洗面台の上に腰を下ろしたまま浅く乱れた呼吸を繰り返す娘を見下ろしながら、男は小さく息をつく。
見慣れた洗面台は無機質でその簡素さが心地良かったが、たかが十七歳の少女がいるだけで何かが変わる。――何かは判らない。 火照った柔肌よりも熱い膣内を掻き混ぜていた指に絡み付く愛液は濃密で、卵の白身の様にねっとりとしている様は情交に慣れた女を思わせる…だがこの娘はまだ男を知らない。この華奢な脚の間に男の腰を割り込ませて激しく膣奥を突き上げられる事も、浅瀬を執拗に捏ね回されて焦らされる事も、膣奥で射精されて男に射止められる事も知らない。ねちょりと夥しく手と指に絡み付く愛液を舌で舐め上げてみるが味は薄い。牝の性臭も薄く、ただ、濃い。指と指の間に伸びる粘液は糸と言うより膜の様に広がり、そして緩やかに太い糸状に伸びていく。
「いやらしい、濃い愛液だ」
ぽつりと呟き、男は手首にまで絡み付いている愛液をじゅるりと啜る。接吻すら本人としては知らない分際で指を喰い締める牝肉の蠢きも感じ具合も淫らとしか言い様がない。清楚可憐な美貌を見るだけでは想像も付かないであろう、どの男でも狂わせるであろう被虐の素養と牡を溺れさせる狂い咲きの花の様な情動を揺さぶる艶めかしさに、男は愛液が絡んだ息を吐く。
辱めの言葉にぶるっと白い身体を震わせ、項垂れている瑞穂が微かに首を振る。否定したいのだろう。この少女は本質的に性に対して臆病過ぎる程であり、貞操観念は古めかしいと評していい。だが、何故、自分を利用するのか。
手が動いた。
少女の頬を撫で、そっと髪を梳く。漆黒の絹糸の髪は僅かな汗に湿っていたが男の指先でするりと細い束のまま白い肌から流れ落ちていく。顔が見たいと不意に感じての動きだったが、言葉が出ない。言えば少女は顔を上げるだろう…だがそれは無理強いに近い。何故自分の言葉に愚鈍なまでに従おうとするのか、それは誰に対しても同じなのか、視線すら合わそうとしないのは羞恥でなく嫌悪や怯えによるものなのかもしれない。そう自分はこの少女を喜ばせた事など一度たりともない。
柔らかく滑らかな頬を再び撫でた瞬間、ぴくりと少女の身体が揺れ、そして細い首が動く。上気した柔肌に大きな瞳を縁取る長い睫毛、桜桃の実に似た艶やかで初々しい小振りな唇と、翠がかった美しい瞳。
「先生……?」
桜の花弁の様だ。不意の風に一斉に舞い散る、春先の薄い色の空に溶ける様な淡い色の花弁の一片。どくりと胸が鳴る。反射的に手を伸ばしそうになる、手に掴めなくはない美しい欠片を集めた景色。目の前で舞う花弁一片は他と同じでありながら手に届きそうな偶然だけで不思議と特別と感じるものである。ちっぽけな、縁というものだろうか。大抵が指をすり抜ける。そして本来大して価値はない。――それなのに、指が触れているこれは何なのだろうか。甘い声音で囁かれる問い、眩しげな、蕩けた様な潤んだ瞳、指先に火照りが伝わってくる気がする紅潮した頬。少女が、自分を見ている。
「お前は何が異なる……?」
美しい女ならばそこそこの人数を抱いているが、この少女に憶える感覚を味わった事は未だかつてなく、それが男にとっては不本意で落ち着かない。遊戯感覚でホテルに連れ込むまでの駆け引きの楽しみならばもっと手応えのある女もいれば、少女の様な脆く儚げな肢体よりも乳房や尻肉が豊かに張りウエストをぎゅっと絞り込んだ豪奢な身体の女もいる。どれも十分に楽しめた。面倒くさい場面があれば何の迷いもなく捨ててきた。多少惜しい場合もあったが別の女で済む話に過ぎない。
