『水面に映る月』

TOP BBS

 ぎしっと音をたてて私の真上でベッドが軋んだ。
 続いて…というよりベッドの軋む音よりも先に始まってずっと続いている少しハスキーな喘ぎ声は、行為の内容を想像するまでもなく私に伝えてくる。ベッドの下に潜り込む前に八坂さんに手渡された時計の文字盤には蓄光塗料が施してあって、携帯電話の様にライトのスイッチを入れなくても時間を把握出来た。それが確かならもう三時間もベッドの上の二人はかなりハードなセックスに耽っている。
 八坂さんやっぱり体力があるな、とぼんやり考えながら私はたくし上げたままのミニのタイトスカートの下へ手を伸ばす。相手の女性に気づかせない事を厳命されているから声や音をたててはいけないけれど、三時間も喘ぎ声やどんな事をしているか判ってしまう卑猥な音を聞かされ続けているとそれだけで何度もいやらしいスイッチが入ってしまう。かなり前から濡れきっている私の下腹部からは仰向けで横たわっているフローリングの床にまで愛液が伝って、もしも部屋に一人きりならそのにおいで部屋にいる事は判ってしまうだろう。でもベッドの上のハードな交わりにそのにおいは溶け込んでしまっていて私の存在を嗅ぎ分ける事は出来ないだろう。
 気づかれない様に大きな動きを制限され、激しく指を動かしてしまうとすぐに音がたってしまうだろうから私の自慰はとても抑えたものになる。まるでドライアイスを当てられた様に痛みだか何だか判らなくなってきているクリトリスは膨れきっていて薄い包皮をめくる必要もなく簡単に指で触れられ、強過ぎる刺激に身体が跳ね上がりそうになるのを抑えながら、ゆっくりと自分自身を甚振る動きを繰り返す。捏ね回し過ぎて痛いのにたまらない快楽で靴下に包まれている爪先までちりちりと肌がざわめいている。
 ベッドの下で私がこんな事をしていると八坂さんは判っているだろうか、多分彼は判っているだろう。ベッドの上を覗く事は出来ないけれど八坂さんの執拗なセックスを私は熟知していて、そしてサービスを求めるのはいけないのも知っていた。
「ひぃ……っ、ねぇ……っ、ねぇっ…もっとゆっくりしてぇっ」
 ハスキーなのにとても甘ったるく絡みついてくる様な声音に、私の指が止まる。そんな事を八坂さんに言っていいのだろうか?と疑問が過ぎって…そして彼が優しくそれに応じてしまう気配はなく、女の人の喘ぎは悲鳴に近いものに変わっていく。ベッドの軋みが一層増して、やはりなと思う自分に、私はベッドの下に潜り込んでから何度目かの疑問が再燃する。
 どうして八坂さんはこんなセックスを私に見せつけるのだろうか。

 私と八坂さんの関係は少し説明しにくい。恋人でもなく友人でもなく、セックスフレンドというのが一番近いのだろうか。でもフレンドという響きはあまり正しくない気がした。
 デートらしい行動はなく、初対面の時に教えた携帯のメールに時間と場所が送られてくるだけで、私は都合があわせられるか否かの返事を○×で送るだけ。そして食事など時間もなく…酷くレイプに近い和姦で交わる。それが私と八坂さんの関係だった。
 出会いも最悪というべきだろうか、やや歪んだ性癖を持つ私が中止されている工事現場で自慰に耽っている所に踏み込んできたのが通りすがりの八坂さんで、そしてその場で半ば犯されたのに近かった。酷い初体験だったが、何故か私は八坂さんに馴染んでしまった。――淡々とした深くて静かな声も、広い肩幅も、ネクタイを緩める時の少し神経質そうな表情も「悪くない」男性で、あと少し何かがあれば私は一目惚れをしただろう。
【――相手に何かを求めるのが当たり前になった時の女の媚びが、たまらなく嫌いだね】
 二度目のセックスの後、工事現場の打ちっ放しのコンクリートの上でぐったりと横たわっていた私の横で、聞かせるともなしに八坂さんが呟いたその声が今でも耳から離れない。
【……。独占欲を感じると、窒息しそうになる……そんな感じですか?】
 唾液と汗と愛液と精液まみれのまま、私は問いかけた。ずっと前から異性とつきあうたびに感じてきた疲労を剥き出しにさせられた気がして、心臓を掴まれた様な感覚に頭が白くなりそうになる。
 恋愛で嬉しそうにはしゃいでいる友達を見るたびに感じている違和感と疎外感、自分が何か大切な部分を感じる場所が壊れていると指摘されている妄想を、この人は判ってくれるだろうかという期待は歪んだものだった。期待というのとは違うだろう、受け止めて相手がどうにかしてくれるのを望んではおらず、ただその感覚の捌け口としての存在がある事が嬉しかった。
 そんな私の問いに八坂さんは言葉で答えてはくれなかった。
 ただ、工事現場の入口のメッシュパネル越しに射し込んでくる街路灯に照らされ、淡々とした表情で私を見下ろし、ほんの少しだけ目を細めるだけだった。十二月の寒い夜空に浮かぶ白い月を思わせる冷たさと優しさと諦観の混ざった表情は、私を突き放しているのか包んでくれているのか読みとれない。
 顔と下腹部にべっとりと精液を絡みつかせている私の頬を夜風が撫でる。頬にかかっている精液に貼り付いた髪を八坂さんの指が整えてくれた。それは建物に引きずり込む時や自分本位なセックスの激しさとはあまりにも違っていて、まるで鞭の後の飴の様に穏やかで心地がよい。
