5美術界における水墨画の位置付けについて

 

現在、水墨画は残念ながら「水墨画」としての独立したジャンルはありません。

私は水墨画家と名乗っていますが(最近は絵師と名乗っていますが)正確には、水墨画は「日本画」の中に分類されていて、水墨画作家といういい方は存在しません。ですから、逆にいえば「日本画家」はイコール「水墨画家」でもあるわけですが、これは実はとてもおかしなことなのです。

現在の「日本画」は上野の美術館を回られればおわかりのように、かつての「日本画家」と呼ばれた「上村松園」や「梶田半古」「鏑木清方」「安田鞍彦」などなど、美人画や歴史を題材にした人物を美しい線描でもって描く・・という描法はほとんど現存しません。現代日本画作家のほとんどは、日本画の岩絵の具を使用してはいても、線描(輪郭線)を排除した油絵のようなタッチで描いています。そして今はそれが主流になっていて、昔の「美人画」のような描き方は画壇においてもうけいれられなくなっているようです。実際、知り合いの日展の作家の先生にお聞きしましたが、その方は日本画を何十年も描いていらっしゃいますが、「線描」の美人画は描けない…。とおっしゃっておられました。

このように、明治以降、急速に「日本画」は変化をし、昔ながらの技法がかろうじて「水墨画」の世界に残っている・・という奇妙なことになったのです。

なぜ奇妙かといいますと、「日本画」は昔は「やまと絵」とよばれ、それに対して「水墨画」は「唐絵」(からえ)とよばれ、その明確な違いに「遠近法」や「立体的な表現」の有無を挙げていたのです。大和絵は「線」を用い、立体や遠近というものを意識しない独特の描法を行ってきました。一方、水墨画の唐絵は墨の濃淡を利用して岩や山を立体的に描くことから「やまと絵」と区別されていました。

また「やまと絵」はご用絵師として江戸末期、明治初期まで宮中や城内のインテリアを担う大切な職務であったのですが、明治維新後、その必要性が途絶えたために、狩野派、琳派、岸派などなど、日本画を継承してきた工房が次々と消え去り、かの「上村松園」や「梶田半古」すら、「描法の資料が無い。勉強するには美術館へ行って過去の古い名品を見るしかない」と嘆くにいたってしまうのです。

わたしは、現在「水墨画の画壇」に末席ながら所属させて頂いておりますが、本当のところはこの「やまと絵」にひかれ、水墨画の技法を使って、美人画を描いています。しかし、これらの絵が属するジャンルが現代の日本の美術界には残念ながら存在しません。けれど、好きなものは好き…。かつて「上村松園」が「あなたは何派ですか?」と問われたときに「わたくしは鵺派(現代でいえばキメィラとでももうしましょうか)でございます」と言ったというように、わたしもいろいろな古典的な流派の良いところを寄せ集めて手繰り寄せ、できるだけ学んで、作品に反映できたら・・と思っています。