それがこの少女には何故通用しないのか。
泣かせば酷い不快感が残り、思う通りにならなければ苛立ちがいつまでも続く。見なければ何故か気にかかり、姿を見れば捕らえずにはいられない。
不思議そうに自分を見上げていた少女がふと恥じらう様に視線を逸らした瞬間、男は少女の髪を巻き込みながらその背後の窓に乱暴に手を突く。ばん、と大きく鳴った音と髪を引かれる形で窓硝子に縫い止められた少女が怯えた様に身を強張らせた。
「舌を出せ」
乱暴な行為が怖いのだろう。男に荒々しくされるのを好む女達が挑発的に見上げてきて腰を振り舌舐めずりをする扇情的な風情とは異なる、怯えた、だが躊躇いながら従うその震える長い睫毛が、小さな唇が、脆弱な小動物を思わせる程儚げで男を滾らせる。少し手加減を間違えれば簡単に砕けてしまいそうな程、この少女は繊細で、それなのに頑なだった。
そっと差し出された舌を、舐る。まるで小鳥の様に少女が微かに首を傾ける様が、舌を舐めさせる行為に慣れたと感じて男の調教の欲求を満足させながら苛立たせた。
「――ぁ…ふ……ぅぅぅっ」
濡れた下腹部と洗面台の間に手を滑り込ませ、男は少女の膣内に中指を挿入する。上気した身体に温められたら洗面台と洗面台に熱を吸われた腰回りと比べ、少女の膣内は熱く、吸い付く様に男の指を妖しく締め付けて蠢く。指の根本が膣口に重なるまで一気に捩込む男に、白い身体がびくびくと震え、舌が揺れる、が、そこで男の指の動きは止まる。
はぁ…と舌を舐られながら少女が甘く切なげな吐息を漏らす。まだ処女の分際で挿入物に悦ぶ様が何処か疎ましく、そして征服欲を酷く煽る…最後まで犯して男自身の形に処女地を広げて十七歳の身体を犯し抜きたい、どれだけ痛がるか、出血は酷いか、本能的に逃げたがるか、必死にシーツを握りしめて堪えるか、泣き声は甘いか…少し想像するだけで男のモノが苦しい程いきり勃つ。たかが指一本挿入しただけでまるで展翅台に縫い止められた蝶の様にもう動かなくなるくせに、少女の汗の微かな匂いは甘く男に絡み付いてくる。筆で掃く様に舌を緩やかに舐め回した後、男が軽く舌先を噛んだ瞬間、牝肉がきゅっと男の指を締め付けた。
窓硝子に押し当てていたもう一方の手で少女の耳朶を軽く擽り、細い顎から胸元へと緩やかに下ろしていく間も男の歯は少女の舌先を軽く痛む程度に噛んではそこを慰めるかの様に舐り回す。噛まれる度、舐られる度に牝肉はその反応を素直に指に伝えてくる…軽い刺激ですらこの少女は翻弄されるらしい。その初々しくも淫らな素養が男の腰から腹腔へどす黒く煮え滾るものを広げさせる。男の自宅の洗面所で無防備に悪戯をされて受け入れるこの少女が、疎ましい。――どの様な男にでもこう従うのか、舌を舐らせ、牝肉を妖しく波打たせて悦んでいますと伝えるのか、唇を奪われても、処女を捧げても、その顔で赦すのか。
「っ…はあぁ……っ!」
男の手が美しい曲線を描く豊かな乳房の裾野から絞り上げる様に指を食い込ませる。かなり痛むであろう力加減に少女の唇から甲高く細い悲鳴が溢れたが、男は力を緩めないまま柔らかく、だがまだうら若い張りがある乳房を荒々しくねっちりと揉みしだく。膣肉が、指を喰い締める。あっああっと鳴く少女の舌伝いに唾液を流し込み、嚥下し損ねた分が形良い唇の端からとろりと溢れる。
理解不能な衝動が皮膚一枚の下で荒れ狂う。抱かせるか白を切り通せられるかの駆け引きの面白みとは異なる。こんな圧勝なゲームなど滅多にない程男に優位な遊びであるのは一目瞭然である。なのに何故、思い通りにならないのだろうか。