 何故私は八坂さんの呼び出しに応じてしまったのだろうか。警察に駆け込む事も不安に泣く事もなく、自分を犯した存在としてでなく快楽をもたらす存在として八坂さんを位置づけている自分に居心地の悪さを覚えながら、誘蛾灯の様に引き寄せられていく。明確な存在など何ひとつ存在しない揺らぐ世界で漂う中、自分を照らし、手を触れる事が出来そうで出来ない八坂さんは水面に映る月の様だった。
 その言葉は突き放しているのか希望を伝えてくれているのか判らないもので、私をどちらにも身動き出来ない位置に絡め取ってしまった。

 それから一時間程経っただろうか、女の人と部屋を出ていった八坂さんが部屋に戻ってきた。
 女の人がまた部屋に戻ってくる可能性も考えてベッドの下から抜け出さずにいた私を呼び出す事もせず、八坂さんはベッドに腰を下ろす。
「感想は?」
 他に誰もいないし携帯電話を使用している気配もないがそれでも念の為に黙っている私の耳に、ベッドの太いスチールパイプを指で軽く弾く音が届いた。数秒考えてからパイプを一度だけはじき返した私に八坂さんが更に合図で返し、出てくる様に言ってくれてもいい気がするなと思いながらベッドの下から抜け出ながら私はタイトスカートを整える。
「『人間椅子』を思いだしました」
 ちらりと私を見て薄く笑った八坂さんは玄関まで女の人を送っただけらしく、ジーンズの上にシャツに袖を通しただけの乱れた服装だった。冬なのに換気の為に全開になっている窓から流れ込んでくる夜風は冷たく、蒸れているベッドの下に隠れていた私は少しだけ身体を縮こまらせる。フローリングの床の上に座った私を値踏みする様に眺めた後、八坂さんは戻った時に持ってきたらしいトレイの上のティーカップを私に差し出した。
「ありがとうございます」
 紅茶が乾きかけていた喉に染みて身体の中がじわりと温かくなる。紅茶の砂糖やミルクは用意されておらず、ストレートティなのがこれまた人に選択させず自分を通す八坂さんらしかった。
 初めてあがった部屋は装飾の類が殆どないシンプルなもので、まるで業務用の様な大きなコンピュータのディスプレイだけが灯っている薄暗い不案内な場所なのに妙に馴染みやすいのは何度も嗅いでいる八坂さんのにおいを感じる為だろうか。先刻まで見知らぬ女の人と交わっていたベッドはシーツも枕も乱れたままで、熱気を下で感じていた為なのか重く濡れている気がした。
「送らなくてよかったんですか?」
「? ああ、あの人か。……。これ以上はあれこれするのはいらないでしょう」
 パソコンのキーボードを淡々とした表情で少し叩いてから八坂さんは頬杖をつく。だらけてしまいそうな居心地の良さと八坂さんと一緒にいる時常に離れない奇妙なもどかしさを持て余して、私は立ち上がってベッドの隅に追いやられている毛布を手に取り軽く畳む。
 八坂さんは何の為に私に他の女の人との交わりの場に居させたのだろう。少なからずの回数交わっている人間ならば他の女の人と交わっている現場に居れば嫉妬してしまうだろうに…私も多少は嫉妬の様なものを覚えているのだろうか? 独占欲を嫌う私自身の独占欲が試されている可能性を考えるが、他者の先入観や希望のフィルターがかかる事を嫌う八坂さんの行動は深読みするのが難しい。
 不意に私は部屋に篭もっている卑猥な空気に八坂さんの精液のにおいが含まれていない事に気づく。三時間も交わっているのだから一回くらいは射精していてもおかしくないのに…と私はゴミ箱に視線を向けてしまった。
「勃起はしても射精はしていないよ。あの人、それにも気がつかなかったらしいね」
「八坂さんの責めはハードですから」
 思わず苦笑いを浮かべてしまった私の腰に八坂さんの手が触れる。タイトスカートをゆっくりとたくし上げる動きにぞくりと身体がざわめいて畳んだばかりの毛布に手をついてしまい、腰を軽く突き出してしまう姿勢になった私の内腿を八坂さんの指が撫で回す。にっちゃりと内腿に大量に愛液が絡みついているのを知らしめる指の動きに私の頬が一気に熱くなった。
 出会いの酷さもあって私の性欲が強いのは八坂さんは知っているから何時間も交わりを聞かされればこんな状態になってしまうのは判っている筈なのに、それでも身体の卑猥さを刻みつける様に八坂さんの指は内腿を執拗に這い回る。女性を玄関先まで送ってから紅茶を入れたのなら八坂さんに出来たのは顔を洗って歯を磨く事くらいだろう、シャワーを浴びるだけの時間はなかった筈だった。それなのに他の女の人を抱いたばかりの身体で触れられるのを不快に思うよりも先に、身体が蕩けていく。
 落ち着いたウォームグレイの毛布にぎゅっと爪を立ててよがる私の目に乱れたシーツが映る。どんな女の人とセックスをしていたのだろう、いつも私を滅茶苦茶にする様に容赦も配慮もない自分勝手で…それでいて残酷なくらいに気持ちがいいセックスだったのは女の人の声で想像がついたのに、それならば何故八坂さんは射精しなかったのだろうか?
