水墨画の歴史について

 

はじめに・・・水墨画の歴史というのはどうも曖昧といいますか、はっきりしていないことが多いんで、ここに書くことはほとんど本からの受け売りになっちゃいます。

何時頃誰が始めたか・・・中国の唐の時代に、あの詩文で有名な「王維」が始めた・・・というのがどうやらスタンダードな説みたいです。中国の高級官僚たちが「書を書くついでにその筆でもって絵もかいてみた」っていうかんじらしいです。

でもどういうわけか、このころはまだ日本には水墨画が入ってきていないようです。

なんで遣唐使がどんどん行き来してるときに入ってこなかったのか・・・ちょっと不思議ではあるんですが・・・いえ、実は「入って」は来ているのですね。正倉院の宝物のなかに、麻布菩薩という名称で有名な麻の布に描かれた白線描の菩薩の絵が残されていますし、布に直接墨で描いた雅楽用の「布面」など、水墨画の源流を思わせるものは天平時代にすでに日本にも存在しています。ただ、それらはその当時まだありにも朝廷に近すぎて、一般に出まわる機会がなかったのではないかとわたしは推察しています。

初期水墨画・・として日本にやってくるのは平安末期、中国は宋の時代。日宋貿易の盛んな時期に禅僧蘭渓道隆によって入ってきた・・・ということです。

 

初期の水墨画は「禅」僧によって入ってきたそうです。しかも皆さんおなじみの「山水」かとおもいきや、「仏画」や「人物画」としてはいってきたんですね。禅宗では、仏様の絵より、自分の師の肖像画を大事にして「師」をおもって自分も修行に励むという習慣があるようで、中国で修行した日本の留学僧が、中国での師の肖像画として、多く水墨画を持ち帰ったのがはじまりのようです。

 

水墨画にはこれらの時代背景がともなっているので「禅」の精神性と中国の高級官僚(文人)の精神が多分に影響しあいます。どちらの精神にしても「売買目的」に描かれない・・・ということから水墨画は「南画」(文人画)と「北画」(商業目的に描かれる水墨画)とに別れていき、現代にいたっていきます。

 注意・・・南画(南宗画)は中国において唐の王維から始まる系譜で、日本においては池大雅や与謝蕪村などの文人画へと続く。一方、北画(北宗画)も明末の文人系の画家が南画に対抗して唱えだしたものだが、日本においては狩野派などの職業画家に影響を与えている。