舌を離し、男は少女の白い肩に歯をたてる。薄い。骨格も華奢で肉付きも薄いが貧弱とは何故か感じない身体を歯と舌で確かめる男の指を、少女の熱い肉が喰い締める。職業柄鍛える時間は少ないがそれなりの体格は維持している男の腕で軽く包み込めてしまうたおやかな肢体は白く、温かい。汗を掻いた柔肌が男の身体に滑り、甘い匂いを漂わせる…いや鼻孔を抜けて肺の底まで満たして浸していく。シャンプー等と少女自身の体臭の混ざった堪らなく甘い匂い。はっきりと感じているが次の瞬間に消えてしまう様な匂いの余韻の儚さに男は白い肩に唇を押し当て何度も吸い付き、歯をたてる。甘い囀り。まるで禁断症状の様だった。
「痛い目に遭うのと優しく擽られるののどちらがいい?」羞恥心の強い少女には到底返答が出来ないと判っている問いをする男に、びくっと白い身体が震え、膣内が指を締め付ける。「答えろ」
流し込まれ唾液を嚥下しきれず零して濡れた唇が微かに揺れ、真っ赤に頬を染めている少女が俯いて首を小さく振った。
「瑞穂」
男の声に少女の身体がびくりと直前よりはっきりと震え、そして小さな造りの頭が動き、湿り気を帯びた漆黒の髪が白い肩から細い筋となり流れ落ちる…物憂げとも反抗的とも違うそんな様さえ綺麗だと感じる自分に苛立つ男の眉間に皺が寄る。犯したい衝動と同時に突き飛ばしてしまいたい衝動が皮膚一枚の下で膨れ上がる男と視線が合った瞬間、少女の膣がぎゅっと指を締め付けた。処女の分際で、いやだからこそ、いやらしい。あの老害はこの感触を味わったのだろうか?何本の指で?舌で?この綺麗な顔を見ながら?鳴いたか?この甘い匂いを嗅いだのか、唾液を啜ったのか、華奢な肢体を抱き締めたのか、どの様な表情をしていた…急速に湧き上がる問いに吠えたい理解不能な感覚に歯を食いしばる。何故。何だ、これは。面倒臭いと放り出したいがそれすら叶わない異常なもどかしさ。
「――先生……?」
ぽつりと、少女が問う。
疑問でありながら不信の欠片もない穏やかな、甘く綺麗な鈴の音の様な声。それは酷く無防備で柔らかく男の精神を掻き乱す。決して苛立たせようとしているのではないのは判っており、そしてその声が不快な要素など一つもない。だが、男の胸の奥に微かな爪を立てる…まるで愛らしい子猫が懸命に伸ばした足の先が触れたかの様に。
「……。答えないのか」
「先生の……」恥じらっている様なちいさな、だが、迷いは感じられない声が聞こえる。「先生の為さる事でしたら……」
少女の言葉に男の身体がぴくりと動く。何をこの少女は言っているのだろうか?自分が今置かれている状況を理解していないのだろうか?独身男の一人暮らしの家で服を剥かれ剰え膣内に指を挿入されてどうにでも好きにしろなど正気の沙汰ではない…いや相手を都合のいい自慰の道具とやはり考えてでもいるのだろう。その思考を否定する何かが思考の隅で瞬くものの、ふつふつと滾るもどかしさにそれは掻き消されていく。違う。この女はそうではない。ならば何だ。あの特別室の行為は。老害の下に組伏されていた白い柔肌、濡れた粘膜、息苦しい甘く疎ましく絡み付く香料。許し難い。許し得ない。腹腔が煮え滾る。意識がなかった?それがどうした。判っている。だが止められない。
「――犯されても、そう言えるのか」