「ずっとオナニーしまくっていたね? いやらしい子だ」
 ベッドから出る前に直しておいた下着の上から、尻肉の間の谷間から下腹部の丘へと八坂さんの指がゆるゆると蠢く。すぐに下ろしていたから濡れていなかった下着に粘着質な湿りが染み込み、表まで滲み出すまで時間はあまりかからなかった。
「――ぅ……あ」
 もう何度も八坂さんに抱かれているのに私はセックスが恥ずかしくてたまらない。気持ちいい事が判っていても追いつめられるまで、追いつめられても快楽を異性にあからさまに求めるのは嫌で仕方なかった。性欲が強い、貪婪な女だと自分を感じれば感じる程その性的嗜好を秘めたくなるのに、八坂さんはそんな私を更にいやらしい女へと堕としていく。セックスが恥ずかしいのだから嫌いならばいいのに、責め抜かれれば責め抜かれるほどに身体が溺れてしまう。
 八坂さんの指が布ごと膣口に軽く捩じ込まれ、膣口周辺の柔らかな肉が布に圧迫されてまだ下着を着けたまま苛められている卑猥さに身体がぞくぞくと震える。脱がされて直接に指を挿入する正常な行為の方が望ましいと感じてしまう自分の期待が後ろめたく、八坂さんの執拗な責めの卑猥さが辛く、それで身体が昂ぶってしまう事もそれを知られている事も何もかもが恥ずかしくて…たまらなく甘い。
 毛布を掻き寄せて顔を埋めて何度も深呼吸を繰り返すと、八坂さんのにおいで頭の中が心地よさで朦朧としてくる。男臭いといった不快なものではない麝香系のコロンと異性のにおいを嗅いで恍惚としてしまうなんて男好きなのではないかと不安になってしまうが、八坂さん以外の異性のにおいをこうして嗅ぐ事などまずないだろう。
「今日は泊まっていきなさい」
「すみません…、家の者が心配……い…ひぃっ!」
 ベッドに上半身を突っ伏させて腰を弄ばれる私のクリトリスを、八坂さん爪が下着の上から強く抓った。がくんと激しく跳ねた身体を八坂さんが床の上に仰向けに転がし、乱暴に下着をむしり取る。にっちゃりと糸を引いて離れる下着に心細さを覚えるよりも、今日はないだろうと諦めていたセックスの予感に身体がぞくぞくとしてしまう。床の上に下着を放り捨てて八坂さんの手が私の太腿を限界までいきなり開かせ、まだ自慰の腫れが引いていないクリトリスに顔を寄せて歯をたてられた。
 悲鳴を漏らしそうになって懸命に歯を食いしばる私を無視し、八坂さんはかなり強くクリトリスに何度も繰り返し歯をたてる。指で擦っても痛いくらいに過敏になっている場所を容赦なく責められ私の全身が弓なりに撓り、強張って細かに痙攣する。膣内に溜まっていた愛液がとろりと溢れて顎の辺りを濡らしている筈なのに、八坂さんは少しも構わない様に噛み続けていた。噛みにくい筈なのに歯と歯の間で器用に鋭く噛み潰され擦られている小さな豆粒にこの男性はかなり強い執着をみせる。どこかで痕をつけないのはセックスでのマナーだと聞いていたのだが、八坂さんは噛む事が好きで、クリトリスも乳首も肌も痕が残るほど強く何度も噛むのは最初の交わりの時から変わらない。
 悲鳴を噛み殺している私の視界が涙で滲む。到底快楽の範疇でない筈の強過ぎる刺激なのに、長い痛みの後に一瞬だけ与えられる間にやってくる痛みが和らぎ痺れていく瞬間のたまらない開放感と安堵に頭の中が白くなる。歯を食いしばっている口元から唾液がとろりと溢れて顔を伝っていく。悲鳴をあげたい。ラブホテルですら抑えていた悲鳴は窓を開けたままの八坂さんの部屋では決して漏らしてはいけなくて、それなのに少しも責めを緩めてくれない惨さが辛くてつらくて…気持ちがいい。
 テラス窓のレースのカーテンの合間から月が見えた。深い藍の夜空の中で青白い月の光が部屋に射し込んでいる。かすかな風に白いレースが揺れる。閑静な住宅街は少し離れた幹線道路を行き交う車の音だけしか聞こえず、そんな場所で私の耳にはクリトリスを噛み、時折なだめる様に舌で舐め上げられる愛液の音がはっきりと届く。
 全身から脂汗とも冷汗ともつかないものが噴き出して濡れて蒸れていく。ブラウスが肌に貼り付き、ニーソックスの中で足の指の間に汗が溜まり、指が藻掻くたびにぬるぬると滑る。
