東洋的構図に関する一考察

構図を考えるとき、日本民族のバランス感覚の鋭さをまずまっさきにその特徴としてもよいのではないかと考える。またそのバランス感覚は他の国に類を見ない。

日本民族特有ともいってもよい、アンシンメトリーなバランス感覚のルーツはいったいどこから起因するのか。その源流はいったいどこから来るのか、という点を考察したい。

ヨーロッパを中心とする建造物をみてもわかるように、西洋における構図の美の基準に黄金率があげられる。これはギリシャパルテノン神殿が代表的であるが、西洋の宮殿、寺院などの建造物の配置など、多くは線対称を基調としている。これはヨーロッパにとどまらず、中近東における仏教寺院、中国の宮殿、都市建設、などわが国にもその建築様式はそのまま輸入され、平安京や平城京、平等院など、シンメトリーの美が美の基準とされる時期もあった。立花(生け花)の源流とされる「仏花」も当初はシンメトリーが原則であったが、洗練されるにつれ、アンシンメトリーな美へと変貌していく。

その変貌の過程に何があったのかをさかのぼるに、一節に、日本特有の地形にあるのではという節がある。日本はご存知のとおり山が多く、平地が少ない。仏教寺院建立の際、伽藍配置などを見ると、当初はきちんと塔は両側に2つ配置されるものとなっていた。平安京なども朱雀大路を挟んで西と東に塔が建てられている。しかし、こうした平地に建造する場合はよいが、仏教などの宗教的な聖地は往々にして、深山の奥地であることがおおく、地形の関係上、シンメトリーに伽藍を配置することが困難になる。そうした事情から自然と塔がひとつに削られ、必要最低限の形式が残ることになる。本来、二つなくては形にならないものがひとつになるわけであるから、バランスがとりにくかろうとおもわれるが、逆に、まったく同じ形をしたワイングラスでも壜でもよいので、これら2本をでこぼこな場所に並べておいてみてほしい。これはなかなかこうした不安定な場所に二つならべるほうがみっとも良いものではない。むしろ、片一方ないほうがすっきりする。こうした地形的制約が日本人からシンメトリーの構図をアンシンメトリーな構図へ・・・と進化させたのではないかと考察する。4点を並行に結ぶシンメトリーな構図から、3点を結ぶアンシンメトリーな構図からあえて「安定」を見出す日本人独特のバランス感覚は、合理的で洗練されたバランス感覚であり、現代のリモコンのスイッチなど身近なところで発揮され、世界でも注目を集めている。

※この考察文を読んで感想を送ってくださった通信講座の生徒さんの「ご経験談」にさらに気付かされたことがありましたのでお寄せくださった文章とともに追加を記させていただこうと思います。

小生、シンメトリーについて初めて認識したのは、勤めていた会社が

タイ国に進出した折(1988年)に、平屋の工場の入り口を中心において

左右非対称のアンシンメトリー設計をシンメトリーに変更、建てたのです

が(30×120m)、これが一面田んぼの中でうまく収まった時です。

 

わたしはこの文章を読んではっとした。というのも、わたしの構図に関する考察はまさに机上の空論で、参考文献の山から、自分の推理をまとめ理論づけたものにすぎなかったからである。

それを肌で実感したのは先日、三崎口の突端まで出かける機会があったときのことである。眼前に広がる太平洋。水平線以外はなにもない平坦な景色。それと対照的に背後に見える山脈。前記した考察文においては、日本が地理的に『山岳地帯』が多いため、シンメトリ―な建造物を立てるスペースの確保が難しかった。ゆえにシンメトリックな配置の建造物が建てられなかったのではないかと考えたが、仮に平坦なスペースが確保されたとしても、『背景』に山々が入るのと、まったく見渡す限り平板な地平線が続くのとではかなり感覚的に違ってくるだろう。そういえば葛飾北斎にみる浮世絵も、江戸の町と背景にある『富士山』が絶妙なバランスで描かれていた。そういう視点て考えると、昔の人々の美意識のスケールにあらためて驚かされる。わたしたちの現代人の感覚では、まわりの景色との調和などなにも考えずに、開いているスペースをみつけるや、高層ビルでもなんでもバンバン建てる。どうもその感覚がわたしの中にも知らないうちにあったようである。日本人のアンシンメトリックなバランス感覚というのは、恐らく最大の自然物である、山々を背景にしたときに、その建造物がいかに美しく映えるか・・・ということも念頭に置かれたに違いない。これは実際に視覚によって確認したことのない人間にはなかなかピンとこれない感覚である。貴重な体験談を送ってくださった生徒さんに感謝したいとおもう。