白い身体がびくりと震え、男の指を淫らな肉が締め付ける。あの爺は何本指を挿れた?同じ様に喰い締めたのか、愛液の垂れ具合はどうだったか?舌は良かったか?悪意を煮詰めたものが腹の底で煮え、ぼこりと不快な泡が弾ける度に毒を撒き散らす。今まで味わった事のない不愉快な感覚に、男が食いしばった奥歯がぎりっと音を鳴らす。不快だ。不快極まりない。それなのに、何故、この少女は怯えながら自分を見上げてくるのだろうか。強姦を示唆する男を、悲しげに、だが思いの丈を全て込める様な瞳で。家族の回復を願う様な曇りのない眼差しが男を突き放す。判らない。何もかもが判らない。穢れた男には縁のない何かなのか、生まれ落ちた時に既に忘れたものなのか、理解が出来ない。
「……。先生を…、先生の為さる事を…信じます。――ですが、今日は…帰ります」
小賢しいその場限りの言葉とは思えない情感に満ちた声音と眼差しの後に少女は痛みを覚えたかの様に言葉を続けた。
「臆したか」
所詮は安全な遊びに過ぎなかったとでも言う所かと失望しつつ、男の胸の何処か気付かぬ場所で安堵が芽吹き波紋を作る。犯したくはない。無理強いを合意に持ち込む程度の手管は身に付いている、だが、それをこの少女に行使すれば後悔する予感がした…何故か。たおやかな、少し強い風でも折れてしまいそうな華奢な花の様な少女を両手で包み込み守りたい奇妙でこそばゆい感傷と、一瞬でも速く自分の手で無惨に花を毟り散らせたい相反する衝動を持て余しながら、男は温かな膣内に挿入していた指を引き抜く。慣れている温もりから離れる感覚が、不思議と心細い。
僅かな間の後、何度も唇を動かしては躊躇っていた少女が僅かに痛い笑みを浮かべる。
「先生が…お辛そうです……」
ぞれは笑みではなかった。
頭を撫でるか、抱き締めるか、まるで子供の痛みを癒そうとする親の手を思わせる慈愛の表情に、男は何故か少女の行動を想像する。――頬をそっと触れる手。男と女の間柄の様に強く相手に訴えるでなく、家族の様に間合いに踏み込むでもない。だが、その手が差し伸べられる事はとても珍しい…決して情の薄さからではなくたかが触れる事ですら恥じらう性質による、密やかな行為。それはどれだけ貴重なものなのか。
「辛い?」
少女は自分に何を見ているのかが判らず男は問うてしまう。追い詰めるよりも甘い空気に、何故か緊張を覚えながら。展翅板の上の蝶に見とれるのか、口に含んだ酒の味をゆったりと味わうのか、時間をかけて愉しみたい感覚は一人の時間以外では初めてだった。
北向きで直接陽は射し込まない窓を背にした少女の肢体は細やかに薔薇色を含ませた様な白さ。血色の良い健康的な肌でなく繊細な白磁を彷彿とさせるのは造形の美しさもあるだろう…女の身体には慣れている、だがこの白い身体は美しさだけでなく、男の嗜虐心を救いようもない程煽り立てる悩ましい頼りなさと温かみが同居していた。柔らかく滑らかな白い肌の奥の淡い血肉の色が少女自身の甘い匂いと重なり眩暈にも似た催淫効果すら感じさせる。このまま帰してしまえば他の男に食い荒らされてしまう危機感。だが、触れれば自分自身が少女を傷つけてしまうであろう、躊躇い。どう触れればいいのかが判らない。
はい、と言葉にする事もなく少女の眼差しが深みを増す。それは憐憫に近いが少女自身が傷を負っているかの様で男は僅かに怯む。身に纏っている物はガーターとギプスだけで艶めかしく上気した柔肌に黒髪を幾筋も貼り付かせている淫らな姿でありながら、痛々しい程の真摯な瞳が男を見上げている。