「後で外に食べに行こう」
 こんな姿になってしまっては乾くまで外出など出来るはずがないのに苛める様に言う八坂さんに私は一度だけ首を振った。言い出したら八坂さんは撤回しない。乾くまで待って貰えるのか、着替えを何か貸してくれるのか判らないけれど外出するのはもう決定してしまったら、私に出来る事は着替えとシャワーを期待する事くらいだった。まるで奴隷か何かの様な立場に思えてくる関係だが、性的には恥ずかしくて仕方ないのに奥底ではそれが嫌ではなかった。

 後背位の状態で八坂さんのモノが引き抜かれた膣口からどろりと半透明な白い粘液が溢れ、汗で濡れているフローリングの上に滴り落ちた。
 悲鳴と喘ぎを噛み殺し過ぎた私の喉は乾ききってしまっていて乱れた浅い呼吸ですら痛みがはしる。膣内にたっぷりと注ぎ込まれた精液の熱く染みる感覚を私は好きとも嫌いとも怖いとも思わずに…ぼんやりと堪能する。
 私は生まれつき子供が産めない身体である。だから八坂さんに初めて犯された時も性病への恐怖はあったけれど妊娠の危険はなかった。自慰の場面に踏み込んだ八坂さんは挿入前に私をひたすら甚振り、その時に父親すら知らない自分の身体の事を話している。何故話してしまったのかは今でも判らないが、避妊を怠らないらしい八坂さんが私相手にだけは膣内射精をするのはその為だった。
 無駄なのである…生殖能力のない私にとってセックスは無意味な行為である。愛し合う者同士が行う生殖行為という概念のあるセックスは、自分の身体を知っている私にとっては強い躊躇いがあった。人を愛しても子供を産む事が出来ない自分が許せない。思春期から育まれた自己否定は元から希薄だった恋愛感情は麻痺していってしまった。
 フローリングの上に座り込んだ八坂さんが私を抱き寄せ、向き合う形で貫く。八坂さんの胸板に擦れる乳首はクリトリス同様に噛まれ過ぎていて痛み、ゆっくりとした上下の動きに硬くしこったまま根本で折られ粟立つ乳輪に捩じ込まれ捏ね回される。
 朦朧としている私の瞳に、コンピュータの液晶ディスプレイの画面に表示されている時計が映った。午後十一時を回っていては外食するのもファミレスくらいしか開いていないだろう…もう昼から何も食べていないのに空腹よりもまだまだ肉体の快楽に浸り続けていたい自分がたまらなく恥ずかしい。八坂さんも普通に考えれば同じ様な状態の筈なのに食事の為に中断しようとする様子はなかった。
「ほら、動きなさい」
 私の腰に手を添えてゆっくりと揺さぶっていた手を離し、八坂さんが背筋を両手でなぞりだす。そう頻繁ではないけれど毎回が濃厚なセックスになる為に私に教え込まれている技術は少なくない…それでも羞恥と躊躇いは消えず、いや責め抜かれる程に強まっているのを知っているのに八坂さんは容赦なく命令をする。断る余地は私にはない。
「ぅ……ぁ……ぁあ…っ……」
 何度も首を振りながら、私は八坂さんの肩に顔を埋めながら腰を上下させる。膣をみっちりと押し開いている硬くて熱い生の異性がずぶずぶと膣壁を擦り、張り出した鰓がわなないている肉を抉っていく。一度精を放たれている膣は精液の染みる感覚で更に感度を増しているのに、八坂さんは二度目以降の保ちがとても長い。
 こうして交わると八坂さんはいつも通りで射精も出来たのに、どうして先刻の女の人を相手にしている時はしなかったのだろう。体調が悪いというわけでもなさそうで…疑問に感じておきながら私にはその理由がぼんやりとは判っていた。八坂さんは求められる意志表示が嫌だったのだろう。
【その程度の余興がなければ無意味だからだよ】
 ベッドの下に隠れる前の質問の答えはそれだった。相手の女の人のプライバシーを認識してその上で踏みにじる事は八坂さんにとって躊躇する次元ですらない気がする。私の恋愛感情が麻痺しているよりも強く、八坂さんの中の何かは壊れていた。データとして考察する事が出来ない人ではないのに、それがデータ以上の意味を持つ事がない様に私には見える。それでも、私にとって八坂さんは何かを照らし出す存在だった。――でも月光は手に取るものではない。
 ぎこちなく動く私の背中を、まるで飼い猫を撫でる様な優しげな動きで八坂さんの指が焦らし這い回る。
