがかかっているように思える。従ってただ学問があるというだけか、または他人よりもより多くのものを知っているのみでは文人の資格は獲得できないことになるのだから、文人たるもまた難しきかなの感を抱かずにはいられない。」
と述べていますが、この文をみるかぎりでは、文人とは、なかなか個性的で一筋縄ではいかない種類の人種のようです。
なにゆえこうした気質が形成されたか・・・は中国の高官の宿命的なものに起因するとわたしは考えています。ようするに、高官だからそれじゃ一生安泰か・・・といわれればさにあらずで、いろいろ政治世界の軋轢や画策もあって、リストラや左遷もばんばん行われたわけで、そうした役人たちは、人里離れたところへ隠居して、世を儚む歌をよんだり、世情を批判したり、または時に自らのこころを慰める絵を書いたり・・・ということを行っていたようです。そうした背景があるからこそ、文人気質のなかには権力に対する反骨精神なども多分にふくまれているのでしょう。
そうした、いってみれば、世の中をどこか1歩ひいた視線でみているような精神は、世俗の価値観とは少々ズレがあり、ゆえに「風流」であること、「俗」を離れていることをよしとする価値観が定着していったのではないかとわたしは推察しています。ですから職業絵師の絵は商業目的という点において「俗」と結びついていますから、文人画とは一線を画し、派手な装飾的な表現はむしろ嫌われ、わびさびのある奥ゆかしい表現を良しとする価値観があります。なにしろその根底にあるものは「風流」ですから、これ見よがしな過剰な表現は「野暮」ということになるわけです。しかしながらこの「野暮」も逆手にとって、社会風刺の意味を込めて制作すれば「おもしろい」ということになるわけです。わたしが所属している日本文人画府でもその気風が強く、ちょっと前までは職業画家は会に入会できなかったと聞きます。いまでも審査基準は「文人画の気風」にウェイトを置いている点において、他の水墨画公募展にはない「文人趣味」といわれる独特の要素も求められています。
ですから、「文人画」とは、「職業画家ではない人の絵」ということになりますが、それじゃイコール「しろうとの絵」としてしまうのは早計で、もともと文人とは書画骨董あらゆる分野においても目利き腕利きなわけで、そうした人達が描いた作品ですから当然センスのよいもの、洗練されたものになるわけです。ですから「文人画」とは、職業画家の作品でもない、かといって、しろうとの作品でもない・・・というまったくことなったカテゴリの作品であるわけです。
日本の代表的文人画家(南画家)>>
池大雅 伊藤若仲 与謝蕪村 浦上玉堂 上田秋成 田能村竹田 富岡鐡斎 などなど
参考文献
文字性霊 青山杉雨著 ニ玄社