「俺が、辛く見えると?」砂を噛んだ様な不愉快な感覚に男は少女の顎を指で捉えた。「俺を言い訳にして帰るつもりなのならば素直に言えばいい。適度な玩具に犯されるのは我慢ならないから帰る、と」
「? ちが……」
自分の感情の波を持て余す惨めさが少女を傷つける刃になるのを自覚し、男は自分の器の小ささに思わず息を吐き出す。帰りたいのならば帰らせた方がいい。面倒臭い。自分を制御出来ない息苦しさの中、ぽつりと安堵が浮かぶ…この少女が消えれば傷付ける事はない。だがそれを遙かに上回る凶暴な欲望が男を飲み込もうとしている。無理強いで手に入れてしまえばいい、そうすればこの古臭い娘は勝手に男に操を立てて他の男には背を向ける様になる。いつもの遊びと同じで強姦してしまえばいい、いや和姦にする事など容易い……。
「あの…お洋服と綿棒…お借り出来ますか?」
不意の少女の言葉に、男は理解が追い付かず瞬きをした。
ふわりと綿棒が耳の中を撫でる。
静かな居間のソファの上で男は少女の膝枕に頭を預けて軽く目を閉じていた。
「痛くはありませんか?」
柔らかな声音で少女に問われ、男はああと短く答える。自分が何故こんな状態になっているのかが正直な話判らない。耳鼻科医でもない小娘に無防備に耳を任せて横になっているのは何故だろう。少女がしたいと言うからさせているが、この状況が不可解で仕方ない。華奢な、肉付きの薄い腿の膝枕は思ったより柔らかに男の頭を受け止め、首の角度も悪くはなかった。洗面所でのガーター姿にYシャツ一枚を加えただけの姿で異性に膝枕をしている少女の淫らな愛液や汗のにおいも甘く漂わせたままで、それはまるで情事の後の戯れの様だったが、男は物心が付いて以来こうも無防備に身体を預けた憶えがない。
本来は陽向のテラスなのだと少女が言う。休日の午後に少女の両親がこうして耳掃除をしているのをよく見るのだと。当然シャツ一枚ではないだろう。男を寛がせる方法で思い付いたものらしいが、飯事遊びの様なそれは不思議と不愉快ではなかった。
静かだった。まるで独りで微睡んでいる様な空気に、少女の存在が溶け込んでいる…違和感は、ない。耳の中を綿棒が柔らかに掻く音がさりさりと響き、擽られる様なもどかしい感触が妙に心地良い。
「瑞穂」
「はい?」
「……。何でもない」
何故か名前を呼んでしまったものの別段用がないのに気付き、男の眉間に皺が寄る。肌触りの良い毛布や馴染む枕に似たこの娘は無機物ではなく人間で、人間相手なのだから声をかけるのも普通である筈だが何かが噛み合わない。
「――お前は今日は何を期待していた?」
「え……?」
気付かぬ程の穏やかな微笑みを浮かべていた少女の頬が急に薔薇色に染まる。この少女は愚かではないが動揺を隠すのが下手だ。男と少女の間には性的な悪戯しか存在しないのだからそれを期待しているのは当然だろう、思わせぶりな視線や男を挑発するあからさまな誘いならば飽きる程見てきており、それは欲望に忠実な分だけ好ましくすらあった。一番面倒なのは……、
「先生にお誘いいただけた事が…その…その……嬉しくて……、それより先は……」
恥じらいながらとても小さな声で少女が囀る。
男に悪戯をされる事など判っていたであろう、気付かない振りをする手合いが、一番面倒臭い。口先では知らないと言いながら綺麗な指と口紅で彩られた唇で男の幹を搾りたてむしゃぶりつく女の方がまだ御しやすい。
「嘘だな」