 恐らく噛み痕を残されているだろううなじを、肩胛骨の段差を、背筋を、脇の下を、私のすべてを舐り、撫で、噛み…私は全身で八坂さんを憶えていく。相手に何も与えられるもののないセックスで私は密かに何かを得ていて、それを八坂さんが知ったらどう思うのだろう。その何かの正体が私には判らず、だがそれによって八坂さんの不興を買うのが怖かった。
 私が腰を上下させるたびにぬちゃぬちゃと卑猥な粘着質な音が部屋に響き、窓の外へ漏れていく。夕方には他の女性が交わっていた部屋で、事後にシャワーも浴びていないまま抱かれるのは所詮は八坂さんの性欲処理に過ぎないのだろうと考えながら、以前教え込まれた動きをなぞり、腰を密着させて淫らに擦り付け、窄まりを意識して締め付けさせては緩めて牡の器官を悦ばせる為の動きを繰り返す。
 膣口の周囲に剛毛が撫でつけられ、柔らかな尻肉に男性としては薄めだろう臑毛が擦れる感触が酷く恥ずかしくて泣きたくなってくる。愛情があればこんな卑猥な行為すら悦びになるのだろうか…いやらしい牝である認識すら幸せになってしまう世界が私には判らない。八坂さんにとって私と先刻の女の人にどれ程の違いがあるのだろう、ただ疎ましいであろう避妊具のあるなしの物理的な違いだけなのだとしてもおかしくなかった。
 そんな理性の逡巡を取り残して、私の身体は条件反射の様に飢えて溺れた牝の動きに変わっていく。甲高く細い啜り泣きを漏らしながら八坂さんのモノを少しでも多く味わおうと腰の動きが小刻みで乱れたものになり、膣肉だけでなくクリトリスや乳首の刺激も求めて全身を猫が馴染みを入れる様に擦り付けて貪欲に異性の上でくねらせ続けてしまう。
 完全にスイッチが入ってしまう最後の足掻きで哀願の視線を向けて首を振りたくった私に、八坂さんは口元だけの笑いを浮かべていた。
「本当にいやらしい子だ。――もっととろとろに蕩けたいんだね?」
 それは自惚れでも誤解でもなく、問いかけに似せた、私のすべてを見透かしての上での甘い命令だった。
 躊躇いを踏みにじられ牝に堕されてただセックスに狂うだけならばいいのに、八坂さんは意識を手放すまで私の羞恥心をずたずたに傷つけながら維持させる。耽っている事が世にも卑猥な行為なのだと身悶える意識の奥底に残る理性に毒の様に注ぎ込み、煮えたぎる蜜の悦楽と羞恥の暗い反発を最上の悦びに変えてしまう。抑えようとすればする程に牝の悦びを実感し、牝として溺れれば溺れる程にそれをいやらしいと反発する理性の欠片は交わりのひとつひとつを細かに吟味する。
 子宮口を傘で突かれる充実感、膣で異性を味わいつつ舌で口内を蹂躙され流し込まれる唾液を嚥下する奇妙な隷属感と悦び、啜り泣きながら息を吸い込むたびに鼻孔を満たす八坂さんのにおいに頭の芯まで満たされてしまう耽溺、精液を浴びる事への罪悪感と汚辱感と同時の今か今かと急いて焼き切れそうになる理解不能な期待。――どれだけ思考というものにその余力があるのか判らない程、掌にすべての記憶を乗せてたっぷりと転がし舌舐めずりをする様に、あらゆる行為を瞬間的に反復し更に今この瞬間の交わりすらそれに絡め、柔肌の一枚下で反響し堪能させられ私は羞恥に悶える。
 フローリングの上に組み敷かれ、命令されての上であるのに激しく打ち据えてくる腰に脚を絡め締め付けて密着させる私を、八坂さんは言葉と身体で甚振り抜く。精液が欲しいのかと問われて首を何度も振りたくるのに、私の唇から漏れる細く弱い声は欲しいですと哀願してしまう。自分が欲しいのか八坂さんが膣内射精を同意させたいのかの区別がつかなくなっていく。
 密着した身体の間の蒸れた空気がわずかに揺れ動くと、開けたままの窓からの空気が時折流れ込み汗を冷やしてくれて、ふと私は虚ろな視線を窓に向ける。
 とても遠い白い月がレースのカーテンの向こうに浮かんでいた。

 帰宅するだけの体力を考えないで済む為なのか、私には腕一つ満足に動かすだけの体力も残されなかった。