短く切り捨て、男は目の前で微かに揺れた一筋の黒髪を指に絡ませる。腰に届くしなやかな絹糸を思わせる髪は男の指をするりと抜けていきそうな程滑らかで、思わず指に軽く巻き付けかける形で男は遊ぶ。漆黒。塩素などで褐色になる場合が多いがこの少女の髪は艶やかに光を弾くか深い闇ですらない純粋な黒で、淡く血の色を透かす白磁の肌との対比が息を飲む程美しい。
困っているなと思いながら男は少女の髪に口付ける。柔らかく甘い花の香りと癖のない髪の感触が心地良い。話しながらも緩やかに動いていた耳掃除の綿棒の動きが止まっているのに気付き見上げた男の目に、耳まで真っ赤に染まった少女の顔が映った。
「どうした?」
よく見る苦しげな顔でなく無防備極まりない幼女の様な恥ずかしげな顔に、暫し原因を考えてから男は指を絡めている黒髪を軽く引いてみる。困った様な少女が綿棒を耳から引き抜き、そして更に髪を引かれるままに男へと顔を寄せた。白いシャツを突き上げる形良い乳房の膨らみがその顔の下半分を隠すのが疎ましく男が胸の辺りの釦を指先で外すと、胸の谷間が露出する。水蜜桃を思わせる艶めかしい薄桃色の双丘のそこかしこについている吸い痕の淫らに口の端を歪めながら男は軽く上半身を起こす。
「――出かけるぞ」
自分の衝動を持て余した男に、少女が少し驚いた様に小首を傾げた。
思ったよりも夜は冷え込む。
骨折に響きはしないかと半歩後ろを歩く少女へと視線を送った男の目に、青白いクリスマスイルミネーションを見上げている微笑んだ顔が映る。夕食のチーズフォンデュが身体を温めているのかその頬は僅かに赤く、そして年齢相応に無邪気でありながら儚げで人目を引く。
先に買い物を済ませ車を駐車場に放り込んでから繰り出した駅近くの複合商業施設群は平日であるにも関わらずやや混み合っていた。ハロウィンから切り換えられた気の早いクリスマス一色の街並みへと視線を戻す男の目はどこか遠い。自宅の最寄り駅ではあるが電車移動をほぼしない男にとってあまり馴染みのない混雑は疎ましかった。ホテルや映画館や水族館といった施設はデートにはもってこいなのだろう、遊び歩く事には興味のなかった男には面倒くさい環境でしかない。
綺麗に整備された歩道は街路樹や壁面に無数の青と紫と白のイルミネーションで彩られ、藤棚か無数の氷柱の様に下がっているその一つ一つが凝った花と雪を模した飾りに顔を寄せ、少女が瞳を輝かせる。
気付けば会話らしい会話は交わしていない。その辺りのカップルの様に手を繋ぎも腕を組みもせず、だが視界の隅にいる。軽く視線を送ると、微笑み、そして恥ずかしげに視線を逸らす。
何なのだろう。どうでも良いいつもの感覚に紛れ込んでいる何かが男にとってはこそばゆい。露天で買った安いホットワインをベンチに腰掛けて飲むと喉から胃へとじわりと熱が滑り落ちていく。甘ったるい安酒は買うのも馬鹿らしい筈だが、不思議と心地良いのは何故だろう。時折吹く緩い風が男のコートの裾やイルミネーションの花々や、そして少女の髪を揺らす。ホットワインを口にした少女の息が白い。
「綺麗ですね」
夢見る様に見上げる少女の視線を追うと巨大なクリスマスツリーとそれにかかった飾りの様な銀色の月があった。
「そうだな」
ぽつりと答え、男は指先でホットワインのカップを揺らす。恐らく何も考えてはいないだろう。ビル群の間から見上げても判る程澄んだ夜空の月は作り物の様ですらあり、青白いイルミネーションの中に溶け込んでいる…女子供の喜ぶ絵面だと思う男はこの程度で少女が喜ぶのかと問い掛けそうになり、口を閉ざす。外出から何度礼を言われただろうか。外出前のシャワーから幸せそうに食べる夕食に他愛もない買い物、そしてこの街路に至るまでまるで挨拶の様に少女は何度も礼を言う。繰り返されて価値を感じなくなる程に。ふうっと息を吐いてカップの中身を全て飲み干し、男は首を巡らせる。