 少し体力が戻ってから入浴するとの話の後、意識が戻った私に八坂さんが口移しで冷めた紅茶を飲ませてくれてようやく言葉を話せる様になったけれど、喉が痛み声は小さくしか出せない。いつの間にかブラウスと下着一式が部屋から消えていて、深夜なのに階下から洗濯機の音かかすかに聞こえていた。
「質問をしていいですか……?」
「頑張ったから、一つはしていいよ」
 シャツを羽織っただけの姿で壁に凭れた八坂さんの膝の上に身体を預けている私にはシーツがかけられていた。一日に二人分の汗を吸ったシーツは後で洗濯機に放り込むので汚すのを気にしないでいいらしい。窓を開けたままの部屋はかなり寒く、意識を失うまでの身体の火照りが嘘の様に冷えていたが部屋に篭もっている性臭を考えると仕方がないだろう。
「あの女の人は…八坂さんにとってどんな人なんですか?」
「知り合いだよ」
 短い答えに自分の質問の失敗を感じる私に、不意に八坂さんの手が頭を撫でた。その動きはとても優しいもので私を慰めている様に思えてしまう。
「難しいね、人間は。色々な事に捕らわれる」
「……」
 穏やかで淡々としていて、こんな時の八坂さんの声は夜に溶けていつまでもその名残がどこかに漂っている。
 交わっているただの知り合いと中に私も含まれているのだろう、いや、恋人も知り合いの範疇には入るのかもしれない。八坂さんが複数の女の人と関係を持っても嫉妬らしき感情が持てず、ただ相手のプライバシーを懸念するだけでしかない私は幸せなのだろうか、不幸なのだろうか。もしも私に独占欲が芽生えてしまったら相手を幸せに出来ない分際でも手に入れようとしてしまうのだろう…それは嫌な想像だった。
 八坂さんに頭を撫でられていた私は床の上に白く濁った小さな水たまりを見つけて思わず視線を逸らし、そしてちらりと盗み見る。そっと伸ばした私の疲れ切っている指先に、冷えた粘液が触れた。蜂蜜を思わせる重い感触を、指先でゆっくりと掻き混ぜて時折床から上げてみると、少し泡立った白濁液が糸を引く。綺麗にワックスで磨かれているフローリングだから早く拭いた方がいいのだけれど、まだ身体が動いてくれない。
 全身が痛いのにとても満たされた感覚に、胸が痛くなる。
 夜風に乗ってふわりと漂った花の香りに首を少しだけ巡らせる私に、八坂さんが窓の外を指さした。
「庭の素心蝋梅が咲いている。蝋細工の様な綺麗な黄色の梅だよ」
「もう梅が?」
「蝋梅の学名は《早咲きの冬の花》という意味がある」
 庭木の学名まで調べている八坂さんらしさに少し笑いそうになって、私は薄く息をつく。
 艶やかに咲ける花が私には羨ましい。何かを主張出来るという事は何かを得たいと思えるのだろう…花は咲く事で受粉の為の蝶や鳥を呼ぶ様に、恋愛でなくとも自分を高めて何らかの満足を得る様に。得たいと思う事も思われる事も自ら封じてしまった私は、気づけば手の延ばし方も忘れてしまっていた。
「八坂さんは……幸せですか?」
「二つ目の質問だね。いけない子だ」
「――ぃ…っ! ぁ…あぐぅぅ…っ」
 私の身体に軽くかけられていたシーツを八坂さんの手が引き下ろし、そして乳首に爪が強く食い込み、ゆっくりと捻られる。ほとんど力が入らず泥の様に疲れている身体でも鋭過ぎる仕打ちは強烈に全身に伝わり、硬直する私の膣口から残っていた精液がどろりと溢れ、乗せて貰っている八坂さんの腿へと垂れていく。がくりと揺れた私の目に薄皮が切れている乳首が映り、激痛と麻痺で自分のものと思えないそこは見る見るうちに硬くしこり、そして八坂さんの指に捏ね回され引き伸ばされ、また爪を立てられる。
 不興を買うと判っていた筈なのに思わず質問してしまった自分の迂闊さを後悔しつつ、一度ダウンした後に更に挑まれた事がない今までを考えるとそう厳しい仕置きはないだろうと私は内心高をくくっていた。だが過酷な責めを身体の奥が期待をしているのも感じて戸惑う私の顔を見、八坂さんが目を細めて口の端を吊り上げる。
 私の身体を膝の上から床へと荷物の様に落とし身体を起こした八坂さんの下腹部で、羽織っているだけのシャツの間から充血しきっているものが天を仰いでいるのが見えた。
 床の上で身動き出来ない私の肌がぞくっとかすかに震えた。