「クリスマスは何やら売り出している物が多いな」
食事の後にふらりと立ち寄ったショッピングモールで購入した化粧品のセットの種類の多さを思い出し男は息をつく。まだ十七歳の少女はどうやら好みのブランドが決まっていないらしく手薬煉を引く店員達の良い鴨になりかけていたのを、老舗メーカーの聞き覚えのある商品を選んだ男に、後で恐縮しながら少女が困った様な笑みを浮かべたのを思い出す。早くに母親を亡くした為か親兄弟とのクリスマスの記憶がない男は楽しみ方が判らない。友人と戯れはしても贈り物をするのは気味が悪く、女からの贈り物は扱いに困るだけだった。
「あの…帰る前に二軒程寄っても良いでしょうか?」
父親宛だろうか少女にしては落ち着きすぎた紳士向装飾品の売場で真剣な表情で悩む姿を時折確認しながら店内を眺めていた男は、通路を挟んでやや離れた場所に興味を引かれ歩を進めた。少女の姿から目を離す事にはなるが逆に彼女が男の姿を探す気になれば簡単に見つけられる程度の距離である。老舗百貨店の店員だけあって微妙な距離を保ちながら意識を男から離さない女性店員の視線を感じながら色とりどりなそれらを眺めていた男はその中の一つに目を留める。
「お待たせしました」
通路から店内に入るのを躊躇っている様子の少女を呼び、男は店員が取り出したそれを少女の指に填めた。
「とてもお似合いです」
「え…、あ、あの……」
少女の指に似合う華奢な意匠とサイズの指輪に満足し、刻印を断り男は会計を済ませて保証書と箱の入った小さな包みを化粧品の袋に放り込む。頬を染めている少女は確かに喜んでいるが戸惑っている様でもある…何を与えればこの少女が喜ぶのかが判らない。服一式も食事も指輪も何も心に響かないのだろうか、いや多少は喜んでいるとは思うが少女の戸惑う理由も男には判らない。
「――ペンダントとイヤリングのセットも必要だったか?」
「あら!」
獲物を狩る肉食獣染みた笑みを浮かべた店員に、慌てて少女が首を振った。
「私…お返しが出来ません……!」
悲痛な訴えをあげる少女と自分の顔を店員が見比べ何やら興味深そうに眉を上げているのを見、男は少女の手首を掴んだ。親指と中指の輪より細い簡単に折れてしまいそうな手首の先で指輪がきらりと光る。そのまま店から出る男の歩幅は広く、もつれる様な小走りの少女のバランスの危うさが妙に精神をささくれ立たせた。
ショッピングモールも街路も楽しげな人々が行き交っている。誰も喧嘩などしていない、いやそもそも喧嘩ですらないだろう。ただ少女に似合うと思った物を少女は喜ばなかっただけである。当然かもしれない。十七歳と三十四歳、一回り以上の年齢差では流行も嗜好も一致しなくて当たり前だった。
気の早いクリスマスソングの流れる街路は青白い照明に包まれ、誰も彼もが浮かれている。ああ面倒臭い。この手を解いて少女が一人で帰宅すればいいのを何故突き放さないのだろうか、外泊届けを出した責任か未成年への配慮か、ただ判るのは、この手を解いて帰宅をさせればこの少女は泣くのだろうと言う確信だけだった…自宅の玄関の扉が閉まるまでは堪えそれから泣き出す、確実に。今も泣きたい状態を無理矢理引き留めているのではなかろうか?ああそれでも構わない御機嫌取りをする程落ちたくはない、何がしたいのか自分でも判らない。
「――ぁ……!」
街路の煉瓦に躓いたのかよろけた少女を反射的に男は抱き上げる。
古いクリスマスソングをオルゴール風にアレンジした音色が耳を撫でた。ビル三階分はあろう大きなメインツリーの冷ややかで強い照明が照らし出す少女は白い肌と白いケープに黒髪が映え、そして大きな瞳が涙で潤んでいた。
「泣く程、好みではなかったか」
握ったままの左手首のその先で光る指輪は確かにクリスマス商戦用の手頃な価格と言う物とは違うと男でも判る…当然学生同士のプレゼントで手を出せる額ではないし、医師の収入であっても安いとは言い難い物だったが少女に似合うと思えたのだから仕方ない。
「綺麗です…でも…こんなに素敵な物をいただける身ではありません……」
十七歳だからか学生だからかただアクセサリーを貰って喜ぶには価格が想像ついてしまったからなのか、指輪よりも美しい僅かに褐色と緑を帯びる潤んだ大きな瞳が揺れ青白い光を溜まった涙が弾く。
「価値は俺が決める」
白いケープの上から華奢な身体を抱き寄せられ少女の脚が不安定な爪先立ちに近くなるが、支えると言うより抱え込んでいる腕にほぼ全体重を絡め取られている為にその体勢は危うくはない。服越しでも判る豊かな乳房が男の胸板に重なり、軽く腕の中に収まってしまう細い身体が美しく撓る。クリスマスイルミネーションのメインツリーのすぐ近くで男がしようとしている事が判ったのか、腕の中で強張る少女の手首から手を解き細い顎から頬にかけて手を添えて顔を寄せる。外出時には身に着ける様に習慣づけていたしなやかな革の手袋を何故か部屋に置いてきた為に直接触れる少女の頬が、仄かに温かい。
ぴちゃりと舌が重なった。
男の飲んだホットワインとは違う蜂蜜とシナモンが過多な甘ったるいにおいと味が伝わってくる。びくっと震える少女を半ば抱き上げかける形で腕の中に深く包み込み捕らえ、その細い身体に嗜虐心と他の衝動を煽られる男の下腹部で凶暴な物がいきり勃つ。晩秋…いやもう初冬か、夜の冷気が足下からじわりじわりと身体を浸していく中、身体が熱い。この少女の痴態がどれだけ初々しく、そして淫らか。犯してしまえばいい。周囲の視線が判る。有数のイルミネーションスポットのメインツリーの前で抱き締めるだけでなく舌を絡ませていれば嫌でも目立つだろう、流石に公共の面前でと不快に思う者がいてもおかしくはないし、男も盛りがついた様な連中を見下している側だった。だが、止める気にならない。
微かな吐息が聞こえる。恐らくは制止を望んでいる、人一倍恥ずかしがる気質の少女の精一杯の哀願だがそれは男の衝動を更に煽り立てる意味しかない。視界の片面が青白く染まりクリスマスソングが反響して鳴り響く中、腕の中の少女の高鳴りきった鼓動が伝わってくる。小さな舌を絡め取る様に擦り弄り舐り回し唾液を送り込む。詰まった甘い声を零しながら男の唾液を健気に受け止めて嚥下する…いつからそうだったのか、気付けば最初の頃からだった気がする、男の望む行為を従順にだが最も嗜虐心を煽る仕草で少女は受け入れる。こくんと唾液を嚥下した唇から零れる、微かな恍惚の響き。男の触れる指に馴染む白い滑らかな頬。
嫌になる。
自分を持て余す。
何故、今この唇を奪えないのだろうか。
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『STAGE-17』
改訂版2009100226