 手での愛撫もフェラチオも教え込まれているが到底慣れる事など出来ない猛々しい器官を見てしまうたびに、心臓を鷲掴みにされた様な息苦しさに私は捕らわれる。責められるのは歯や指も同じなのにそこは性的な象徴の為なのか忌避に近い感情を覚えるのは、交わりのたびに身体に刻み込まれる悦びの為なのかもしれない。
 いつもならば工事現場にせよラブホテルにせよ課せられる時間的制約に守られているが、この部屋では時間的制約などなく、そして窓が開いていて八坂さんの近隣住人との問題があってもそもそも声を押し殺そうとする私相手では、行為が酷く音をたてるものにならない限り制限はなかった。
 精液が腿に垂れたのがやはり判っていたのか、八坂さんは愛撫もなく私の両腿を脇に抱え込み、勢いよく反り返っているもので一気に貫く。ほんの少し間が空いただけの私の膣肉に溜まっている潤滑液はわずかに粘度が増しているだけで、ぐちゅりと卑猥な音をたてて八坂さんを迎え入れてしまっていた。
 全身が疲れ切っていても麻痺をしているわけではない私の身体は直前に乳首を抓られていて燻りだしていて、それは一突きで簡単に煽られる。腿を抱え込まれ腰が床から浮いてる窮屈な屈伸位に、ぶるんといやらしく揺れる抓られた疼きが消えない乳房と、ぬらぬらと愛液と精液を絡みつかせている赤黒い幹が抜き出しされているわずかな合間に私の目に映っていた。
「見なさい」
 膣坑を擦りたてられる淫らな刺激とその光景の恥ずかしさに瞳をキツく閉じた私に、子宮口に傘をぎちぎちと押し当てながら八坂さんが言う。冷淡な声音に首を振りたい衝動に駆られながらそれでも命令に従い注いだ私に視線の先で、ぬるりと猛々しいものが引き戻されていく。窓から射し込む月明かりに照らされる血管のグロテスクな隆起も、精液が混ざっている白濁液の濃淡も、ゆっくりと引き戻されては押しつけられる汗と白濁液にまみれた引き締まった腹部とその下の剛毛も、何もかもが淫猥に私の頭の中を穢して身体の疼きに拍車をかけさせる。
 何度も何度も抽挿を繰り返した後、八坂さんの傘が膣口のくねりを何十秒もかけて押し広げて引き戻され、そして糸を引いて勢いよく腹部へと跳ね上がる。
「ぅ……ぁあ……」
 長くて太いものが抜かれその全容を見てしまった瞬間に私の口から溢れたのは甘くて物足りなそうな声だった。全身を支えていた杭を引き抜かれてしまったかの様な虚ろな心細い感覚に膣口がひくりとわななく。何度見させられてもあの大きなものが自分の中を掻き混ぜていたという事が信じられないのに、引き抜かれた直後の場合はそれに貫かれている状態が当然であって膣内にない事が異常に思えてしまう。八坂さんの言葉を借りれば「無意味」な行為であるのに、貪られる事を愉しんでも許されるのではないかと、錯覚しそうになる。
 まるで犬の様な浅く乱れた私の呼吸が聞こえた。
 ひくりと腰が動く。自分では腕を上げる事すら大変なのに八坂さんに両腿を抱え込まれているその下腹部と内腿が薄桃色の別の生物の様に揺れ、すぐ近くで猛る牡を迎え入れようと淫らに何度も繰り返ししゃくり上げてしまう。
「何ていやらしい子なんだろうね、精液をどろどろ垂らしているのにまだ咥え足りないんだね?」
「ああああぁ……っ、いやぁ……っ…いやあ…、やぁぁ……っ」
 八坂さんに見下ろされている膣口が何もされていないのにひくひくと蠢いて奥から熱い粘液が溢れていくのを感じ、私の頭の中が一気に熱くなる。声を抑えようとして口を閉じれば堰を切った時に漏れてしまうのを本能で知っていても何とか口を閉じようとする私に、八坂さんの口元が残酷に歪む。
 せわしなく繰り返す呼吸で蝋梅の香りを胸に吸い込んだ直後に、私の中から溢れたものなのか青臭い濃密な精液と愛液のにおいを感じて疲れ切っている私の身体がぴくりと跳ねる。もう三回も八坂さんを満足させたのだから許して欲しいと考える筈なのに、頭の中は全身の疼きを癒してくれる存在に陶酔して、貫かれ、噛まれ、弄ばれ、責めて貰える事だけしか考えられない。
 卑猥な声が漏れてしまう事を抑えるのがやっとの私の全身から汗が滲み、換気したばかりの部屋に牝のにおいが篭もっていく。断末魔に似た全身の小刻みな痙攣に私の頭の隅に追いやられてしまった理性が悲鳴をあげていた。――怖かった。得体の知れない自分の肉欲が、そんな自分を八坂さんがどう思うのかが、平然とセックスを出来るすべての人が、何もかもが怖かった。
 静かに見下ろしている八坂さんの身体が動き、ぐちゅりと粘着質な音を大きく響かせて熱いものが私の中に捩じ込まれる。
 声が迸った。
 一気に子宮口まで貫かれ、八坂さんの腰が私の濡れた腰を激しく打ち据える。平手打ちに似た音が鳴り、汗が弾けた。交われば交わる程更にいやらしくなっていく身体に声が抑えられない。私の正体不明な怯えを優しくいたわる事なく八坂さんのものが私の膣肉を蹂躙する。引き戻された鰓にたっぷりと溜まった潤滑液が掻き出されて結合部を滑り過ぎる程に絡みつき、下腹部と内腿と腰をぬかるみに変えていく。一突きで達してしまった私の唇から溢れてしまう声を掻き消す様に、無意味に精液を搾り取ろうと卑猥に脈動して吸い付き締め付けようとする牝肉を八坂さんの熱くて硬い牡の証が容赦なく突き上げ、捏ね回し、犯し責め抜く音を部屋にひっきりなしに響かせる。
 意識をぎりぎりまで保たされて責め抜かれて羞恥心を傷つけられながらに達し、そして一度達してしまった後の八坂さんのセックスは容赦がない。休ませて貰えない。自慰では一度達した後は自分の脱力するままに休む事が出来るが、八坂さんとセックスしている時に達してしまっても彼は相手にあわせて動きを緩めてくれるといった配慮を知らない様に激しく責め立て続ける。達し続ける事になると、快楽は悪夢に変わる。汗も涙も垂れ流しになり、呼吸すら苦痛になり、全身が悲鳴をあげるのに…それなのに、ひたすらに甘い。
 シーツと床が私の汗で濡れて滑る。八坂さんの抱えている腿も汗にまみれている為に時折動きが乱れた。全身が膣に貼り付いている様な錯覚に私は喘ぐ。全身が八坂さんのものに粘膜一枚を隔てて犯されている感覚だった。頭の、指の、すべての中に牡の器官が突き挿れられて陵辱される。
 初めて工事現場で犯された時は自慰で馴染み易くなっていたとはいえ、貫かれて達する事を教え込まされ、そしてこの責め苦も味わわされた。貫かれたまま携帯を鞄から取り出させられ、自失の間にいくらでも携帯を使い番号を引き出す事が出来た筈なのに、意識が戻ってから精液にまみれたまま私は自ら番号とアドレスを伝えさせられた。初体験での拷問の様なセックスの後で…私はまた八坂さんに抱かれる事を期待していたのだろうか。
「――ぅああああああああぁ……っ!」
 両腿を抱えている腕の先で八坂さんが強く腿に爪を食い込ませた瞬間から、私は完璧に達したままになる。八坂さんは射精前に柔肌から血が滲む程に鋭く爪を立てる。激しいラストスパートの抽挿と十の爪の痛みを与えたまま揺さぶる動きに声を上げて鳴きじゃくる私を、彼は見下ろし、そして射精する。
 子宮口を傘の尖端でこじ開く様に圧迫させた八坂さんのものが更にぐっと膨らみ、膣奥で弾けた。四度目の射精と思えない大量の精液がわななく腰の中に迸り、ようやく訪れた完璧な絶頂が私の頭を真っ白にさせる。
 結実する事のない牡と牝の交わりの最高の瞬間。
 それが無意味な事であっても、八坂さんは私を女として扱ってくれるただ一人の人間だった。

 窓から見える月は西の空へと沈んでいく。まるで東の空の白明から遠ざかろうとする様に。
 長いキスの後、八坂さんは目を閉じる。
「憂う事はないよ。人は皆祝福されているのだから」
 それは私に言い聞かせる為のものでも、八坂さん自身の為のものでもない声だった。遠い摂理を謳う声が、夜に溶けていく。
 ――幸せになりたいという願望は人間ならば当然だろう…だが、自分よりも先に幸せになって欲しい人が存在するのはそれ自体が幸せというものなのかもしれない。
 言葉にすれば怒られるだろう言葉を飲み込みながら瞳を閉じ、私は八坂さんの腕枕のぬくもりを確かめる。
 夜が、明けていく。

了 第二校200510311928

■よろしければ感想をお願いします。■
評価=よかった 悪かった
   エロかった エロくなかった
メッセージ=

TOP BBS